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日本のとんち話 第40話
六つの「子」の字
むかしむかし、嵯峨天皇(さがてんのう(在位809〜823))が国をおさめていたとき、都の御所(ごしょ→てんのうのすまい)のちかくに、だれがかいたものか、こんな札がたてられました。
《無悪善》
人だかりがしているので、みまわりの役人たちが、わりこんできました。
「どけ、なにごとだ! むっ、・・・?」
「お役人さま、いったい、なんとかかれておるのですか? よんで、おきかせください」
人びとにたずねられて、役人はすっかりよわってしまいました。
「『無、悪、善』・・・こ、これはだな、むずかしゅうて、わしらにゃ、チンプンカンプンじや。みかど(てんのう)に、じきじきにお目にかけよう」
役人たちは、たて札をひきぬくと、みかどにとどけたのですが、みかどにもよめません。
そこで、おかかえの学者たちが、御所によびあつめられました。
「これは、なんとよみ、どんないみじゃ」
みかどがたずねましたが、学者たちは、
「はて?」
「さて?」
「はてさて?」
と、かんがえこむだけで、こたえられません。
「なんとも、ふがいない。それでも学者か」
みかどがなげくと、学者のひとりが、
「学者で、書の名人でもある小野篁(おののたかむら)ならば、よみとけるかもしれません」
と、いったので、さっそくつかいがだされました。
御所にまねかれた、たかむらは、みかどにねんをおしました。
「よみとくことはかんたんですが、ありのままによんでも、よろしいのですか?」
「よいから、はようにもうせ」
「では。・・・これは、『悪』から『無』にもどり、『善』を、おわりによむのです。『悪』は、さがとよみ、『無』は、なくば、『善』は、よい。つまり、《さがなくばよい》。さがてんのうが、いなければ、世のなかが、もっとよいのに。と、いう、なぞかけことばにございます」
「な、なにっ! わしがいなければよいじゃと!」
みかどは、あおすじを立てて、たかむらをにらみつけました。
「おかかえの学者たちが、だれ一人読めないのに、おまえはやすやすとよみといた。と、いうことは、おまえが書いたにちがいない! おまえは島流しじゃ!」
島流しとは、ざい人を、はなれ島に流して、そこから一生、でられなくするけいばつです。
すると、たかむらがつぶやきました。
「学問をつんだばかりに、いわれのないつみをかぶろうとは、世もすえだ」
これをきいたみかどは、
「なに! おまえの学問がどれほどのものか、ためしてやろう。しばらく、まっておれ!」
みかどは、おかかえの学者たちに、文字のなぞなぞをつくらせました。
「これで、いかがでしょう?」
出された文字は、《子子子子子子》でした。
「・・・? これは、なんとよむ?」
「はい、子(ね)子(この)子(この)子(こ)子(ね)子(こ)。『ネコの、子の、子ネコ』で、ございます」
「なるほど、よく考えた。いかにたかむらでも、これは読めまい」
みかどはさっそく、このもんだいをたかむらにつきつけました。
「これがよめれば、島ながしはゆるそう」
「わかりました。これは、『ネコの、子の、子ネコ』です」
たかむらは、いともかんたんに答えました。
「むっ、むむむ、正解じゃ」
くやしがるみかどに、たかむらは言いました。
「みかど、この《子子子子子子》には、じつは、別の読み方があるのです」
「ほう、なんとよむのじゃ?」
「子(し)子(しの)子(この)子(こ)子(じ)子(し)。つまり、『獅子(しし)の、子の、子獅子(こじし)』で、ございます」
「うむ、あっぱれ。おまえこそ、ほんとうの学者じゃ」
みかどは、つみをとりけして、たかむらに、たくさんのほうびをとらせたということです。
おしまい
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