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百物語 第七十五話
あの世への迎え
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戦国時代、『愛』の字をかぶとにあしらった事で有名な、
直江兼続
(なおえかねつぐ)という家老(かろう)がいました。
とても多くの手柄を立て、関白・豊臣秀吉から豊臣の氏を授けられたほどの人物です。
ある時、直江兼続の家臣(かしん)である三室寺庄蔵(さんむろじしょうぞう)が、五助という名前の家来を殺してしまいました。
直江兼続が三室寺庄蔵を問いただすと原因はとてもささいな事で、三室寺庄蔵も軽率な行動をして申し訳ないと反省をしています。
しかしいくら反省されても、五助の身内は納得出来ません。
「いくら身分の低い下人とはいえ、大した事でもないのに、お手討(てうち→死刑)とはひどすぎる!」
怒った五助の身内たちは、訴えを起こしました。
すると直江兼続は、家来に銀貨二十枚を渡して言いました。
「確かに、不欄(ふびん)な事をした。
だが、どうやっても死んだ者は帰らない。
このお金と手厚くとむらう事で、かんべんしてもらえ」
「はっ、その様に伝えます」
家来は銀貨二十枚を五助の身内に渡して、五助を手厚くとむらうから、どうか訴えを取り下げて欲しいとお願いしました。
けれども身内たちは、お金を突き返して言いました。
「わたしたちは、お金などいりません。
ただ、殺された五助を、返していただきたいのです。
五助を返していただけない限り、訴えは取り下げません!」
さて、この話が町に広まると、町人たちの間で五助の身内に対する同情(どうじょう)の声が高まりました。
「身内の訴えは、もっともだ。人の命は、金で解決出来るものではない」
「直江さまは、家臣をかばいすぎる!」
「三室寺庄蔵を、罰するべきだ!」
当時の武士たちは、給金(きゅうきん→給料)よりも信頼関係で結ばれていました。
信頼関係があるからこそ、命を懸けて戦う事が出来るのです。
五助の身内の顔を立てて三室寺庄蔵を罰するのは簡単ですが、それでは家臣からの信頼が失われます。
かといって、五助の身内が訴えたままでも、信頼が失われるでしょう。
(場合によっては、心を鬼にするしかない)
直江兼続は五助の兄と叔父と甥(おい)の三人を呼び出すと、こう言いました。
「お前たちは死んだ者を返せと言うが、どうすればよいというのじゃ?」
すると、五助の兄が答えました。
「方法はわかりません。ですがとにかく、五助を返して欲しいのです」
「そうか」
直江兼続は苦い顔でうなづくと、心を鬼にして言いました。
「それほどまでに言うのなら、あの世から本人を呼び戻すほかあるまい。
すまぬがそなたたち三人で閻魔大王(えんまだいおう)の所へ行って、連れ戻してまいれ」
直江兼続は三人を橋のたもとへ連れて行くと、そこで三人を切り殺してしまったのです。
そして橋のたもとに、次の様な立て札(ふだ)をかかげました。
《わが家臣、三室寺庄蔵が家来を成敗(せいばい)したが、身内の者たちがなげき悲しんで本人をどうしても呼び返してくれと申してきかない。
そこで身内の三人を、迎えにやることにした。
閻魔大王さま。
先にそちらへ行った者を、ぜひ三人に返してくださるよう、恐れながら願いあげる。
慶長二年(一五九七年)二月七日
閻魔大王殿へ 直江山城守兼続》
この立て札をかかげてから、五助の身内たちは恐ろしくなって何も言わなくなりました。
この直江兼続のやり方に町人たちは、
「ずいぶんと身勝手(みがって)で、残酷(ざんこく)な処置(しょち)だ!」
と、陰口をたたきましたが、それに対して武士たちは、
「さすがは、直江兼続!」
と、ほめたたえる者が多くいたそうです。
おしまい
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