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日本のふしぎ話 第41話
娘にばけた花の精
富山県の民話
むかしむかし、越中の国(えっちゅうのくに→富山県)に、長棟(ながと)の鉛山(えんざん)とよばれる鉱山(こうざん)がありました。
毎日、たくさんの鉛(なまり)がほりだされて、それを富山(とやま)まで運ぶウシの行列(ぎょうれつ)が、どこまでもつづいたといわれています。
ウシの首につけてある、スズの音がひびくたびに、
「なんて景気(けいき)のいい音だ。この音がつづいているあいだは、いくらでも金がもうかるぞ」
と、土地の人たちは喜んでいました。
なにしろ、ここで取れた鉛は次々と江戸(えど→東京都)へおくられて、いろいろな物に使われるので、いくらあってもたりないのです。
鉛山の町では毎晩のように宴会(えんかい)がひらかれて、飲めや歌えの大さわぎ。
どの料理屋も、大はんじょうでした。
ある晩も、鉱山で働く人たちの親方があつまって、料理屋で宴会をひらいていました。
しゃみせんにあわせておどったり、歌ったりする女の人や、おしゃくをする女の人もたくさんいて、宴会はいよいよにぎやかになっていきました。
するとそのとき、美しい三人の娘が現れて、ゆっくりとおどりはじめました。
一番年上らしい娘は、まっ白な着物をきて、それより三つばかり若い娘は、うすむらさきの着物をきています。
一番年下らしい娘は、あわい紅色の着物をきており、広間はまるで、三つの美しい花がさいたみたいです。
娘たちは自分たちで歌を歌いながら、まるでチョウがとびかうようにまいつづけます。
酒によっぱらって大声をあげていた男たちも、その美しさには声も出ません。
(なんて、きれいな娘たちだ)
(あのおどりのすばらしいこと。まるで風にまう花びらだ)
親方の一人が、たまりかねていいました。
「いなかの山の中にこんなきれいな娘がいるなんて信じられん」
そこで料理屋のおかみさんをよんできて、どこの娘か聞いてみることにしました。
ところが不思議なことに、おかみさんは娘たちを知らないと言うのです。
やがて、娘たちの歌う歌にあわせて、しゃみせんがひかれました。
三人の娘たちは一段とかがやいて、だれ一人席をたつものがありません。
ところが、さっきからよいつぶれてねむっていた男が、ふと目をさましました。
見ると目の前に、あわい紅色のきものをきた娘が、まうようにおどっています。
男はしばらくは娘のおどりを見ていましたが、ふいにたちあがると、娘の手をつかんでいいました。
「おれのさかずきに、酒をついでくれ」
娘はその手をさっとはなして、ニッコリほほえみました。
男はなおも娘のそばへいき、今度は両手で娘をだきかかえました。
「こら、なにをする!」
お客の一人がどなりましたが、それでも男は手をはなしません。
するとそのとき、まっ白な着物をきておどっていた娘が、持っていたおうぎをさっと男になげました。
バチン!
おうぎはするどく、男の手をうちました。
「いてえ、なにをする!」
男は娘をはなして、おうぎをなげた娘の方にむきなおりました。
そのとたん、三人の娘の姿がフッときえたのです。
「・・・あれ?」
「おい。いまの娘たちは、どこへきえたんだ?」
なん人かの客があわてて外へ出てみましたが、どこへきえたのか、娘たちの姿はありませんでした。
あとで土地の人が調べてみると、この三人の娘は山神さまにささげる三薬草(さんやくそう)の化身(けしん→神さまが化けたもの)で、みずばしょう、やなぎらん、くがいそうの精だというのです。
町があんまりにぎやかなので、つい人間の娘になって、姿をあらわしたと言うことです。
でも、あのよっぱらいのおかげで、それからは二度と現れなかったと言うことです。
おしまい
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