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百物語 第九十八話
どくろのお経
和歌山県の民話
むかしむかし、紀伊の国(きいのくに→和歌山県)の山寺に、えらいお坊さんがいました。
里の人たちは、このお坊さんを「紀伊菩薩(きいぼさつ)」とよんでいました。
ある年の事。
一人の若者がこの菩薩さまに、弟子入りを願い出ました。
この弟子は大変よく働きますし、すこしでも時間があれば、いつもお経をよんでいました。
そして何年もお経をよむうちに、このお坊さんの声はとても美しい声となって、里では評判でした。
ある日、この若い坊さんは、師の菩薩にいいました。
「私はこれから諸国(しょこく)を行脚(あんぎゃ→各地を歩いて修行すること)して、仏の教えをひろめとうございます」
「それは感心な事じゃ」
師の菩薩も、この若い弟子を心からほめて、寺から送り出したのです。
さて、それから三年の月日がながれたころ、熊野の村に、船大工(ふなだいく→船作りの人)たちがやってきました。
この人たちは木を切って船をつくろうと、山の中に小屋を建てて、そこで仕事を始めたのです。
するとどこからともなく、お経を読む声が聞こえてきました。
その声は、少しも休むことなく聞こえてくるのです。
「はてさて、なんと美しい、おごそかな声じゃろう」
「こんな山の中で、ああも一心にお経をよんでおられるとは、とてもすばらしいお方にちがいない」
「ぜひ、お目にかかりたいものじゃ」
と、みんなはおそなえものを持って、山の中をさがして歩きました。
ところが一日中さがしても、その姿は見ることが出来ませんでした。
ガッカリして小屋に帰って来ると、またどこからともなく、お経が聞こえてくるのです。
船大工たちは、それから何度も山中を探しましたが、いっこうに姿を見つけることは出来ません。
それから半年ほどたって、船大工たちは、また山ヘ入っていきました。
すると前と同じように、お経を読む声が聞こえてくるのです。
「どうも、これは不思議なことじゃ」
「なにか、わけがあるにちがいない」
と、またみんなで、山の中をさがして歩きました。
今度も声をたよりに歩きましたが、なかなか見つかりません。
「もしかしたら、川の流れの音が岩山にぶつかって、お経のように聞こえてくるのでは?」
「いや、あれはたしかに、お経をよまれるお坊さんの声にちがいない」
なおも探していると、一行はけわしい岩山に出ました。
「おや? あれは、なんじゃ?」
一人の男が指さした方を見てみると、谷底のしげみの間に、なにか白いものがあります。
谷ヘおりてそばによってみると、なんとそれはガイコツでした。
死んでから何年もたっているとみえて、もう、白い骨が残っているだけです。
盗賊に身ぐるみはがれてここへすてられたのか、それとも、オオカミにでもおそわれたのか。
「ああ、気の毒な事じゃ」
と、みんなで手を合せると、なんとそのガイコツが、大きな声でお経をあげはじめたのです。
船大工たちはビックリすると、あわててその場から逃げ帰りました。
それから三年後、船大工の一人が山寺にたちよって、紀伊菩薩にこの話しをしました。
すると菩薩は、しばらく考えていましたが、
「その仏さまをひきとって、手あつくほうむってあげたいのう」
と、さっそく熊野の山ヘ出かけたのです。
そして菩薩が船大工の小屋のそばヘきた時、菩薩は首をかしげました。
「おお、確かに聞こえる。しかし、この声には聞き覚えが・・・。そうじゃ! この声はわしの寺におって修業の旅に出た、あの弟子の声にちがいない」
菩薩は案内されて谷底へいってみると、そこにはガイコツはありませんでした。
ただ、ドクロが一つ、ゴロンところがっています。
そしてそのドクロの口の中から、あのお経が聞こえてくるのです。
紀伊菩薩も一緒にお経をとなえながら、ドクロの口の中をのぞいてみました。
すると不思議な事に、ドクロの口の中には舌(した)だけがくさらずにまだ残っていて、その舌が動いて、一心にお経をとなえていたという事です。
おしまい
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