2011年 3月30日の新作昔話
左甚五郎の忘れ傘
京都府の民話
むかしむかし、日本一の名工と名高い左甚五郎(ひだりじんごろう)が、京都の知恩院(ちおんいん)というお寺の本堂を完成させた時、それを見た都の人たちが、そのあまりの見事さにこんなうわさをしました。
「さすがは、左甚五郎。見事な出来だ」
「ああ、ここには、一点の欠点もない」
「しかし、あまりにも完全すぎると、それを知った神さまが嫉妬(しっと)して、不幸を起こすと言うぞ」
もちろん、この言い伝えを知っていた左甚五郎は、この仕事がまだ不完全であるかのように見せかけるために、お堂の屋根の瓦を二枚、わざとつけなかったのです。
そしてさらに自分が使っている唐傘(からかさ)を、わざと本堂のわきに置いて帰りました。
さて、本堂が完成してからしばらくして、本堂で偉いお坊さんの話を聞く会がもよおされました。
その日は、あいにくの大雨でしたが、その雨の中をやって来た一人の子どもが熱心に話を聞いていました。
「まだ小さいのに、なかなか信心深い子だ」
話をしているお坊さんは、とても感心して子どもを見ていました。
やがて話は終りましたが、大雨は少しもやむ気配がありません。
そこでお坊さんは、本堂から出ていこうとする子どもに声をかけました。
「この雨では、風邪を引いてしまう。この傘を、持って行きなさい」
そしてそこに立てかけてあった甚五郎の唐傘を、子どもに差し出しました。
すると子どもは礼儀正しく頭を下げて、こう言ったのです。
「わたしは、このご本堂が建つ前からここの草むらに住んでいた、濡髪童子(ぬれかみどうじ)という白ギツネです。
住み慣れた家を奪われて、うらみに思っていましたが、今日、お坊さまのお話を聞いて心を入れ替える事にしました。
うらみは忘れて、これからはこのお寺をお守りします」
それを聞いたお坊さんはびっくりしましたが、にっこり笑って言いました。
「そうか、ありがとう。それならここに祠(ほこら)を建てて、そなたの住む所をつくってやろう」
白ギツネの濡髪童子はうなずいて傘を借りると、降りしきる雨の中を山の方へと帰っていきました。
次の日、お坊さんが朝のおつとめをすませて本堂から出てくると、本堂のわきの軒下に、昨日貸した甚五郎の唐傘がちゃんと置いてありました。
お坊さんはにっこり微笑むと、白ギツネとの約束通り、お寺の境内に小さな祠を建てて、濡髪堂(ぬれかみどう)と名づけたのです。
左甚五郎の忘れ傘は、長い年月に紙が腐って骨だけになってしまいましたが、今でも知恩院の本堂に置いてあるそうです。
おしまい
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