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青の洞門(どうもん)

青の洞門(どうもん)
大分県の民話大分県情報

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 山国川(やまくにがわ)にのぞむ断崖の耶馬渓(やばけい)の競秀峰(きょうしゅうほう)は、むかしから交通の難所として知られていました。
 この絶壁の中腹に青のくさり渡しと言うのがあるのですが、岩壁に沿ってつながれた丸太の上をくさりを伝って渡る物なのです。
 樋田(ひだ)から青へ行くには、どうしても通らなければならない道で、今まで足を踏みはずして命を落とす人馬が数多くいました。
 これはこの絶壁に道を作った、二人の男のお話です。

 岩壁に、いつの頃からか、一人の僧が槌(つち)を振るっていました。
 僧の名は禅海(ぜんかい)といい、かつては江戸で中川四郎兵衛という武士の傭人(ようにん→やとわれた人)として仕える男でした。
 ところがある時、ささいな事で主人を殺してしまい、その罪滅ぼしに禅海という僧になって、諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の旅に出たのです。
 四国の八十八カ所を巡り、九州、豊後の樋田村にたどり着いた禅海は、この絶壁のくさり渡しを見て、
「これこそが、求めておった道。罪を償うのは、ここしかない」
と、洞門を掘る決心をしたのです。
 享保二十年に最初の槌を振るって以来、禅海は毎日洞門を掘り続けました。
 最初は禅海を厄介者扱いしていた村人も、やがて禅海を応援する様になりました。
 そしてそれから五年たち、十年たち、ついに二十五年が過ぎたある日、一人の若者が禅海を探して青の洞門にやって来ました。
 その若者は禅海が殺した、中川四郎兵衛の長男の実之助(じつのすけ)だったのです。
 成長した実之助は、父の敵を討つ為にここにやって来たのです。
「お主が禅海か。以前の名を福原市九郎(ふくはらいちくろう)に相違あるまいか」
 実之助の声に、槌を打つ禅海の手が止まりました。
「いかにも。して、そこもとは」
「それがしは中川四郎兵衛の子、実之助と申す。二十五年前に殺された、父の仇を討ちに来た」
 そう言われて見れば、たしかに父の面影があります。
「おお、中川さまのご子息か。いかにも禅海、そこもとの父をあやめた市九郎に相違ありませぬ。じゃが、何とぞお待ち下され」
 禅海はそう言うと、実之助に深々と頭を下げました。
「なに! このごに及んで命ごいか!」
 怒鳴る実之助に、禅海は静かに言いました。
「いえ、命ごいではありませぬ。ただ、禅海が罪滅ぼしに掘っておる、この洞門が貫通するまでお待ちいただくわけにはいくまいか」
「罪滅ぼしか・・・。噂は聞いておる。では少しでも早く終わるよう、手伝ってやろう」
 その日から、禅海と並んで槌を振う実之助の姿が見られる様になりました。
 仇を討つ者と討たれる者は、ただ黙々と槌を振るいました。
 そして五年後、ついに青の洞門が完成したのです。
 禅海が堀り始めてから三十年目のその日、二人の目には、いくすじもの涙が光っていました。
 禅海は実之助に向き直ると、頭を下げて静かに言いました。
「実之助どの。
 今までよう、我慢してくれた。
 そしてよう、洞門作りを手伝ってくれた。
 心から、礼を言う。
 ・・・さあ、禅海には、もう思い残す事はない。
 約束通り、父の敵の首をお斬りくだされ」
「・・・・・・」
 その言葉に、一度は刀に手を伸ばした実之助ですが、実之助は禅海の手を固く握りしめると、そのまま江戸へ帰って行ったのです。

 現在、この洞門は広く舗装されていますが、しかし壁面には、禅海と実之助の槌の跡が所々に残っているそうです。

おしまい

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