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8月23日の日本の昔話
  
  
  
  なぞなぞばけもの
 むかし、たびの坊さんが、山のふもとの村にやってきました。
   日がくれたので、
  「どうか、こんやひとばん、とめてくださらんか?」
  と、たのんでまわりましたが、どこの家もとめてくれません。
   お寺はないかときくと、
  「あるにはあるが、夜になると、なぞなぞをかけるばけものがあらわれ、なぞがとけんと、いのちをとられてしまう。いままで、なん人の和尚(おしょう→詳細)がころされたかわからん」
   ところが、たびの坊さんは、
  「わしは、なぞなぞが大すきなのじゃ。ばけもののなぞなぞをといて、しょうたいをみやぶってやろう」
  と、村のうら山にある、あれはてた、オンボロ寺へむかいました。
   さて、そのばん。
   坊さんが、お経をとなえていると、なまぐさい風がふいてきて、やぶれしょうじのそとに、顔の長いばけもののかげがうつりました。
   そして、こういったのです。
  「木へんに春の、ていてい小法師(こぼうし)はおるか?」
  「そんなものは、おらん。おまえは、だれじゃ?」
  「トウヤのバズ。わしのしょうたいをあててみい」
  「かんたん、かんたん。トウヤは、東の野原、バズは、ウマの頭。つまり、東野の馬頭。おまえは東の野原でしんだ、馬の頭のばけものだろう。こわくないぞ。ひっこめ!」
   坊さんにいいあてられたばけものは、
  「ヒェーン!」
  と、にげかえっていきました。
   しばらくすると、また、なまぐさい風がふいてきて、やぶれしょうじのそとに、りっぱなひげをはやした、ばけもののかげがうつりました。
   そしてまた、
  「木へんに春の、ていてい小法師はおるか?」
  「そんなものは、おらん。おまえは、だれじゃ?」
  「ナンチのダイリ。わしのしょうたいをあててみい」
  「かんたん、かんたん。ナンチは南の池、ダイリは大きな鯉。つまり、南池の大鯉。おまえは南の池でしんだ、大鯉のばけものだろう。こわくないぞ。ひっこめ!」
   坊さんにいいあてられたばけものは、
  「ヒェーン!」
  と、にげかえっていきました。
   しばらくすると、またまた、なまぐさい風がふいてきて、
   やぶれしょうじのそとに、とさかのある、ばけものがうつりました。
  「木へんに春の、ていてい小法師はおるか?」
  「そんなものは、おらん。おまえは、だれじゃ?」
  「サイチクリンのヘンソクケイ。わしのしょうたいをあててみい」
   こんどはちょっと、むずかしいなぞなぞでしたが、坊さんはあわてません。
  「サイチクリンは西の竹の林、ヘンソクとは一本足、ケイは鶏(ニワトリ)。つまり、西竹林の片足鶏。おまえは西の竹やぶでしんだ、一本足のニワトリのばけものだろう。こわくないぞ。ひっこめ!」
   坊さんにいいあてられたばけものは、
  「ヒェーン!」
  と、にげかえっていきました。
   しばらくすると、またまた、なまぐさい風がふいてきて、
   やぶれしょうじのそとに、りっぱなツノをはやした、ばけもののかげがうつりました。
  「木へんに春の、ていてい小法師はおるか?」
  「そんなものは、おらん。おまえは、だれじゃ?」
  「ホクソウレイバのロウギュウズ。わしのしょうたいをあててみい」
  「なんだ、つまらん。ホクソウレイバとは、北の葬礼場(そうれいば→おはか)。ロウギュウズは、年をとってしんだ、ウシの頭のばけもの。つまり北葬礼場の老牛頭。おまえは北の葬礼場でしんだ、年寄りの牛の頭のばけものだろう。こわくないぞ。ひっこめ!」
   坊さんに、あてられたばけものは、
  「ヒェーン!」
  と、にげかえっていきました。
  「これで、東西南北のばけものがでつくしたから、ねるとするか」
   坊さんが、ひじまくらでゴロリとよこになると、こんどはゆかしたから、なまぐさい風がふいてきて、
  「やい、ぼうず。よくも、わしらばけものなかまのしょうたいをみやぶって、おいかえしたな!」
   頭の大きなばけものが、あらわれでました。
  「おまえは、だれじゃ?」
  「木へんに春のていてい小法師とは、わしのこと。しょうたいをあててみい」
  「かんたん、かんたん。木へんに春とかけば、『椿(つばき)』。ていてい小法師とは、わらをたたく木づちのべつ名。つまり、椿の木でつくられた、木づちのばけものだろう。えーい、こわくないぞ。ひっこめ!」
   坊さんにいいあてられたばけものは、これまた、
  「ヒェーン!」
  と、にげかえっていきました。
   それっきり、ばけものはあらわれません。
   坊さんは朝まで、グッスリとねむりました。
   一夜あけて、坊さんがかねをつくと、村の人たちがおそるおそる集まってきました。
  「ようこそ、こぶじでしたなあ。ばけものたちがあらわれでたでしょう」
  「でたとも。東の野原でしんだウマの頭や、南の池でしんだ鯉や、西の竹やぶでしんだ一本足のニワトリや、北のおはかのそばでしんだウシの頭のばけものが、この寺のゆかしたにすむ、椿の木づちにあいにきたところを、すべて、しょうたいをみやぶって、おいかえした。さあ、それらをのこらずひろいあつめて、ねんごろにとむらってやるとしよう」
   坊さんは、そういって、ゆか板をはがしとりました。
   すると、このお寺をつくるときにつかわれたきり、ゆかしたにおきわすれられていた、椿の木でできた木づちがでてきました。
   人につかわれていたどうぐは、わすれさられたままだと、ばけものになることがあるのです。
   だれにもとむらわれることなく、しんだままのウシやウマや魚やニワトリもおなじです。
   坊さんは、ばけものになったそれらのほねをひろいあつめると、木づちとともにくようしてやり、村の人たちのたのみをうけて、オンボロ寺の和尚さんになることをひきうけたそうです。
おしまい