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福娘童話集 > きょうの新作昔話 > 桂川(かつらがわ)の餅屋の娘
2009年 1月4日の新作昔話
桂川(かつらがわ)の餅屋の娘
京都府の民話→ 京都府情報
むかしむかし、京の町はずれに住むある夫婦に、ようやく赤ちゃんが授かりました。
長い間子どもが出来ず、あきらめかけていた時でしたので、二人はとても喜びました。
さて、お腹の子がそろそろ産まれそうな気配になってくると、男は心配で心配でいてもたってもいられなくなり、丹波(たんば)の老ノ坂(おいのさか)にある子安地蔵(こやすじぞう)に、安産をお願いに出かけていきました。
「子安地蔵さま、どうかわが妻が、無事に子どもを産みますように」
しかしそこへ、別のお地蔵さんがやってきて、
「子安地蔵さま、私の知り合いに難産でひどく苦しんでいる母親がいます。どうか一刻も早くあの苦しみから救ってやって下さいませ」
と、頼みましたので、子安地蔵は、
「はてさて困ったものよ。我が身は一つ、同時に二人の願いを聞いてやることも出来ない。いったい、どうしたものかな」
と、しばらく考えこんでいましたが、
「やはり、苦しんでいる者を先に助けねばならん。先の方、申し訳ないが、ここで待っていて下され」
と、言いおいて、後から来た地蔵さんと一緒に出かけてしまいました。
男は家に残してきた妻のことが気がかりでなりませんでしたが、ここまできた以上、手ぶらで帰るわけにはいきません。
そして、やっと帰ってきた子安地蔵をせきたてるように家へと向かいました。
その途中、子安地蔵はすまなそうな声で、
「実はお前の妻はな、難産の末に子を死産するという運命にあったのじゃ。しかし、多少でも関わりあったが何かの縁、今回は何とか赤児の命を助けてやろう。だがな、その代わりその子は、十八になった年に桂川に命を棒げることになるだろう。すまんが、それだけはわしの力ではどうにもならないのだよ」
と、言いました。
自分の子どもが、十八才で死ぬというのです。
男はびっくりしましたが、それでも今はただ、妻と子の安産を祈らずにはいられませんでした。
急いで家に帰ると、まっ先に妻の寝ている部屋に行き、妻が子安地蔵の約東通り元気な男の子を産んでいるのを確かめると、ほっと胸をなでおろしました。
男の子は二人の愛を一身に受けて、やさしい心のまますくすくと育っていきました。
あまりに元気なその子の様子に、父も母も、子安地蔵の言ったことが間違いであるような気さえしてきました。
そんな時、男は偶然にも、お役所から桂川の守り役を命じられたのです。
(やはり、おれの子どもは十八の年に桂川で死ぬのか?)
再び男は、不安にさいなまされ始めました。
こうなったら、桂川の水に異変がないことを祈るばかりです。
そしてとうとう、男の子は十八才をむかえました。
不思議なことにその日から大雨が降り続き、桂川の水があふれんばかりに水かさを増してきました。
父親は動転しながらも覚悟を決め、桂川に出かけようとした時、息子が声をかけました。
「お父さん、今日はお願いがあるのです。私ももう十八です。りっぱに父さんの代わりがつとまる年ではないですか。 どうか桂川のことは私にまかせて、家にいて下さい」
そう言うなり父親の止める声をふりきって、笠一つもち雨の中を飛び出して行きました。
父親はこれも全て運命だと悟り、妻に息子の最後がきたことを告げました。
そして息子の亡きがらを持ち帰るため、後を追って桂川へと向かいました。
先に出た息子の方は、桂川まで走り通しでしたので、とてもお腹がすいてきました。
そこでまず腹ごしらえをしようと、川のそばにある餅屋に入り、名物の餅をたらふく食べました。
さて代金を払おうとして金額をたずねると、餅屋の娘は、
「はい。百貫です」
と、言うのです。
あまりの金額にびっくりしながらも、持ちあわせのない息子は娘に編み笠を渡して、
「悪いがこれを代金の代わりにとってくれ。そしてもしも私が死んだら、この命、編み笠一枚のものだと思ってほしい」
と、頼みますと、娘は、
「では、私も一緒に連れていって下さい」
と、申し出ました。
息子が、命を失うことにもなりかねないと説得をしますと、娘は意を決したような真剣なまなざしで話し始めました。
「実は私は、桂川の主なのです。今日はあなたのお命をいただくはずだったのですが、あなたのやさしさに心をうたれました。そこであなたを、六十一の年まで生かしてさしあげましょう」
そう言って娘は、桂川に姿を消しました。
その後、桂川にはもとの静かな流れがもどり、息子も六十一才まで病気ひとつしなかったそうです。
おしまい
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