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百物語 第260話

雨の小ぼうず

雨の小ぼうず
京都府の民話京都府情報

 むかしむかし、京の都のある町に、新兵衛(しんべえ)というたいへん気のやさしい商人がいました。
 きものを売る店の主人でしたが、店のほうは息子にまかせて、今は気楽な隠居(いんきょ)の身です。
 好きなうたい(→能や狂言)のけいこに、せいを出す毎日でした。
 その日は、けいこにでかける夕がたになって、雨がふりだしました。
 新兵衛は雨のなかを、となり町までけいこにでかけました。
 けいこがおわったあとに、いつものように仲間たちであつまって、よもやまばなし(→せけんばなし)に花をさかせているうちに、いつのまにか夜がふけてしまいました。
「おや? もうこんな時刻でしたか」
 新兵衛はやっとこしをあげて、仲間の者たちとわかれると、一人だけはんたいの方角の道を家にかえっていきました。
 雨はしとしと、まだふりつづいており、道にはいくつも水たまりができて、ちょうちんの灯に光っています。
 その水たまりをよけながら、うたいの一せつを口ずさんで歩いていると、あるお屋敷の大きな門の下に白いものがみえました。
(はて。なんだろう?)
 ちょうちんの灯をむけながら近づいていくと、門の下に六つか七つばかりの男の子がしょんぼりとたって、足もとにおちる雨だれをみつめていました。
(こんな夜ふけに、この子はなにをしているんだろう?)
 きちんとした身なりをからすると、家のない子ではなさそうです。
 男の子は新兵衛と目があうと、はずかしそうにすぐに目をふせました。
 そして門の下から雨の中へとびだして、新兵衛の家の方向に歩きだしました。
「これこれ。待ちなさい。どこまでいくのじゃな? 雨にぬれてはからだに毒じゃ。ほれ、わたしのかさに入りなさい」
 新兵衛は、男の子のあとを追いました。
 男の子はぴたぴたと、水をふくんだぞうりの音をさせながら、ふりむきもせずに歩いていきます。
「わたしの家は、もうすぐそこだ。遠くまでいくのなら、わたしの家によりなさい。かさをかしてやろう。ひと休みしていきなさい」
 うしろから子どもにやさしく声をかけましたが、子どもがだまったままなので、今度はあれこれとおもいをめぐらしました。
(しょんぼりと門の下にたっていたが、べつにさびしそうな顔はしていなかったな、すると、どこかのお店でほうこうしていて、仕事がおわってからひまをもらったんだろう。これから親もとへかえるのかもしれない)
 そうおもうと、男の子がいじらしくなってきました。
 新兵衛も子どもの頃に苦労して、いまの立派な店を持つ事ができたのです。
「ほれ、ほれ。ぬれていないでお入り」
 新兵衛はかさをのばしながら、前を歩く男の子にいいました。
 男の子はあいかわらずだまって、ぴたぴたぞうりの音をさせています。
 新兵衛の頭のなかに、またちがったおもいがうかびました。
(待てよ。そういえば、雨だれをみつめていたあの目は、何かをおもいつめたような悲しそうな目だったぞ。きっと、この子の父親か母親が病気で、きゅうになくなってしまい、どこぞのお寺さんへでも知らせにいくところかもしれないぞ)
 そうおもうと、新兵衛はますます男の子の事が気がかりになってきました。
 自分の家はもうすぐそこで、大きなスギの木の下の茶屋のかどをまがれば、一丁(いっちょう→百メートル)ほどです。
 新兵衛はかさとちょうちんを、男の子にあたえようとしました。
「わたしの家は、あそこのかどをまがればもうすぐだ。このかさと明りを持っていきなさい。えんりょはいらないよ。ほれ」
 ぴたぴたとぞうりで水をたたきながら歩いていた男の子が、ようやくたちどまって、はじめてふりかえりました。
「・・・?!」
 新兵衛は思わず、いきをのみこみました。
 なんと男の子の顔には、たまごのような三つの目玉と大きな口しかありません。
 カエルのように首はなく、顔がからだとつながっています。
 そのバケモノが新兵衛をみて、ニヤニヤとわらったのです。
「うーん」
 新兵衛はそのまま、気をうしなってしまいました。
 それからしばらくして、新兵衛は正気にかえりました。
 水たまりの中からおきあがると、なげだしたかさとちょうちんがころがっています。
 あまりの事に、それをひろう気力もありません。
 新兵衛はぐっしょりと水をふくんだきものにおしつぶされそうになりながら、ふらふらと歩きだしました。
 よく朝、新兵衛はある大きなお寺の墓場のなかにたおれているところをみつけだされましたが、そのお寺は、新兵衛の家とはまったくはんたいの、山のふもとにありました。
 さいわいなことに、新兵衛はすぐに元気をとりもどしたという事です。

おしまい

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