福娘童話集 > 日本民間故事 > 001-030
第 10話
(日本民間故事 010)
長生きじいさん (健全普通話版)
長壽的老爺爺
・日本語 ・日本語&中国語
むかしむかし、ある村に、とても不思議なおじいさんがいました。
在很久很久以前、就有這麼一個村子、裡面呢、是住的有一位非常非常神奇的老爺爺。
このおじいさんは二メートルもある大男で、たいへんな物知りでした。
這位老爺爺他的個子高高、長達兩米、然後還上知天文下知地理呢。
何をたずねても、すぐに答えてくれるのです。
無論是你要問人家甚麼、人家都能夠是很快的回答上來呢。
おじいさんは自分の家は持たずに、村の大きな家に何日か世話になると、そこを出て、またほかの家に世話になるというくらしをしていました。
可這位老爺爺他有點奇怪、那就是他自己沒有家、人家呀、就是專門去找村裡的大老爺打零時工、包吃包住在人家那、過了幾天呢、出來後就又是換到了一個新個東家家裡去了。
近くの村でも、同じように世話になっていました。
就連是附近的好幾個村子、老爺爺也是都有去他們那這樣幹過呢。
おじいさんの好きなことは、白い紙に字を書くことと、源義経(みなもとのよしつね)が活躍(かつやく)した、むかしの合戦(かっせん)の話しを話して聞かせることです。
現在也就說說這位老爺爺的愛好吧、首先就是寫書法、然後呢、就是說書、他最喜歡說的書那就是關於源義經的那一些打仗事蹟。
その話し方がまた上手で、まるでそこに自分がいて、見てきたように話すのです。
因為老爺爺很擅長這個、這就導致了聽他說書的那些人很是入迷、因為太過於繪聲繪色、甚至都感覺那機場合戰老爺爺他有自己參加過一樣呢。
自分では年を口にしたことはありませんが、このおじいさんは、だれに対しても自分の子どもを呼ぶように、「せがれ」というのです。
雖說這位老爺爺他是從來就沒有主動透露過自己的年齡、可老爺爺他說話對人的語氣、一直都是把對方當做小孩子來對待、稱對方都是“小娃娃”呢。
お寺の和尚(おしょう)さんなどは、百七歳まで生きたのに、やはり「せがれ」といわれて、親しくつきあっていました。
就算是連廟裡的那位方丈呀、人家都是有一百零七歲了都、可人家老爺爺還是在叫作為方丈為小娃娃、小娃娃的呢。
ある時、将棋(しょうぎ)をさしていて、おじいさんはふと、
有一次呢、老爺爺他就和大家一起坐在那裡下將棋、突然呀。
「そうそう、そういえばあの時、正左衛門(しょうざえもん)がな・・・」
對對對、話說當時我還記得、就那正左衛門呀…………
と、二百年も前の人の話しを始めたのです。
一下子這不就直接是扯起了一位兩百多年之人嗎。
不思議なおじいさんでしたが、ある年、ポックリと死んでしまいました。
可雖然人家老爺爺是秘密眾多、不思議極了、但有一年、這位老爺爺也終是迎來了自己的終點咯。
けれども、それから二十年ほどたったある時、村の人が仕事で京の都へ出かけると、そこにはあのおじいさんがいて、いろいろと話をしたというのです。
但是奇妙的故事到這裡還沒有結束、一直就是到了老爺爺已經死去的差不多二十年、村裡面呢、有人這就因工作之故是去了躺京都、然後呀、這裡怎麼會碰到了那位老爺爺呢?而且還又是跟人家說了很多很多的話呢。
それからも、あちこちでこのおじいさんを見たという人が現われました。
而且並非也就只有這一例、之後是很多的人都說在這個地方那個地方又是都給看見了那位死去的老爺爺呢。
このおじいさん、もしかすると、まだ生きているのかもしれませんね。
就這位老爺爺呀、說不定人家就是到了這今天他還是依舊的活在這個世上呢。
※ むかしから長生きをした人の話は多く、江戸時代の書物には、鳥取県の儀左衛門(ぎざえもん)は1841年(天保12)に二百九才の誕生日をむかえたと書かれていますし、愛知県の満平(まんぺい)は、1796年(寛政8)に百九十四才になったと書かれています。
以前呢、就是這種長壽類型的故事它是有很多很多的、根據江戶時代的書籍、在鳥取縣就有一位叫做儀左衛門的、人家是於這1841年給迎來了自己的二百九十歲生日呢、還有就是愛知縣的一位滿平、據記錄、人家是在1796年活到了一百九十四歲。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
長生きじいさん
活的久
むかしむかし、ある村に、とても不思議なおじいさんがいました。
到好久以前、這就一條村裡面一條老杆子、神奇。
このおじいさんは二メートルもある大男で、たいへんな物知りでした。
別個不僅人高馬大、這就有兩米了、還甚麼卵都清楚。
何をたずねても、すぐに答えてくれるのです。
你問他條甚麼狗雞巴、別個都答的上來。
おじいさんは自分の家は持たずに、村の大きな家に何日か世話になると、そこを出て、またほかの家に世話になるというくらしをしていました。
但是老杆子自己也㫘屋啦、就到別個大戶屋裡專門逽包吃包住的事作、這屋不想作了就換一屋繼續作。
近くの村でも、同じように世話になっていました。
屋換完了就換村。
おじいさんの好きなことは、白い紙に字を書くことと、源義経(みなもとのよしつね)が活躍(かつやく)した、むかしの合戦(かっせん)の話しを話して聞かせることです。
這老杆子會寫字、時不時就看到他到寫、再然後就是拉到你強行跟你講源氏跟平家、並且愛吹源義経是如何如何的屌。
その話し方がまた上手で、まるでそこに自分がいて、見てきたように話すのです。
講的好像就全部是他自己親身經歷一樣。
自分では年を口にしたことはありませんが、このおじいさんは、だれに対しても自分の子どもを呼ぶように、「せがれ」というのです。
而且這老杆子只要跟他講話、不管你年紀是好大的、他都喊你小卵日、你和他一樣大別個也幫你小卵日小卵日的喊。
お寺の和尚(おしょう)さんなどは、百七歳まで生きたのに、やはり「せがれ」といわれて、親しくつきあっていました。
廟裡面的和尚跟他是熟識、別個都一百零七了、老杆子還是一口一個娃娃、讓別個和尚都以自己年輕了。
ある時、将棋(しょうぎ)をさしていて、おじいさんはふと、
今天老杆子這就下棋。
「そうそう、そういえばあの時、正左衛門(しょうざえもん)がな・・・」
像是突然想起了甚麼、嘴巴裡面幫正左衛門念到的。
と、二百年も前の人の話しを始めたのです。
這就開始講古了、那傢伙是條兩百多年前的人物了、已經、講自己上次跟他喝茶甚麼甚麼的。
不思議なおじいさんでしたが、ある年、ポックリと死んでしまいました。
老杆子也老啦、有天這就突然的去了。
けれども、それから二十年ほどたったある時、村の人が仕事で京の都へ出かけると、そこにはあのおじいさんがいて、いろいろと話をしたというのです。
但是後面過了個二十年吧、有村裡人講上街辦事幫那條老杆子看到了、還扯了一些卵談。
それからも、あちこちでこのおじいさんを見たという人が現われました。
不止他一個、後面還有好多人也是講自己看到了。
このおじいさん、もしかすると、まだ生きているのかもしれませんね。
這人難道還能活過來不成啦?也許吧。
※ むかしから長生きをした人の話は多く、江戸時代の書物には、鳥取県の儀左衛門(ぎざえもん)は1841年(天保12)に二百九才の誕生日をむかえたと書かれていますし、愛知県の満平(まんぺい)は、1796年(寛政8)に百九十四才になったと書かれています。
這實際上是條長壽的故事、以前書上就記載好多哪個那個活了好幾百年啊、像是鳥取県的儀左衛門啊、講別個過生日、迎來了二百零九歲大壽、還有愛知県的満平啊、也活了個一百九十四。
おしまい
结束
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