福娘童話集 > 日本民間故事 > 001-030 
      第 14話 
         (日本民間故事 014) 
          
         
小盗山(こぬすみやま)と有子山(こありやま) (健全普通話版) 
      小盜山與有子山 
       
      ・日本語 ・日本語&中国語 
      
      今から四百年ほど前、出石(いずし→兵庫県北部)は山名氏(やまなし)の城下町でした。 
        距今約四百年以前、在出石的這個地方、出石呢、它呢就是山名氏的一座城下町。 
         
      室町時代には出石の中心である比隅山(このすみやま)に城を築き、その子どもの時ひろの時代には、全国六十余州のうち、十一ヶ国を山名一族(やまないちぞく)が占めていたそうです。 
      於宮町時代、就在以出石的中心比隅山是被山名氏一族選擇為了其築城基地、在那個未來家主山名時熙還是位天真孩童未誕生多久的期間、山名一族就已做到把全國各地的六十餘洲、其中多達十一領是收入自己的囊中。 
       
      これだけ全盛を極めた山名氏も、だんだんと勢力を失っていき、室町の末の祐豊(すけとよ)の代の頃には、やっと但馬一国が守れる程度になっていました。 
      可即便處於強盛期的山名氏看似是無比的強大、但也終歸還是避免不了最後的衰退與消亡、等時間來到了室町時代末期、山名家到了祐豊這一代時、能守住的最終也就只有是但馬這最後一國而已了。 
       
      ところでこの祐豊には二人の男の子がいましたが、二人とも若くして死んでしまったのです。 
      況且再說說這位祐豊家主吧、雖說家裡是誕生了兩位小孩、但兩位孩子就都是在年紀輕輕夭折。 
       
      そこで祐豊の隠居後は、氏政(うじまさ)が城をついだのですが、不幸なことに、いつまでたっても世継の子どもが出来ません。 
      再到後來的祐豊隱居、新家主氏政擔任家督之位、可不幸的是、這位又是香火不旺、導致遲遲不見子嗣。 
       
      そこであるとき、氏政は易者を呼んで占わせました。 
      於是乎、這就是這個時候呀、氏政他是給自己請了位天師卜上了一卜。 
       
      すると易者は、 
      天師呢。 
       
      「比隅城は場所が悪い、半里ほど南の山に城を移せばよいでしょう」 
      是比隅城這地方風水不好啦、往南邊移個半里、新城就直接選在南山吧、那是個風水寶地。 
       
      と、いうのです。 
      是這樣說道。 
       
      天正二年、さっそく言われた通りに新しい城を築くと、まもなく子どもが生まれました。 
      天正二年、和天師說的一樣、這新城一好吧、還就真是立馬一位小孩子就給是誕生了。 
       
      それからいうものは、不運の続いた比隅山を『小盗山』と呼び、新しく城を築いて子どもの生れた山を『有子山』と呼ぶようになったのです。 
      後來呢、也就是漸漸的流傳出了這樣的一個傳言、那就是比隅山他壞運連連、是一座倒霉山、大家這就都給它改了個名字、叫“小盜山”了、而新城的那個山因為喜得貴子、所以呢、人家就給這座山是叫成了“有子山” 
      おしまい 
        结束 
         
        ↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓ 
         
        小盗山(こぬすみやま)と有子山(こありやま) 
        遷都 
      今から四百年ほど前、出石(いずし→兵庫県北部)は山名氏(やまなし)の城下町でした。 
        距今差不多四百多年前吧、山名氏藩王的居城就坐落到出石。 
         
室町時代には出石の中心である比隅山(このすみやま)に城を築き、その子どもの時ひろの時代には、全国六十余州のうち、十一ヶ国を山名一族(やまないちぞく)が占めていたそうです。 
最中心的位置天守過就到那裡建到的、到時就是望族中的望族、地盤大了個卵脬翻天、不止出石這一座城、而是土地相鄰的十一個藩。 
 
これだけ全盛を極めた山名氏も、だんだんと勢力を失っていき、室町の末の祐豊(すけとよ)の代の頃には、やっと但馬一国が守れる程度になっていました。 
但這也就是全盛時期才有的了、戰國時期大家討來討去、贏的人擴、輸的人削、等到了室町時代、傳到祐豊這代的時候過就只有但馬這最後一片土了。 
 
ところでこの祐豊には二人の男の子がいましたが、二人とも若くして死んでしまったのです。 
好不容易有了兩個小兒啦、但過好小就都死了去。 
 
そこで祐豊の隠居後は、氏政(うじまさ)が城をついだのですが、不幸なことに、いつまでたっても世継の子どもが出来ません。 
也是講保全自己身家、早點退了、換上了後面的氏政、但這傢伙過也是久不見子嗣。 
 
そこであるとき、氏政は易者を呼んで占わせました。 
すると易者は、 
人這就逽了個風水師傅問了個卦、講這是條甚麼案? 
 
「比隅城は場所が悪い、半里ほど南の山に城を移せばよいでしょう」 
師傅就講這地方風水不好、這出石正中就是比隅山、你又是到山中下城、自有障礙。 
 
と、いうのです。 
這就喊人幫都遷了。 
 
天正二年、さっそく言われた通りに新しい城を築くと、まもなく子どもが生まれました。 
新王這就起了新城、天正二年、城下了、兒馬上也是有了。 
 
それからいうものは、不運の続いた比隅山を『小盗山』と呼び、新しく城を築いて子どもの生れた山を『有子山』と呼ぶようになったのです。 
後面就都講這比隅山不好啊、藩王後面建城的山旺啊、幫新城坐落的山過就改口喊成了有子山、而不曉得為甚麼比隅山是被人改口喊成了小盜山。 
      おしまい 
          结束 
         
        (回到上一页) 
         
        
 
     |