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      第 14話 
          
          
         
小盗山(こぬすみやま)と有子山(こありやま) 
兵庫県の民話 → 兵庫県情報 
       
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       今から四百年ほど前、出石(いずし→兵庫県北部)は山名氏(やまなし)の城下町でした。 
 室町時代には出石の中心である比隅山(このすみやま)に城を築き、その子どもの時ひろの時代には、全国六十余州のうち、十一ヶ国を山名一族(やまないちぞく)が占めていたそうです。 
 これだけ全盛を極めた山名氏も、だんだんと勢力を失っていき、室町の末の祐豊(すけとよ)の代の頃には、やっと但馬一国が守れる程度になっていました。 
 ところでこの祐豊には二人の男の子がいましたが、二人とも若くして死んでしまったのです。 
 そこで祐豊の隠居後は、氏政(うじまさ)が城をついだのですが、不幸なことに、いつまでたっても世継の子どもが出来ません。 
 そこであるとき、氏政は易者を呼んで占わせました。 
 すると易者は、 
「比隅城は場所が悪い、半里ほど南の山に城を移せばよいでしょう」 
と、いうのです。 
 天正二年、さっそく言われた通りに新しい城を築くと、まもなく子どもが生まれました。 
 それからいうものは、不運の続いた比隅山を『小盗山』と呼び、新しく城を築いて子どもの生れた山を『有子山』と呼ぶようになったのです。 
      おしまい 
         
         
         
        
 
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