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第 41話
切戸(きりど)の文珠(もんじゅ)と北野(きたの)の文珠(もんじゅ)
京都府の民話→ 京都府情報
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むかしむかし、京都の北野の文珠(もんじゅ)さんが天の橋立(あまのはしだて)にやってきて、切戸(きりど)の文珠さんを訪ねました。
北野の文殊さんは、景色が良くて毎日繁盛している切戸の文珠さんがうらやましくてなりません。
そこでなんとかして、切戸の文珠堂に住める方法はないものかと考えました。
ところが一方、切戸の文珠さんも一度でいいから京へ出かけて学問をしたいと考えていて、ついでに北野の文珠さんの繁昌ぶりも見たいと思っていたのです。
二人はお互いに自慢話をしながらも、心の中では相手をうらやましがっていたのでした。
それから数日後、北野の文珠さんから切戸の文珠さんへ手紙が届きました。
「先日は色々とお世話になりました。ぜひ一度、北野へも来てください。日頃は忙しいので、暇な正月の二十五日に来てくださればと思います」
そこで切戸の文珠さんは、一月二十五日に京都へ行ったのです。
そして行ってみて、切戸の文珠さんはびっくりしました。
手紙の内容とは違っていて、北野の文珠さんには参詣(さんけい)の人々が大勢いるのです。
切戸の文珠さんは、
(暇なときでも、こんなに繁盛しているとは)
と、北野の文殊さんがうらやましくなり、とうとうお堂がえの話しを持ち出しました。
「北野の文珠さんよ、なんとかあんたとわしと入れ替わりが出来ないものかのう」
この話しを聞いた北野の文殊さんは、
(しめしめ、うまく引っかかったぞ)
と、心の中では喜びながら、しかし、仕方ないなという顔をしながら、切戸の文殊さんの願いを聞き入れたのです。
そして切戸の文殊さんは北野へ、北野の文珠さんは切戸へと入れ替わりました。
切戸の文殊さんは京の都に住めるし、お賽銭(さいせん)もたくさんだと大喜びです。
ところが、翌日のこと。
北野に来る参詣人が、だんだん減ってきたではありませんか。
その翌日も、そのまた翌日も、だんだんとお参りに来る人が少なくなっていきます。
不思議に思って、近所の人たちにたずねてみると、
「ああ、北野さんがにぎわうのは年にたった一度、正月の二十五日だけです。それ以外の日は暇なもんですよ」
と、言うではありません。
「なに! さては、一ぱいくわされたか」
切戸の文珠さんは、じだんだをふんでくやしがりました。
でも、せっかくはるばる京都へやってきたからには、ここで頑張ろうと思い直し、一生懸命に学問にはげんで、立派な文珠さんになったということです。
おしまい
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