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5年生の日本昔話
たいこもちと三つ目の大入道
むかしむかし、江戸(えど)でたいこもち(→たいこをたたいたり、芸をしたりして、えんかいを盛り上(もりあ)げる事を仕事にしている人)をしている富八(とみはち)が、
「まい日まいばん、おきゃくのごきげんとりで、クタクタだ。おれだって、たまにはいきぬきに、箱根(はこね)のおんせんにでもいってくるかな」
と、東海道(とうかいどう)をのぼっていきました。
さて、そのかえり道のこと。
すっかりと、いきぬきをした富八(とみはち)が、箱根のさか道をあるいていくと、
「おい、まて!」
うっそうとしたスギの木だちから、よびとめるものがありました。
「だっ、だれだ?」
と、ふりむけば、三つ目の大入道がヌーッとあらわれ、三つ目をグワーッと見ひらいて、おどしにかかりました。
なみの男なら、きもをつぶしてにげだすところですが、富八(とみはち)は、客あしらいのうまさで、身をたてているたいこもちです。
ちょっとやそっとでは、おどろきません。
とりあえず、ばけものにだまされないおまじないにと、まゆ毛につばをぬってから、
「よよっ、だれかとおもえば、三つ目さんじゃありませんか。どうも、お顔が見えねえとおもったら、こんな山のなかにひっこんでいたんですかい。まったく、やぼというか、ものずきというか、いやはや、あきれたおかただ」
三つ目の大入道は、冨八(とみはち)のいきおいにのまれて、
「そういうおまえは、だれだったかなあ?」
「いやですな、たいこもちの富八(とみはち)をおわすれだなんて。おひとが悪い。ひところは、ずいぶんとひいきにしてくださったじゃありませんか。ねえ、そうでしょう」
こういわれると、しらないとはいえません。
「そうそう、富八(とみはち)だったな」
ていさいをつくろって、むりに話をあわせました。
こうなればもう、富八(とみはち)のペースです。
(こいつを江戸(えど)へつれだして、みせもの小屋へうりとばせば、ひともうけできるわい)
と、たくらんだ富八(とみはち)は、ことばたくみに、三つ目の大入道を江戸(えど)へさそいました。
「ねえ、ねえ、三つ目さんや。こんな山のなかで、人をおどかしてみたところで、一文にもなりゃしないですよ。そんなつまらないくらしはやめにして、どうです、花のお江戸(えど)へきてごらんなさいな。あんたくらい、めずらしいお顔をしていれば、ほうぼうからおよびがかかって、あっちからも小判(こばん)、こっちからも小判(こばん)、そっちからも小判(こばん)と、小判小判(こばんこばん)のお山ができますよ。ゆうれいのきれいどころだって、ほうってはおかないよ。いや、にくいね、色男。金に女に、かー、こりゃあ、たまらないねえ」
「ほっ、ほんとですかい?」
「この富八(とみはち)、うそとぼうずの頭は、ゆったことがねえのがじまんなんです。ささっ、けっして、けっして、わるいようにはいたしませんて。人生はだれでも一度きり、だんな、ここが人生の勝負時ですぜ」
富八(とみはち)のちょうしのよさに、三つ目の大入道はついつい、道をいっしょにしましたが、どうかんがえても、話がうますぎます。
小田原(おだわら→神奈川(かながわ))のあかりがみえるあたりまでくると、富八(とみはち)の話をあやしみだして、たちどまりました。
「おや、三つ目のだんな。いったい、どうしたんですか?」
富八(とみはち)がふりかえると、三つ目の大入道は、人にだまされないおまじないに、まゆ毛につばをぬっておりました。
おしまい
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