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5年生の日本民話
娘(むすめ)の生まれかわり
東京都の民話
♪音声配信(html5) |
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朗読者 : エクゼムプラーロ |
むかしむかし、江戸(えど→東京都)の神田(かんだ)の町に、善八(ぜんぱち)という旅の好きなお年寄(としよ)りがいました。
ある年の春の事、旅にでた善八(ぜんぱち)が大阪(おおさか)から奈良(なら)にむかっていると、十六、七の娘(むすめ)が走ってきて、善八(ぜんぱち)の前までくると、バッタリとたおれてしまったのです。
ビックリした善八(ぜんぱち)は、あわてて娘(むすめ)をだきおこそうとしましたが、娘(むすめ)はすぐに気がついて、こんな事を話しはじめたのです。
「わたしは、伊勢(いせ)の染(そめ)もの屋の娘(むすめ)です。おつかいの帰りにならず者たちにつかまって、大阪(おおさか)へ売られるところでした。すきを見て、ここまで逃(に)げてきたのです。どうかお助けください」
娘(むすめ)はなみだをふきながら、そういうのでした。
このままでは、いつならず者たちがやってくるかわかりません。
善八(ぜんぱち)は次の宿場(しゅくば)でカゴ屋をたのむと、娘(むすめ)を家までおくっていきました。
娘(むすめ)の両親は喜んで善八(ぜんぱち)を家にとめて、たいへんなもてなしをしてくれました。
次の日の朝、善八(ぜんぱち)が旅のしたくをしていると、元気になった娘(むすめ)がやってきていいました。
「ご恩(おん)を忘(わす)れないためにも、ぜひ、何か身につけているものをわたしにください。それをあなたさまと思って、朝夕、感謝(かんしゃ)をこめておがみ、お礼をもうしあげたいのです」
と、いうのでした。
「そうかい。と、いっても、これぐらいしかないが」
善八(ぜんぱち)はお守りの袋(ふくろ)に入れてある、浅草(あさくさ)の観音(かんのん)さまの紙のお札(ふだ)を娘(むすめ)に手わたしました。
そして奈良(なら)へはいかずに、江戸(えど)へもどってきたのです。
すると、るすのあいだに、息子のお嫁(よめ)さんが男の子をうんでいました。
善八(ぜんぱち)が帰ってきた日は、ちょうど初孫のお七夜(しちや)でした。
ところがどうしたことか、孫は生まれたときから左の手をにぎりしめたまま、泣きつづけているというのです。
「どれどれ。なぜ、そんなに泣くのじゃ。ほれっ、わしがおじいちゃんだよ」
善八(ぜんぱち)が泣き続ける孫をだきあげると、ふしぎなことに孫はピタリと泣くのをやめて、にぎりしめていた赤い手をひらいたのです。
「おや、なにか持っているぞ。はて。これはなんじゃな? ・・・ああっ!」
孫が手の中ににぎっていたのは、なんと浅草の観音さまの紙のお札です。
善八(ぜんぱち)が伊勢(いせ)の染(そ)めもの屋の娘(むすめ)に手わたした、あのお守りの紙のお札でした。
善八(ぜんぱち)が持っていたものと、はしのやぶれ方も同じです。
善八(ぜんぱち)はビックリして、旅でのできごとを家の者たちに話しました。
あまりにも不思議な事なので、すぐに娘(むすめ)に手紙を書きますと、おりかえし染(そめ)もの屋から返事がきました。
娘(むすめ)の両親からの手紙には、こともあろうに、善八(ぜんぱち)が帰ってまもなく、娘(むすめ)はきゅうな病で亡(な)くなったと書かれていました。
後から調べてみると、娘(むすめ)が息をひきとった明け方の五時は、善八(ぜんぱち)の初孫が生まれた時刻(じこく)とピッタリ同じです。
「この子は生まれる前の世で、あの娘(むすめ)からこのお札を手わたされたんだ。この子は男の子だが、あの娘(むすめ)の生まれかわりかもしれない」
善八(ぜんぱち)はそう言うと、ジッと初孫の顔をみつめていたという事です。
おしまい
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