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第 34話
大力次郎
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むかしむかし、長崎の町の矢上橋(やがみばし)の近くに、樋口次郎(ひぐちじろう)という、それはそれは強い大将がいました。
なにしろ大の男が五人かかって運ぶような大岩でも、一人で軽々とかついでしまうのです。
それというのも、次郎の母親は次郎を身ごもったとき、
「弓も矢も歯がたたない、丈夫な男の子をお授け下さい」
と、毎日神さまにお願いしながら、鉄の粉ばかりを食べていたのです。
こうして生まれた次郎は、体は鉄のように硬くて強く、知恵にもすぐれていたのです。
やがて大将になった次郎は、刀も弓矢も歯が立たないので向かうところ敵なしです。
そんなあるとき、敵の大将は、
「今度こそ、何としてでも次郎を討ちとりたい」
と、言って、大将は自分の家来を次郎の母親の行かせました。
そして、
「御子息の次郎殿は、相手として不足のない武将でござった。しかし今度の戦いで、とうとう討ち死になされてしまいました。まことに惜しいことでござる」
と、言わせたのです。
これを聞いた母親は、その言葉を信じて、つい、
「ああっ、わたしが悪いんだ。次郎の体は鉄のように硬かったのですが、わたしは次郎を身ごもったとき鉄の粉を食べながら、ただ一度、うっかりウリを食べたことがございました。そのせいか次郎の右脇腹に一カ所だけ、梅干しほどの大きさの柔らかいところがあったのです。かわいそうに、きっとそこに傷を受けてしまったのでしょう」
と、誰も知らない次郎の弱点を言ってしまったのです。
この事を知った敵の大将は、その次の戦で次郎の右脇腹に的をしぼり、弓矢を放ちました。
すると今まで弓矢をはじいていた鉄の体に、弓矢が深々と突き刺さったのです。
こうして不死身の次郎も、ついに討ちとられてしまいました。
その後、次郎の霊をあわれんで、小さな社が建てられました。
その社も今はありませんが、ただ次郎の住んでいた矢上橋の近くに、『樋口渡瀬(ひぐちわたりせ)』という地名の残っているそうです。
おしまい
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