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第 47話
(日本民間故事 047)
タマゴから生まれたお坊さん (健全普通話版)
方丈產於蛋
・日本語 ・日本語&中国語
むかしむかし、行基(ぎょうき)というえらいお坊さんがいました。
在很久很久以前、就有著這麼一個叫做行基的了不起和尚。
行基は生まれ故郷である大阪やその近くで、弟子やたくさんの信者(しんじゃ)たちと一緒に橋や道などをなおしました。
行基在出生的故鄉大阪以及周邊之地、在這些地方都是帶有一群跟隨自己的弟子以及行者們到處的這裡那裡是修橋鋪路做善事呢。
また、まずしい人たちのために無料の宿泊所(しゅくはくじょ)をつくり、その数だけでも三十にのぼったといいます。
不僅僅就是這一個善舉、行基的團隊還會免費的會那些因為窮而沒地方住的人提供免費的旅館呢、就這些個旅館數量加起來竟都有三十多所。
多くの人たちのしあわせと、世の中のためにつくした行基は、五十七歳になった天平十七年(七四五年)、お坊さんで一番高い位の大僧正(だいそうじょう)をさずけられました。
力爭讓所有人都能過上這幸福日子、匡扶世間道義的行基呀、於五十七歲的天平十七年、被授予是一個和尚裡最高等級大僧正稱號的這樣一個殊榮。
橋などがこわれて人々がこまっているときくと、すぐにそこへでかけていって修理をします。
只要這邊的情報網一聽見哪哪的橋又壞掉了村民們著急了呀、那這邊就是趕快的跑過去給人進行一個是慈善搶修呢。
行基がいくところ、いつも千人もの信者たちがあとにつづいて、工事を手伝っていたといわれています。
每當只要是這大人物行基一走到頭、那就一直得是至少有一個一千人隨著者的隊列後頭跟著呢、畢竟這人多力量大呀、有個甚麼工程都是會一起出力的呢。
さて、行基がふるさとに帰ったときの事です。
行啦、現在也就說說有一次行基他回鄉、然後在這裡發生的一個奇妙插曲。
池で魚をとって食べていた若者たちが、
有一群年輕人呢、這時是從池子裡面搞上來了一些魚在吃。
「お坊さんというのは生の魚を食べないものだというが、どうだ。ためしてみよう」
聽說這和尚慈悲不殺生、所以這魚就也吃不了、要不我們試他一試、看他是真不吃還是假不吃。
と、イタズラを思いたちました。
這群年輕人呢、就想到了一個這樣的惡作劇。
そして行基に、魚をうすぎりにしてお酢につけたなますをつくってすすめました。
想到鱠不厭細、又是給魚切成了薄薄的一片連醬油也給人行基大師備好了送了過去。
行基はいただいてお礼をいうと、そのなますを口にいれてかんでから、すぐにかたわらの池へいってはきだしました。
行基收下了眼見是如此的一份大禮、還真就是開始受用的把魚片是放在嘴裡給嚼了起來、但也就是象徵性的嚐上了一口、因為很快、行基他是全吞了、吞在了周邊原本是魚兒所在的那個池塘之中。
するとなますは、たくさんの小さな魚になって水の中を泳ぎだしたのです。
而也就是這一口吐下去、竟然是驚見了魚肉入池遇水後、化身成為了一條條活生生的小魚。
ビックリした若者たちは、自分たちがしたイタズラをはずかしく思い、行基に心からあやまったのでした。
這一幕可讓年輕人們是驚呆了呀、一想到這不自己的壞把戲真整蠱到了真正的大師、連忙是真心實意的端正了態度像行基端老實道起歉來了。
さて、この行基というお坊さんは、ふつうの赤ちゃんよりも二か月も長く、お母さんのおなかにいて、やっと生まれたといわれます。
再就現在又說說、這位大師行基、自從他是打母胎裡出生、光時間上就與常人有差、母親生下這個孩子的時候呀、還多懷了兩個月的胎才終於是把這個孩子給自己生下來。
それと不思議な事に、生まれるときにお母さんのおなかの中からでてきたのは、なんと丸いタマゴだったのです。
但就是十分的不可思議呀、最後母親辛辛苦苦的從肚子裡面生出個的一個玩意、竟發現了是一個圓圓滾滾的大蛋。
両親はおどろきましたが、かといって、そのタマゴをすてるわけにもいかず、鉢(はち)にいれて家の門の前にあるエノキの木の枝につるしておきました。
畢竟出這事那還是頭一回、行基的父母兩人全驚了、可你說這咋辦吧、現在肚子裡面出來個蛋這樣的玩意也不能是把它給扔了呀、家裡就是呢取了個缽頭、把蛋裝裡面是在家門前的那顆榎樹上給掛上去了。
そして夕方になると、そのタマゴから赤ちゃんの泣き声がきこえてきたのです。
然後又是等時間來到了這黃昏時分呀、自家門口的掛蛋的地方是嬰兒的一陣哭聲給傳過來了。
両親が赤ちゃんを家の前にすてていった人がいるのかと思って、いそいでいってみると、木の枝につるした鉢の中の卵がわれて、男の赤ちゃんが生まれていたという事です。
行基的父母就這時還在想是不是自家門前有人把棄嬰給扔掉了呀、可過來一看過、可不就是自己早上掛樹上的那個缽頭、裡面的大蛋是破了殼、從裡面給生出來了個小男孩嗎。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
タマゴから生まれたお坊さん
行基
むかしむかし、行基(ぎょうき)というえらいお坊さんがいました。
到好久以前、有條有名字的和尚喊行基。
行基は生まれ故郷である大阪やその近くで、弟子やたくさんの信者(しんじゃ)たちと一緒に橋や道などをなおしました。
行基混起來後、也是講帶到自己弟子跟信徒修個功德、積點福報、這就來了自己出生之地、搞甚麼啦?鋪路修橋。
また、まずしい人たちのために無料の宿泊所(しゅくはくじょ)をつくり、その数だけでも三十にのぼったといいます。
還自己出錢起了一些個旅館、免費接濟那些個困難的傢伙、講一些個是因為總數都是三十以上了。
多くの人たちのしあわせと、世の中のためにつくした行基は、五十七歳になった天平十七年(七四五年)、お坊さんで一番高い位の大僧正(だいそうじょう)をさずけられました。
這就大家都不曉得甚麼是佛、認為對自己好的那就是佛、行基這接濟的人又多、這些個傢伙一致推舉、天平十七年、五十七歳的行基活佛的這個稱號也就下落來了。
橋などがこわれて人々がこまっているときくと、すぐにそこへでかけていって修理をします。
但實際上行基能獲此殊榮、多是跟他喜歡修橋(助人)有關、天天反正就守到橋爛的、就等到開始修了。
行基がいくところ、いつも千人もの信者たちがあとにつづいて、工事を手伝っていたといわれています。
常人認為這行基心善、地位又高、所以他就是菩薩、跟到他的人不是一般的多、走哪裡去都是上千條小弟自己跟到的、一停、那就肯定是要修條甚麼東西了。
さて、行基がふるさとに帰ったときの事です。
池で魚をとって食べていた若者たちが、
「お坊さんというのは生の魚を食べないものだというが、どうだ。ためしてみよう」
と、イタズラを思いたちました。
這就講行基有日回去了舊里後發生的插曲、幾天年輕人搞上來了池子裡面魚烤起來吃、看來了條和尚就想日弄一下子。
講和尚不殺生、但是這魚香啊、試一口啊?
そして行基に、魚をうすぎりにしてお酢につけたなますをつくってすすめました。
這就讓人沾醬油來一口了。
行基はいただいてお礼をいうと、そのなますを口にいれてかんでから、すぐにかたわらの池へいってはきだしました。
行基也是先感謝別個跟自己過魚、這就象徵性的嘴巴裡面嚼了幾口、但後面又是一吐啦、直接還回魚塘了。
するとなますは、たくさんの小さな魚になって水の中を泳ぎだしたのです。
這就怪奇、一口死魚肉落去、池中瞬間是成群結隊的魚苗出來。
ビックリした若者たちは、自分たちがしたイタズラをはずかしく思い、行基に心からあやまったのでした。
幾個年輕人一下驚了、看到行基有真本事、也是馬上過來叩拜、講自己失了禮數、不該日弄和尚吃魚。
さて、この行基というお坊さんは、ふつうの赤ちゃんよりも二か月も長く、お母さんのおなかにいて、やっと生まれたといわれます。
這就又講這行基的出生時啦、別個是十月、他要十二個月、這就多到了自己媽肚子裡面二個月這才肯蹦出來。
それと不思議な事に、生まれるときにお母さんのおなかの中からでてきたのは、なんと丸いタマゴだったのです。
而且當時這行基他媽不是產嬰啦、而是下蛋、這就十二月懷胎一條大雞蛋過出來了。
両親はおどろきましたが、かといって、そのタマゴをすてるわけにもいかず、鉢(はち)にいれて家の門の前にあるエノキの木の枝につるしておきました。
一看這好傢伙不行啦、怎麼是條蛋哦?但怎麼也是自己生的啦、過就放到條鉢頭裡面、幫他吊到門前的樹上。
そして夕方になると、そのタマゴから赤ちゃんの泣き声がきこえてきたのです。
直到了黃昏、鉢頭裡面小兒的哭聲聽到了。
両親が赤ちゃんを家の前にすてていった人がいるのかと思って、いそいでいってみると、木の枝につるした鉢の中の卵がわれて、男の赤ちゃんが生まれていたという事です。
行基娘老頭當時還以為是那個不要的棄嬰甩自己門口的、實在㫘想到是自己掛樹上的蛋、這篇到底講了個甚麼啦?就是講行基好屌、別個不僅屌還是條卵生啦。
おしまい
结束
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