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第 323話
解毒丸
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むかしむかし、江戸に、塙宗悦(はなわそうえつ)という医者がいました。
塙家は代々江戸幕府に仕える家柄で、大変な名医として知られています。
そして塙家が作る解毒丸(げどくがん)と言う薬が万病に効くので、遠くの人がわざわざ買いにくるほどでした。
これはその解毒丸誕生にまつわる、不思議なお話です。
塙家の先祖は備前の国(びぜんのくに→佐賀県)唐津の人で、やっぱり塙宗悦といい、名医との評判が江戸幕府にも知られていたので江戸へ招かれる事になりました。
喜んだ宗悦は妻と一人娘、それに二人の使用人を連れて江戸行きの船に乗りました。
海はおだやかで何事もなく江戸に到着すると思われましたが、筑紫(つくし→福岡県)の海を通る時、急に空が曇ってきたかと思うと静かだった海が激しく荒れ出したのです。
「みんな頑張れ! 折れた帆をたたむんだ!」
船乗りたちは力を合わせて必死でろをこぎますが、船は波間を漂うばかりです。
「こうなれば人柱をたてて、海の神に無事を祈るしかない!」
船乗りの親方は、荒れ狂う波を見てそう言いました。
人柱というのは、みんなの身代わりとなって海へ飛び込み、海の神の怒りを沈めるむかしの怖い考え方です。
人柱となった人は、もちろん生きては戻れません。
「誰か、人柱になってくれる者はいないか。さもないと、船もろとも、みんな沈んでしまうぞ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
船乗りの親方の言葉に、誰も答えません。
そこで船に乗っている者が持ち物の衣類や手ぬぐいを海に投げ捨てて、一番早く沈んだ者が人柱になる事にしたのです。
(どうか、わたしの持ち物が沈みませんように)
誰もが心の中で祈りながら、衣類や手ぬぐいを投げました。
すると宗悦の娘の小袖だけが、あっという間に波の中へ引き込まれてしまったのです。
(そんな馬鹿な!)
宗悦も妻も、顔が蒼白になりました。
可愛い娘を犠牲にするくらいなら、自分が身代わりになって海へ飛び込んだ方がましです。
しかし海の神が娘の人柱を望んだので、身代わりになるわけにはいきません。
「あの小袖は、どなたの物か?」
船の親方が言うと、娘が手をあげました。
「わたくしの物です。覚悟は出来ています」
宗悦は、歯ぎしりをしてくやしがりました。
「なんたる事だ」
娘はまだ十七歳で、町でも評判の器量よしです。
そのうえ気立てが良くて親孝行なので、両親にとっては何者にもかえがたい宝物です。
娘は無理に笑顔を作ると、両親に向かって言いました。
「これまで育てていただいて、本当にありがとうございました。どうぞ、無事に江戸まで行けますように」
そして娘は手を合わせると、荒れ狂う海にその身を投げたのです。
両親は声を限りに娘の名を呼びましたが、やがて娘は波の中に消えてしまいました。
船に乗り合わせた人たちも、思わず手を合わせて娘の成仏を祈りました。
すると不思議な事に、あれほど激しかった風がピタリとやんで波が静かになったのです。
「娘さんのおかげで、みんなが助かりました」
船乗りの親方は両親に頭を下げましたが、二人はただ泣き崩れるばかりです。
その時、海の中からあの娘が姿を現しました。
「あれは、娘さんの幽霊」
船に乗っている人たちは、誰もが驚いて娘を見つめました。
宗悦も奥さんも娘に何かを言おうとしましたが、声が震えて言葉になりません。
すると娘は海の上を歩くようにして、両親のいる船べりへと近づいて来ました。
「お父さん。お母さん。もう悲しまないでください。
今日までのご恩は、決して忘れません。
わたしは、あなたたちの娘として生まれましたが、じつは竜の娘なのです。
今、ふたたび竜宮に帰る時が来ました。
長い間お世話になったお礼に、これをさしあげます」
娘は小さな包みを船に投げ入れると、そのまま海の中に消えてしまいました。
宗悦が包みをあけると、中には丸薬とともに作り方を書いた手紙が入っていました。
やがて江戸幕府お抱えの医者となった宗悦が、この丸薬を作って試してみると、それがどんな病気にも効く万能の薬だったのです。
そこで宗悦はその丸薬を『解毒丸』と名づけ、塙家の秘宝の薬として代々伝える事にしました。
また、竜の娘の力なのか、船や船の荷物に『塙宗悦』と書いておけば、どんな嵐にあっても船は沈む事がなかったと言われています。
おしまい
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