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百物語 第八十九話
首なしウマの行列
福井県の民話
むかしむかし、越前の国(えちぜんのくに→福井県)の城下町(じょうかまち→城を中心に発展した町)にすむ人たちは、毎年四月二十四日になると、日がくれた後はけっして外へは出なかったといいます。
それというのも、この日の夜の亥の刻(いのこく→午後十時ごろ)近くになると、城下を流れる川にかかった九十九(つくも)橋の上に、火の玉が現れるというのです。
火の玉は、一つではありません。
つぎつぎと現れては数をふやし、やがて橋の上いっぱいになって、あわただしくとびかうのです。
この火の玉たちは、なんでも秀吉にほろぼされた城主(じょうしゅ)、柴田勝家(しばたかついえ)の家臣(かしん)たちの亡霊(ぼうれい)だということです。
さて、橋の上にあつまった火の玉のむれは、いったんいっせいにきえると、今度はそこから亡霊たちの行列が町へくりだしていくのです。
亡霊たちは白いもやのように、地面から一メートルばかりのところに現れます。
そしてフワリフワリと行進をはじめるのですが、全員がよろいにかぶとをかぶった武者のいでたちで、ウマにのっています。
そのウマも、ウマ上の武者もまっ白で、よろいも、かぶとも、ヤリも、刀も、全てがまっ白なのです。
ところで、武者たちののっているウマは、なぜか首がありません。
首のないウマにのったまっ白の軍団は、夜どおし城下の町をねり歩き、夜明けとともにきえていくのですが、この行列にであったものは、見た事を決して他人に話してはいけません。
話しをすれば、たちまち血をはいて死んでしまうというのです。
ある年の事です。
一人の老婆(ろうば)が、若いころにつかえていた水野(みずの)という侍(さむらい)のやしきをたずねました。
つもる話しをしているうちに、時のたつのもわすれて、いつか夕がたになってしまいました。
「ひさしぶりにたずねてきたのだから、今日はゆっくり夕食をして、とまっていったらいい」
家の人にいわれて老婆もその気になりましたが、夜になると急に用事を思い出して、家にかえるといいだしたのです。
城主だった柴田勝家が秀吉にほろぼされてから、もう百年いじょうもたっているのです。
水野の家の人も老婆も、その日が四月二十四日ということに、少しも気がつきませんでした。
家を出た老婆は、やがて、ついこの前完成したばかりの新橋のたもとまでやってきました。
するとむこうから、道いっぱいに列をつくって、首なしウマの行列がやってきたのです。
(あっ、しまった! 今日はあれの出る四月の二十四日だった)
老婆はあわててちょうちんの明りを消すと、後ろを向いて目をつぶりました。
そして行列がとおりすぎていくのを、ジッと待ちました。
老婆の背後を、亡霊たちの行列がゆっくりと通りすぎていきます。
つめたいものが背すじにつたわって、生きた心地がしません。
「なんまんだぶ。なんまんだぶ。なんまんだぶ」
老婆は口の中で、けんめいにお経となえつづけました。
やがて行列がいってしまうと老婆はホッと息をつき、そして後ろをふりむかずに、走るように新橋をわたって家にかえっていきました。
次の日の朝、いつもよりおそくおきた老婆が居間(いま)へ出ていくと、まご娘がいいました。
「おばあちゃん、顔が青いよ。どうしたの?」
まご娘の言葉に、家の人たちも口をそろえて、どこかわるいのかとたずねました。
はじめはあれこれいってごまかしていましたが、そのうちに老婆は、新橋のたもとで亡霊たちの行列に出会った話しを家の人たちにしました。
「そういえば、きのうは四月二十四日でしたな。でも、その亡霊たちの話しは、たしか見た者がほかの者に話すと・・・」
老婆の息子はそこまでいって、おもわず口をとじました。
「なに、そんなものは迷信(めいしん)じゃ。もう百年以上も前のことじゃし。今さらたたりなどあるものか」
と、老婆は大笑いしました。
それから何事もおこらずに、夏がすぎて、秋がすぎて、冬もすぎていきました。
そしてまた春がやってきて、また四月二十四日になりました。
たたりはありませんでしたが、老婆は一年前の事を思い出して、背筋がぞくぞくしました。
(あんな事は二度とごめんだ。今日ははやく寝よう)
と、その日の用事をはやくすませようと、朝早くから家を出て行きました。
ところが老婆は、夜になっても家にかえってはきませんでした。
次の日の朝、心配した家の人が近所の人たちと手わけをしてさがしたところ、老婆は新橋の橋の下で、両足を空に向けたかっこうで、川ぞこのドロの中に首をつっこんで死んでいたという事です。
おしまい
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