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百物語 第二十四話
夜泣きのあかり
長野県の民話
むかしむかし、信濃の国(しなののくに→長野県)に、満願寺(まんがんじ)という小さな山寺がありました。
このお寺には夜中のうしみつ時に、かならず山のお堂に明かりをつけにいくという、古くからつたわっているしきたりがありました。
このお堂の明かりは高いところに灯(とも)されるので、ふもとの村からもよく見えます。
さて、ある日の事、寺に一人の子どもがつれてこられました。
この子の父親というのは、長いあいだの浪人(ろうにん)ぐらしで、今ではもう、その日の食べる物にさえこまるようになってしまい、
「どうか、この子をりっぱなお坊さまにしてくだされ」
と、この寺にあずけたのでした。
和尚(おしょう)は新しい小僧がきてくれたので、とても喜びました。
と、いうのも、ちょうど今までいた小僧が、夜中の明かりをつけにいくのをこわがって逃げ出した後だったのです。
和尚はさっそく、子どもの頭をきれいにそって寺の小僧にしました。
次の朝、和尚は明かりをつける小さなお堂まで、小僧を案内しました。
そのお堂というのは、お寺の裏山の奥の高いところにあって、そこまでいくには、いくつもいくつも暗い岩穴をくぐって、のぼっていかなければなりません。
和尚でさえ、気味の悪いところです。
今度きた小僧も、昼でさえ気味のわるいお堂まで、ま夜中に小さなちょうちん一つで行かされたのです。
木の枝がえりにひっかかっり、岩穴をくぐりぬけるときなどは、コウモリがバタバタと飛び回ります。
小僧はこわくてこわくて、お堂へ明かりをつけにいくたびに、ふるえて泣き出しました。
それでも和尚は、
「なにごとも修業(しゅぎょう)じゃ。しんぼうせい」
と、言うのです。
ところがある晩の事、小僧はあんまりこわいので、明かりを灯さずに帰ってきました。
さあ、その事がわかると和尚はおこって、小僧を木の棒で何度も何度もぶったのです。
ところが打ちどころが悪くて、小僧はそれっきり死んでしまいました。
ビックリした和尚は、人に見つからないようにお堂の下に小僧の死体をうめて、
「やれやれ。また小僧が逃げ出してしもうたわ」
と、知らん顔をすることにしたのです。
ところがその晩から、不思議なすすり泣きが、毎晩毎晩、寺の裏山から聞こえてくるようになりました。
とても悲しそうな声で、それを聞いた寺の人間は、
「いったい、どこから聞こえてくるのじゃろう?」
「あまりにも悲しい声で、あれを聞くと寝ることができん」
と、話していました。
ある晩、寺男(てらおとこ→雑用係の人)と坊さんたちは、そのすすり泣きを聞いているうちに、いてもたってもいられないようになって、みんなで裏山へでかけたのでした。
手にちょうちんを持って泣き声のする方へ行くと、やがて木のあいだから、小さな明かりが見えてきました。
「あれは、たしかにお堂の明かりだぞ」
「不思議な事じゃ。小僧がおらんのに」
みんなは思わず足をはやめて、お堂に近づいていきました。
山のお堂には、だれもつけに来ないはずなのに、明かりがゆらゆらとゆれていたのです。
次の朝、その話をきいた和尚は急に怖くなって、殺した小僧の供養(くよう)をしました。
だけれど、すすり泣きは止まらず、毎晩うしみつ時(およそ、今の午前二時から二時半)になると、お堂にはちゃんと明かりがつくのでした。
さて、あくる年の事。
ふもとの村に、一人の侍(さむらい)がたずねて来ました。
かわいいわが子を寺にあずけた、あの父親です。
その日はもう日がくれていたので、ふもとの百姓(ひゃくしょう)の家に一晩とめてもらいました。
夜になって、山の上にゆれる明かりを見ると、
「ああ、あの子もりっぱに、つとめをはたしておるわい」
と、喜びました。
ところがその晩のうしみつ時、侍は不思議なすすり泣きに、ふと目がさめました。
見るとまくらもとに、頭をきれいにそったかわいいわが子がすわっています。
名前をよぼうとしましたが、金しばりにあって声がでません。
声だけでなく、起き上がることも出来ないのです。
あくる朝、父親は奇妙な話を聞きました。
「この山へいきますと、昼でも山のお堂のほうから、すすり泣きの声が聞こえてくるんですわ。それがまるで、だれかをしとうて泣いておるような、あわれな声でのう」
「もしや!」
父親は刀をつかむと、大急ぎで山寺へのぼって行きましたが、二度と山をおりては来ませんでした。
そしてその夜から、お堂の明かりはつかず、その代わりにまっ暗な満願寺の裏山には、毎晩三つの火の玉が出るようになったという事です。
おしまい
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