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2月13日の世界の昔話
イブのいろんな子どもたち
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むかしむかしのお話です。
アダムとイブは、エデンの園(その)から追いだされてしまうと、あれた地上に家をたてて、ひたいにあせをながしてはたらき、その日その日のパンをかせがねばなりませんでした。
アダムは畑をたがやし、イブは毛糸をつむぎました。
イブは毎年、一人ずつ子どもを生みましたが、その子どもたちは、どれもおなじというわけではなくて、美しい子どももいれば、みっともない子どももいます。
何年も何年もたったあとで、神さまはひとりの天使(てんし)をアダムとイブのところヘおつかわしになり、二人がどんなふうにやっているか見にゆきたいと、つたえました。
イブは、神さまのおめぐみぶかいことをよろこんで、家をいっしょうけんめいそうじして、花をかざりました。
それがすむと、イブは子どもたちをよびよせました。
と、いっても、美しい子どもたちだけです。
イブはその子たちの顔や体をあらって、髪の毛をとかし、あらいたてのシャツをきせてから、
「神さまがおいでになったら、お行儀よく、おりこうにするのですよ」
と、いいきかせました。
そして、
「神さまの前にでたら、ちゃんとおじぎをして、手をさしだしなさい。神さまがなにかおたずねになったら、でしゃばらずに、しかもしっかりとご返事なさい」
と、いいつけました。
さて、みっともない子どもたちのほうは、
「お前たちは、神さまにすがたをお見せしてはいけません」
と、いわれました。
そこで、
一人目は、ほし草の下にかくれ、
二人目は、屋根うらに、
三人目は、わらのなかに、
四人目は、暖炉(だんろ)のなかに、
五人目は、穴ぐらのなかに、
六人目は、おけの下に、
七人目は、ブドウ酒だるの下に、
八人目は、古い毛皮の下に、
九人目と十人目は、イブがいつも子どもたちの服をつくるのにつかう、きれ地の下に、
十一人目と十二人目は、イブが子どもたちのクツをこしらえる革の下にかくれました。
みんながちょうどかくれおえたとき、玄関(げんかん)でノックの音がきこえました。
アダムがすきまからのぞていてみると、それは神さまでしたので、うやうやしく戸をあけますと、天の父なる神さまが入っていらっしゃいました。
家のなかには、美しい子どもたちが列をつくってならんでいました。
そして、そろっておじぎをしてから、神さまに手をさしだして、ひざをつきました。
神さまは子どもたちに祝福(しゅくふく)をおあたえになろうとして、一番目の子の頭に両手をおき、
「おまえは、強い王さまになりなさい」
と、おっしゃいました。
おなじように、
二番目の子には、「おまえは領主(りょうしゅ)」
三番目の子には、「おまえは代官(だいかん)」
四番目の子には、「おまえは騎士(きし)」
五番目の子には、「おまえは貴族(きぞく)」
六番目の子には、「おまえは市民(しみん)」
七番目の子には、「おまえは商人(しょうにん)」
八番目の子には、「おまえは学者(がくしゃ)」
と、おっしゃいました。
こうして神さまは、子どもたちみんなに、ゆたかな祝福をおあたえになりました。
イブは、神さまがこんなにおやさしく、おめぐみぶかいのを見て、
(みっともない子どもたちもつれてきてみよう。もしかすると、神さまはあの子たちにも、祝福をおあたえくださるかもしれない)
と、思いました。
そこでイブは走っていって、子どもたちをかくれ場所からひっぱりだしました。
神さまはニコニコとわらいながら、みっともない子どもたちをごらんになって、
「この子たちも祝福してあげよう」
と、おっしゃいました。
神さまは、一番目の子の頭に両手をおおきになって、
「おまえは、百姓(ひゃくしょう)になりなさい」
と、おっしゃいました。
それから、
二番目の子には、「おまえは漁師(りょうし)」
三番目の子には、「おまえはかじ屋」
四番目の子には、「おまえは皮なめし職人」
五番目の子には、「おまえは織物職人(おりものしょくにん)」
六番目の子には、「おまえは靴屋(くつや)」
七番目の子には、「おまえは仕立屋(したてや)」
八番目の子には、「おまえは陶器(とうき)づくり」
九番目の子には、「おまえは馬車(ばしゃ)ひき」
十番目の子には、「おまえは船頭(せんどう)」
十一番目の子には、「おまえは使いのもの」
十二番目の子には、「おまえは、召使い(めしつかい)」
と、おっしゃいました。
イブは、神さまがこうおっしゃるのを、子どもたちといっしょにききおわると、こういいました。
「神さま。どうして神さまは、子どもたちに、そんなにちがった祝福をおさずけくださるのですか。この子たちはみんな、わたくしが生んだ子どもではございませんか。みんなには、おなじ祝福をおあたえくださいませ」
けれども神さまは、こうおこたえになりました。
「イブよ、おまえにはわからないのか? この世のなかに、おまえの子どもたちを、あまねくいきわたらせるのが、わたしの権利であり、つとめなのだ。この子たちがみんな王侯貴族(おうこうきぞく)になってしまったら、だれが穀物(こくもつ)をつくったり、だっこくしたり、粉にしたり、パンに焼いたりするのかね。だれが、かじ屋や、はたおりや、大工のしごとをしたり、みぞをほったり、服をぬったりするのかね。この子たちは、めいめいじぶんの身分をまもって、おたがいにたすけあい、みんながからだにおける手足のようにくらしていかなければならないのだ」
それをきいて、イブはこたえました。
「神さま、おゆるしくださいませ。さしでがましいことをもうしあげまして、あさはかでございました。どうぞ、わたくしの子どもたちのことは、神さまのおぼしめしどおりになさってくださいませ」
※ このお話しが作られた当時は、仕事を親から受け継がなければならない時代で、自分の好きな仕事をすることができませんでした。
つまり、よい家柄に生まれた子どもは、一生遊んで暮らし、低い家柄に生まれた子どもは、どんなに努力をしても、一生まずしい生活でした。
そのことに、多くの不満が市民から出ました。
しかし当時の聖職者たちは、この様な話を多く語り、身分の世襲制を正当化しようとしたのです。
おしまい