福娘童話集 > 日本民間故事 > 031-060
第 35話
(日本民間故事 035)
キュウリを食べない村 (健全普通話版)
不吃黃瓜的村莊
・日本語 ・日本語&中国語
むかしむかし、阿波の国(あわのくに→徳島県)の山里にすむ男が川で魚釣りをしていると、川上から一本のキュウリが流れてきました。
在很久很久以前、於阿波國山村居住的一名男子在河邊釣魚、此時自河面上流方位是沿途漂下來一根黃瓜了。
ヘチマのように大きなキュウリで、キュウリの上に、なにかがチョコンとのっています。
這不是一根小黃瓜、而是一根粗碩如絲瓜一樣的大黃瓜、然後就這個黃瓜上面好像還是站到了個啥玩意兒呢。
「はて、あれはなんだろう?」
誒呀呀、那是一個啥呀?
男は釣りざおを使って、流れてくるキュウリをひきよせました。
男子乾脆就是用著釣竿試著把那根飄著的黃瓜給自己勾過來了。
大きなキュウリの上にのっていたのは、十センチほどの、木彫りの小さな神さまの像でした。
這下就能看仔細了、就黃瓜上面坐著的那個呀、是一個差不多有十釐米的木刻小神像呢。
男はビックリして、釣りざおをそこに置いたまま、ご神体(しんたい)とキュウリを持って、村の人たちのところへ走っていきました。
男子當下也是很受驚奇呀、連把自己的釣魚竿都是先放在了一邊、趕緊的捧起了這個小神像跑村裡給大家報喜去了。
ご神体はあまりにも神々しく見えるので、思わず手をあわせておがむ人たちもいたほどです。
小神像雕刻的著實是為十分的精美、那是一種讓人看到之後心裡就不難免的想要頂禮膜拜之情。
男はそのご神体をたいせつに家に置いて、家の守り神としてあがめるといいましたが、村の人たちが、
男子呢、就將這個小神像是畢恭畢敬的給它供在了家裡、把它看作了是自家的守護神了、可就是這一舉動讓村民們。
「わしらの家のような、そまつなところに置くのは失礼じゃ。ばちがあたるかもしれんぞ。山の奥から流れてきた、ありがたいご神体だから、これはちゃんと社(やしろ)をたてて、おまつりしなければなるまい」
把神像放在我們村子這種的陋室之中、即便是供養起來這也是對著神像的大不敬呀、說不定就會遭雷劈呢、經神山漂流至此的偉大神明、我看我們就還是在村子裡面專門給修建一個祠堂、然後把人家供奉在裡面吧。
と、いうので、みんなで小さな社をたてて、ご神体をまつることにしたのです。
也就是這樣的一個提議、全村的大夥這就在村裡面是修起了一個小祠堂、然後是把這尊小神也給供奉在內中啦。
そのとき、ご神体がのってきた大きなキュウリを、二つに切ってみました。
就當時吧、畢竟神明一開始是坐在了那根黃瓜之上來的、後來的這根黃瓜也是給眾村民們給切開了去。
中はふつうのキュウリと同じで、べつにかわったものはでてきませんでしたが、切り口の模様(もよう)があまりにも立派(りっぱ)だったので、その模様をご神体のしるしにすることにしました。
切開後可以看出這就是一根普普通通的黃瓜這樣、並沒有甚麼不可思議之所、可就是黃瓜被刀切開後的那段切口紋路實在也是過於的奇異、以後的這個黃瓜切口也就給眾村民當做是神明的神體烙印了。
「キュウリは、このご神体がのってこられたものだ。いってみれば、この神さまのおみ足のようなものじゃ。それを食べることはおそれおおいことじゃ」
黃瓜呀、人家就是神明的立足之所、就是有黃瓜才能支撐起的神、換而言之、說黃瓜是神的腳也一點不為過呀、所以吃黃瓜那是對神明多麼嚴重的一種不敬呀。
と、この村ではキュウリをいっさい口にしないことにしたという事です。
就這樣呀、就這個神奇的村子以後是演化出了一種不去吃黃瓜的習俗了。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
キュウリを食べない村
黃瓜神
むかしむかし、阿波の国(あわのくに→徳島県)の山里にすむ男が川で魚釣りをしていると、川上から一本のキュウリが流れてきました。
到好久以前這阿波藩一男的到河邊垂釣時、上流一根黃瓜就沿到河水留落來了。
ヘチマのように大きなキュウリで、キュウリの上に、なにかがチョコンとのっています。
男的只曉得這世上有絲瓜、還不曾曉得有黃瓜、這黃瓜上面還有條甚麼蟲樣的爬上面的。
「はて、あれはなんだろう?」
這是條甚麼傢伙哦?
男は釣りざおを使って、流れてくるキュウリをひきよせました。
男的這就取杆幫瓜往這邊趕。
大きなキュウリの上にのっていたのは、十センチほどの、木彫りの小さな神さまの像でした。
這下看清楚了、瓜上面一條小小的東西是尊雕刻、應該是神佛之流。
男はビックリして、釣りざおをそこに置いたまま、ご神体(しんたい)とキュウリを持って、村の人たちのところへ走っていきました。
男的一驚、以為撿到了寶、這魚也是一下不釣了、取到黃瓜跟神像跑村裡面去跟大家彙報了。
ご神体はあまりにも神々しく見えるので、思わず手をあわせておがむ人たちもいたほどです。
這東西雖講大家也不曉得是甚麼卵、但畢竟看起來像神仙、有人過就直接開始拜了。
男はそのご神体をたいせつに家に置いて、家の守り神としてあがめるといいましたが、村の人たちが、
男的覺得這傢伙好啦、直接想幫屋裡一擺供到、講了、但是村裡人不樂意了。
「わしらの家のような、そまつなところに置くのは失礼じゃ。ばちがあたるかもしれんぞ。山の奥から流れてきた、ありがたいご神体だから、これはちゃんと社(やしろ)をたてて、おまつりしなければなるまい」
講這傢伙放屋裡搞不好的、我們也㫘講有哪個屋特別好、這若萬一真是條神仙就是怠慢、萬一降災落來啦、到時候全村稀爛、我建議就一起放村裡面的神社裡頭。
と、いうので、みんなで小さな社をたてて、ご神体をまつることにしたのです。
但這村裡也㫘條神社啦、村裡人就一起修了條小廟幫這黃瓜神擺到裡面的。
そのとき、ご神体がのってきた大きなキュウリを、二つに切ってみました。
這就神仙神桌上面一放的瞬間、底部的黃瓜斷裂變兩半了。
中はふつうのキュウリと同じで、べつにかわったものはでてきませんでしたが、切り口の模様(もよう)があまりにも立派(りっぱ)だったので、その模様をご神体のしるしにすることにしました。
這就講要幫這條黃瓜也要貢起來了、為甚麼啦、你看這黃瓜斷裂處的倒模、不就是條神仙踋啊、這神仙踋的印記留到黃瓜上也是條法寶。
「キュウリは、このご神体がのってこられたものだ。いってみれば、この神さまのおみ足のようなものじゃ。それを食べることはおそれおおいことじゃ」
光是這樣子還不夠、講這黃瓜神從黃瓜裡面來、那這黃瓜也就不能去吃了。
と、この村ではキュウリをいっさい口にしないことにしたという事です。
這就此後不曉得過了好久都㫘吃黃瓜這條禁忌就到這村裡面成俗了。
おしまい
结束
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