|  |  | 6年生の日本昔話
 
 
  
 六つの「子」の字
  むかしむかし、嵯峨天皇(さがてんのう(在位809〜823))が国をおさめていたとき、都の御所(ごしょ→てんのうのすまい)のちかくに、だれがかいたものか、こんな札がたてられました。《無悪善(むあくぜん)》
 人だかりがしているので、みまわりの役人たちが、わりこんできました。
 「どけ、なにごとだ! むっ、・・・?」
 「お役人さま、いったい、なんとかかれておるのですか? よんで、おきかせください」
 人びとにたずねられて、役人はすっかりよわってしまいました。
 「『無、悪、善(ぜん)』・・・こ、これはだな、むずかしゅうて、わしらにゃ、チンプンカンプンじや。みかど(→てんのう)に、じきじきにお目にかけよう」
 役人たちは、たて札をひきぬくと、みかどにとどけたのですが、みかどにもよめません。
 そこで、おかかえの学者たちが、御所(ごしょ)によびあつめられました。
 「これは、なんとよみ、どんないみじゃ」
 みかどがたずねましたが、学者たちは、
 「はて?」
 「さて?」
 「はてさて?」
 と、かんがえこむだけで、こたえられません。
 「なんとも、ふがいない。それでも学者か」
 みかどがなげくと、学者のひとりが、
 「学者で、書の名人でもある小野篁(おののたかむら)ならば、よみとけるかもしれません」
 と、いったので、さっそくつかいがだされました。
 御所(ごしょ)にまねかれた、たかむらは、みかどにねんをおしました。
 「よみとくことはかんたんですが、ありのままによんでも、よろしいのですか?」
 「よいから、はようにもうせ」
 「では。・・・これは、『悪』から『無』にもどり、『善(ぜん)』を、おわりによむのです。『悪』は、さがとよみ、『無』は、なくば、『善(ぜん)』は、よい。つまり、《さがなくばよい》。さがてんのうが、いなければ、世のなかが、もっとよいのに。と、いう、なぞかけことばにございます」
 「な、なにっ! わしがいなければよいじゃと!」
 みかどは、あおすじを立てて、たかむらをにらみつけました。
 「おかかえの学者たちが、だれ一人読めないのに、おまえはやすやすとよみといた。と、いうことは、おまえが書いたにちがいない! おまえは島流しじゃ!」
 島流しとは、ざい人を、はなれ島に流して、そこから一生、でられなくするけいばつです。
 すると、たかむらがつぶやきました。
 「学問をつんだばかりに、いわれのないつみをかぶろうとは、世もすえだ」
 これをきいたみかどは、
 「なに! おまえの学問がどれほどのものか、ためしてやろう。しばらく、まっておれ!」
 みかどは、おかかえの学者たちに、文字のなぞなぞをつくらせました。
 「これで、いかがでしょう?」
 出された文字は、《子子子子子子》でした。
 「・・・? これは、なんとよむ?」
 「はい、子(ね)子(この)子(この)子(こ)子(ね)子(こ)。『ネコの、子の、子ネコ』で、ございます」
 「なるほど、よく考えた。いかにたかむらでも、これは読めまい」
 みかどはさっそく、このもんだいをたかむらにつきつけました。
 「これがよめれば、島ながしはゆるそう」
 「わかりました。これは、『ネコの、子の、子ネコ』です」
 たかむらは、いともかんたんに答えました。
 「むっ、むむむ、正解じゃ」
 くやしがるみかどに、たかむらは言いました。
 「みかど、この《子子子子子子》には、じつは、別の読み方があるのです」
 「ほう、なんとよむのじゃ?」
 「子(し)子(しの)子(この)子(こ)子(じ)子(し)。つまり、『獅子(しし)の、子の、子獅子(こじし)』で、ございます」
 「うむ、あっぱれ。おまえこそ、ほんとうの学者じゃ」
 みかどは、つみをとりけして、たかむらに、たくさんのほうびをとらせたということです。
 おしまい  
 
 
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