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9月25日の小話
方角
むかし、徳川幕府(とくがわばくふ)のころは、大名(だいみょう→各地を治めるお殿様)というものは、みんな国を出て、江戸につとめておりました。
ところで、あるお大名が、ころりと死んでしまったので、若君(わかぎみ→殿さまのむすこ)があとをついで、「お殿さま」ということになりました。
この殿さまが、初めてのお国入りをなさったときのこと。
「下にー。下にー」
ご自分の領地(りょうち→お殿様が治める土地)にはいってくると、道ばたには、百姓、町人がおおぜい土下座(どげざ→手足を地面についてひれふすこと)をして、お出むかえしました。
若殿さまは、かごから出ると、あたりをきょろきょろながめて、何やら頭をかしげておられたが、とつぜん、
「ここでは、こちらが西にあたるかな」
と、おたずねになりました。
さあ、たいヘん。
あいては、なにしろ、お殿さまです。
うっかり、返事をしくじろうもんなら、首がすっとんでしまいます。
おそばのさむらいも、しばらくは声もなく、しゅんとしておりました。
すると、ひとりの百姓じいさんが、地面にこすりつけた頭の上から、指だけを突き出すと、でっかい声で、
「はい。おそれながら、お父上さまの御代(みよ→国を治めていたとき)には、こちらが東、こちらが西、こちらが南、そして、こちらが、北でごさりました」
と、いちいち方角を、指さしました。
そして、ぴたりと両手をつくと、
「おそれながら、若殿さまの御代におかせられましても、そちらの方角は、お慈悲(じひ→おなさけ)をもちまして、大殿さまの御代どおり、西ではなく南にしてくださりますれば、ありがたきしあわせにござりまする」
と、もうしあげたそうな。
おしまい