8月15日の百物語
夜泣きの明かり
長野県の民話
むかしむかし、信濃の国(しなののくに→長野県)に、満願寺(まんがんじ)という小さな山寺がありました。
この山寺では夜中の丑三つ時(うしみつどき→午前2時頃)に、必ず山のお堂に明かりをつけに行くという古くからのしきたりがありました。
このお堂の明かりは高い所に灯(とも)されるので、ふもとの村からもよく見えます。
ある日の事、山寺に一人の子どもが連れて来られました。
この子どもの父親は長い間の浪人(ろうにん)暮らしで、今では食べる物にも困るありさまです。
「どうか、この子を立派なお坊さまにしてくだされ」
父親はそう言って、子どもを山寺にあずけたのでした。
和尚さんは新しい小僧が来てくれたので、とても喜びました。
それというのも、今までいた小僧が夜中の明かりをつけに行くのを怖がって、逃げ出した後だったからです。
和尚さんはさっそく子どもの頭をきれいにそって、山寺の小僧にしました。
次の朝、和尚さんは明かりをつける小さなお堂まで、小僧を案内しました。
そのお堂は裏山の奥の高い所にあって、そこまで行くにはいくつもいくつも暗い岩穴を登って行かなければなりません。
大人の和尚さんでさえ、気味の悪いところです。
その夜、新しい小僧は小さなちょうちん一つで、明かりをつけに行かされました。
木の枝が何度も小僧の服に引っかかり、岩穴に入るとコウモリがバタバタと飛び回ります。
小僧は怖くて怖くて、お堂へ明かりをつけに行くたびに震えて泣き出しました。
それでも和尚さんは、
「これも修業(しゅぎょう)じゃ。しんぼうせい」
と、言うのです。
そんなある晩の事、小僧はあまりにも怖いので、明かりを灯さずに山寺に帰って来ました。
その事がわかると和尚さんは怒って、小僧を木の棒で何度も何度もぶったのです。
ところが打ちどころが悪くて、小僧はそれっきり死んでしまいました。
すると和尚さんは人に見つからない様にお堂の下に小僧の死体を埋めると、村に行って言いふらしたのです。
「やれやれ。また小僧が、逃げ出してしもうたわ」
ところがその晩から、不思議なすすり泣きが裏山から聞こえてくる様になりました。
ある晩、山寺で雑用係として働く寺男(てらおとこ)が、そのすすり泣きを聞いているうちに、いてもたってもいられなくなって裏山へ出かけました。
寺男がちょうちんを持って泣き声のする方へ行くと、やがて木々の間から小さな明かりが見えてきました。
「あれは、お堂の明かりだ。小僧がおらんのに、不思議な事じゃ」
翌朝、寺男から話を聞いた和尚さんは急に怖くなって、殺した小僧の供養(くよう)をしました。
(わしが悪かった。謝るから、成仏してくれ)
けれどすすり泣きは止まらず、毎晩丑三つ時になると、お堂にはちゃんと明かりがつくのでした。
それから数年後、ふもとの村に、一人の侍(さむらい)がたずねて来ました。
可愛い我が子を山寺にあずけた、あの父親です。
すでに日が暮れていたので、その日はふもとの百姓(ひゃくしょう)の家に泊めてもらいました。
夜中になって山の上にゆれる明かりを見ると、父親は目に涙を浮かべて喜びました。
「ああ、あの子も立派に、つとめを果たしておるわい」
安心した父親が眠りにつくと、その夢枕に頭をきれいにそった我が子が現れました。
子どもはすすり泣きながら、父親に言いました。
「おっとう、来てくれてありがとう。だけどもう、おっとうに会う事が出来ない。 和尚さんに、冷たい土に埋められてしもうた」
父親は、はっと目を覚ましました。
「・・・夢であったか。それにしても、何という夢だ。もしも我が子が苦労をしているのなら、たとえ貧乏生活でも連れて帰らねば」
翌朝、山寺へ出かけようとする侍に、侍を泊めてくれた百姓がこんな事を言いました。
「お侍さま、あの山寺に行くのですか?
あの山寺には小僧さんがいないのに、毎夜、山の上のお堂に明かりが灯りますのじゃ。
それに山へ行きますと、最近では昼でも子どものすすり泣きが聞こえてきます。
それがまるで、誰かをしとうて泣いておる様な、あわれな声で」
「山寺に、小僧がいない? ・・・もしや、あの夢は!」
侍は刀をつかむと、大急ぎで山寺へ登って行きました。
そして侍も和尚さんも、二度と山をおりては来ませんでした。
そしてその夜から、お堂の明かりはつかず、その代わりにまっ暗な満願寺の裏山には、毎晩三つの火の玉が出る様になったという事です。
おしまい