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第 297話
売ります買います
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むかしむかし、信濃の国(しなののくに→長野県)の佐久というところに、湊屋という大きな店がありました。
湊屋は何百年も続いた老舗で、米や味噌や醤油を売っています。
ある日の事、湊屋の主人が、こんな事を考えました。
(もっと儲かる方法はないだろうか? 同じ代金でも仕入れは多く、売るときは少なく売れればいいのだが、そうするには・・・。そうだ!)
名案を思いついた主人は、ある二つの特別な升(ます)を作りました。
見た目は普通の升ですが、問屋さんから仕入れる時に使う升は少しだけ大きな升。
お客さんに売る時に使う升は、少しだけ小さい升です。
大きさの違いはほんの少しだったので、最初のうちは誰も気づきません。
しかし少しの違いでも、毎日続けていれば大きな利益になります。
おかげで湊屋はどんどん儲かっていきました。
「ありがたい事だ。それもこれも、この『売ります』と『買います』のおかげだ」
湊屋では小さい升の事を『売ります』、大きい升の事を『買います』と名づけて大事にしていました。
最初の頃は『売ります』と『買います』のおかげでもうかりましたが、けれどこんなずるい商売がいつまでも続くわけがありません。
やがて売り手も買い手も、変な事に気づきました。
「湊屋で買った米は、他で買った米よりも減りが早いな」
「湊屋に米を売ると、他の店に米を売るよりも減りが早いぞ」
そしてうわさが広がり、湊屋の売り上げはどんどん悪くなっていったのです。
ところで湊屋の主人には息子がいて、その息子には隣町の長者から迎えた若いお嫁さんがいました。
この嫁がなかなかの知恵者で、商売がうまくいかないわけを考えているうちに升のカラクリに気がついたのです。
(こんな商売を続けていたら、何百年も続いたお店が潰れてしまうわ。でも、嫁に来たばかりのわたしが商売に口出しも出来ないし)
悩んだ嫁は、理由も言わずに実家へ帰ってしまいました。
これには、湊屋も大慌てです。
嫁に逃げられたとあっては世間体も悪いので、なんとか事情を聞いて嫁を連れ戻してくれるようにと仲人に頼みました。
そこで仲人が嫁の実家に行って事情を聞いてみると、嫁は神妙な顔をして言うのです。
「わたしは湊屋さんに、嫁に行ったのです。
本来なら嫁であるわたしが真っ先に働かないといけないのに、『お前は何の心配もいらないよ』と、毎日楽をさせてもらってばかりです。
それが申し訳なくて、家に帰ってきました」
これを聞いた仲人は、なんて良い嫁だろうとすっかり感心しました。
そして嫁に、頭を下げて頼みました。
「湊屋さんが、お前にはどうしても戻ってほしいとおっしゃっているから、なんとか帰ってはくれないだろうか」
すると嫁は、にっこり笑ってこう言ったのです。
「はい。どうしてもというのなら帰ります。ですが、これからはお父さまやお母さまには楽をしてもらいたいので、これからわたしが店の番頭として働かせてもらいます」
こうして嫁は帰って来る事になったのですが、湊屋の主人はとても困ってしまいました。
嫁に商売をまかせたら、升のカラクリを知られてしまいます。
そこで主人は、売り升と買い升を火にくべてしまおうとしました。
ところが嫁は、にっこり笑って、
「まだ使えるのに、焼いてしまうのはもったいないです。これは、わたしが大事に使います」
と、強引に売り升と買い升を取り上げてしまいました。
そしてお嫁さんはこともあろうに売り升と買い升を反対にして、大きな升をお客に売る用に、小さな升を仕入れ用にしてしまったのです。
これだと普通に商売をしていても、店が少しずつ損をします。
(ああ、今まで多く仕入れて少なく売っても店の売り上げは落ちていったのに、少なく仕入れて多く売っては店が潰れてしまう)
湊屋の主人は、気が気ではありません。
でもしばらくすると、何と商売は大繁盛していったのです。
それと言うのも、店に買いに来る客が、
「湊屋は嫁の代になって、たいそう勉強するようになった」
と、どんどん増えていったからです。
そして湊屋に商品を売る問屋の方でも、
「湊屋に売ると、わずかだが得をする」
と、いつもよりも良い品物をより安く卸してくれるようになったのです。
こうして湊屋は、嫁の知恵でますます繁盛していきました。
おしまい
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