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    福娘童話集 > きょうの新作昔話 > 親子地蔵 
      2009年 1月26日の新作昔話 
          
          
         
  親子地蔵 
  長野県の民話→ 長野県情報 
       むかしむかし、九州の筑前の国(ちくぜんのくに→福岡県)に、加藤重氏(かとうしげうじ)という人がいました。 
         重氏(しげうじ)は筑前では大した力を持っていましたが、人の世に無常を感じて、あるとき妻も子も捨てて出家し、仏に仕える身となってしまったのです。 
         重氏は名を苅萱道心(かるかやのどうしん)と改め、高野山に登って修行に励みました。 
         こうしていつしか、十三年の月日が流れていったのです。 
         ある日の事、高野山のふもとに一人の男の子がたどり着きました。 
         名を石童丸(いしどうまる)といい、道心が筑前に残してきた息子だったのです。 
         石童丸は父が高野山にいることを知り、一目会いたいがために、長い旅を続けてきたのでした。 
         身も心も疲れきった石童丸は、出会った坊さんにかけよると、 
        「もし、この山に筑前から来たお坊さまはおられませぬか? 私の父で、名を加藤重氏と申します」 
        と、たずねてみました。 
         するとその坊さんはとても驚いた様子で、石重丸をじっと見ると涙をこぼしながら言いました。 
        「私は、そなたの父とは長年の友人じゃった。それが昨年の夏、悲しいことに父上は急な病で亡くなられてしもうたのじゃ」 
         実はこの坊さんこそ、石童丸が夢にまで見た父の加藤重氏だったのです。 
         そうとは知らない石童丸は、父が死んだとなると、自分も出家しようと決心したのです。 
         そうしてそのままお山にとどまると、道心の弟子となりました。 
         こうして二人そろっての、修行の生活が始まりました。 
         けれども、わが子を弟子として同じ寺に住むことは、父の道心にとってはとてもつらいことでした。 
         親子の情は日に日につのる一方、またその分、修行に身が入らないのです。 
        「こんなことでは仏に仕えることはできん、また、いつか本当のことが分かってしまうであろう」 
         道心は我が子への念を断ち切り、山を去って信濃の善光寺(ぜんこうじ)へと旅立ちました。 
         そしてそこで念仏三昧に明け暮れた末、八十三才で大往生をとげたのです。 
         一方、高野山で修行を重ねていた石童丸は、ある晩、不思議な夢を見ました。 
         うす紫の雲がたなびく中、仏さまがあらわれて、 
        「苅萱道心(かるかやのどうしん)こそは、そなたの父、すぐに信濃におもむき、父の供養をするがよい」 
        と、つげたのです。 
         こうしてすべてを知った石童丸は、急いで善光寺を訪れると、父の霊をねんごろに弔いました。 
         そうして父のたてた地蔵のそばに、自分も一体の地蔵を刻み、安置したということです。 
         いつしかこの二体の地蔵さまは、親子地蔵と呼ばれるようになったのです。 
       長野市の往生寺(おうじょうじ)には、この親子地蔵と呼ばれる二体の地蔵さまが、今でもあるそうです。 
      おしまい 
         
          
         
        
       
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