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      第 94話 
          
          
         
男神山(おがみやま)と女神山(めがみやま) 
新潟県の民話→ 新潟県情報 
       
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       むかしむかし、津軽(つがる)の十三湖(とさこ)のほとりに、三助(さんすけ)という男の子がいました。 
 父の名を、又兵衛(またべえ)といいます。 
 この又兵衛は、どういうわけか妻と別れて新しい妻を迎えました。 
 
 そんなある日、嫁いだばかりの継母(ままはは)は、 
「あんた、三助をどこか遠い島へ捨ててきておくれ。あの子のわたしを見る目がいやなんだよ。お願いだから、捨ててきておくれ」 
と、夫に頼んだのです。 
 そして父親の兵衛は、そのひどい頼みを簡単に引き受けました。 
「お前がそう言うのなら、三助を小舟に乗せて海へ流してしまおう。そうすれば舟が途中でひっくり返って、三助はおぼれ死ぬだろう」 
 
 あくる日の晩、三助は父親に小舟に乗せられると、そのまま潮に乗って沖へ沖へと流れていきました。 
 三助は星空を見上げながら、こう思いました。 
「おら、このまま死ぬのかな? ・・・でも、あんな家にいるよりは、この方がましだ」 
 そしてふと舟の片隅を見ると、鍬(くわ)と鎌(かま)と何かが入っている袋がありました。 
「なんだろう?」 
 袋を開けてみると、中身はモミでした。 
「一体、誰がこんな物を?」 
 息子を平気で捨てた父親が、こんな事をするはずありません。 
 まして、あの継母なわけがありません。 
「あっ、そうだ、おっかあだ。おらの本当のおっかあだ」 
 三助の言うように、実の母親が元の夫にかくれて、そっと舟に入れて置いてくれたのでした。 
「おっかあは、おらに生きろというのだな。よし、がんばるぞ」 
 三助を乗せた小舟は波に何度もひっくり返りそうになりましたが、三助はがんばって舟をあやつり、数日後に松ヶ崎(まつがさき)に打ち上げられました。 
 三助はまず、住む為の小屋を作りました。 
 さいわい食料は、海にも山にも、たくさんあります。 
 
 それからしばらくしたある日の事、三助が海辺で海草を探していると一人の娘が近づいてきました。 
 三助は走り寄って、娘に声をかけました。 
「あんたは、だれかいの? わしは津軽の十三(とさ)から流されて来た三助というんじゃ」 
 すると娘が答えました。 
「わたしは能登(のと)から流されて来た者で、早苗(さなえ)と言います」 
 この早苗も、親に捨てられてこの島に流れついたのでした。 
「そうか。お互い親に捨てられた身、力を合わせてがんばろうや」 
 
 それから二人は力を合わせて、けんめいに働きました。 
 一通り生活が落ち着くと、三助は母親がくれたモミを取り出して稲を作ろうと考えました。 
 三助は鍬(くわ)で土地を耕し、早苗は鎌(かま)で草をかりました。 
 
 やがて秋が来て、二人の稲が見事に実りました。 
「この米、なんちゅう名前にしようか?」 
 三助が言うと、早苗が答えました。 
「十三三助(とささんすけ)がいいわ」  
「じゃあ、来年とれる米は、加賀早苗(かがさなえ)という事にしようや」 
 
 やがて年月が過ぎて二人は死んでしまいましたが、三助は男神山(おがみやま)となり、早苗は女神山(めがみやま)となって、いつまでも寄りそっているという事です。 
 この島に、はじめて稲をもたらした神さまとして。 
      おしまい 
         
         
         
        
 
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