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8月1日の百物語
イラスト 「夢宮 愛」 運営サイト 「夢見る小さな部屋」
朝顔 牵牛花
翻訳者 ソウ キョウ
にほんご(日语) ・にほんご(日语)&ちゅうごくご(中文)
むかしむかし、江戸(えど→東京都)に、岡田弥八郎(おかだやはちろう)という侍(さむらい)が住んでいました。
很久很久以前,在江户(现东京都)住着一位名叫弥八郎的武士。
弥八郎(やはちろう)には、ただ一人の娘がいて、その名をしずと言います。
弥八郎家只有一位千金,名字叫小静。
しずは朝顔の花が大好きで、十四才の時に朝顔のつぼみを見つけて、こんな歌をつくりました。
小静非常喜欢牵牛花,她十四岁时候曾经望着牵牛花的花骨朵这样唱道——
♪いかならん
♪色に咲くかと
♪あくる夜を
♪まつのとぼその
♪朝顔の花
(歌词大意:天亮起来的时候,篱笆上的牵牛花,会开出什么样的颜色呢。)
父はこの歌をたんざくに書いて、妻に見せました。
父亲把歌词写在诗笺上,拿给太太看。
「あの小さな胸に、どんな色に花が咲くであろうと、次の朝を待つ心じゃ」
“在她幼小的心里,一定是在期待着明早会开出什么颜色的花朵呀。”
「はい、まこと素直に、うたわれております」
“是呀,在她的歌里正是这样真诚地唱的。”
ところが娘のしずは、この年の冬にかぜをこじらせて、そのまま死んでしまったのです。
然而,女儿小静却在这年冬天感染风寒,小小年纪就离世了。
残された父と母は、とても悲しみました。
留下父母在人世间,悲伤至极。
さて、夏も近いある日の事。
夏日将近的某一天。
母が何げなく娘の手箱(てばこ→小物入れ)を開けてみると、中には小さな紙包みがいくつも入っていました。
母亲不经意打开了女儿留下的一个手箱(收纳小物件的盒子),发现里面装着几个小小的纸包。
そしてどの包みにも細いきれいな字で、桃色、空色、しぼり(→青色の一種)、などと、色の名が書きしるされていました。
而且每个纸包上都用纤瘦工整的字写着“粉红”“天蓝”“靛蓝”之类的颜色名字。
一色ずつ紙にていねいに包んだ、その色の朝顔のタネです。
用各种颜色的纸一包一包仔细包着的,是跟彩纸颜色对应的牵牛花的种子。
(ああ、娘はこのタネをまいて、それぞれの色の美しい花の咲くのを、どれほど見たかった事でしょう)
“唉,女儿曾经多么想种下这些种子,然后看着它们开出各种颜色的花朵啊。”
そう思うと母はたまらなく、せつなくなりました。
想到这些,母亲又不禁悲伤了起来。
「そうだわ。せめてこのタネをまいて、娘をとむらいましょう」
“这样吧,至少让我来播种下这些种子,安慰女儿的在天之灵吧。”
母は庭に、その朝顔のタネをまきました。
母亲就在院子里,种下了那些牵牛花的种子。
日がたってつるがのび、やがてつぼみがつきました。
过了几日藤蔓伸展开来,长出了几个花骨朵。
ある夏の朝、
一个夏日的清晨,
弥八郎(やはちろう)を仕事に送り出した母は、ふと庭の朝顔を見ました。
夏日里的一天,母亲在送弥八郎出门的时候,不经意间看到了院子里的牵牛花。
すると美しい一輪の花がパッと咲いていて、その花のそばに娘のしずが立っているではありませんか。
紧接着就开出了一朵美丽的花,花朵旁边站着的人不就是女儿小静吗。
「おおっ。しず、しずかい?」
“啊,小静!是小静吗?”
母が思わず声をかけると、娘はうれしそうにニッコリほほ笑み、そして小さな声で、
母亲立刻上前去问,只见女儿微微笑着,小声说道:
「お花を、ありがとう」
“牵牛花,谢谢您。”
と、言って、そのままスーッと消えてしまいました。
说完,瞬间就消失不见了。
夕方になって父の弥八郎(やはちろう)が帰って来た時、夕方にはしぼむはずの朝顔は、まだ美しい色で咲いていたという事です。
傍晚父亲弥八郎回家的时候,本来在傍晚应该凋谢的牵牛花,那时却依然色彩鲜艳地绽放着。
おしまい
完
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