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2月1日の日本民話
成相観音(なりあいかんのん)
京都府の民話 → 京都府情報
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むかしむかし、丹後の国(たんごのくに→京都府)のある山寺で、一人の坊さんが修行をしていました。
ここはとても雪の降る土地なので、山寺は深い雪に閉じ込められてしまいました。
持って来た食料はしだいに少なくなり、村におりて食料をもらおうと思っても、雪が深くて外に出る事も出来ません。
仕方なく坊さんは、一心にお経を唱えていました。
初めのうちは我慢していたのですが、何も食べないで十日も立つうちに、もう立ち上がる気力もなくなってしまいました。
本堂のすみに座ったまま、とぎれとぎれにお経を唱えるばかりです。
春も近いというのに、この深い雪のせいで、ただ死を待つばかりです。
そこで本堂の正面にある観音さまに、手を合わせてお願いしました。
「なむ観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。
ただ一度、観音さまのお名前を唱えただけでも、色々とお願いを叶えて下さると聞いております。
わたしは長い年月、観音さまを拝んでおりますのに、その観音さまの前で、もうすぐ飢え死にしようとしています。
観音さま、わたしは高い位やお金をお願いしているのではございません。
ただ食料を・・・。
一日の命をつなぐだけの食料を、どうかお恵み下さいませ」
そう一心にお祈りしてから、ふと向こうを見ました。
すると本堂のすみの壊れているところから外の雪景色が見えて、そこに何か横たわっている物が目に入りました。
「おや、何だろう?」
坊さんは、はうようにして本堂を出ると、その横たわっている物のそばに寄ってみました。
それは、オオカミに食い殺されたシカでした。
(こんなところに、シカとは。・・・! ありがたや。これこそ、観音さまから授かった物だ)
坊さんは、最後の力を振り絞る様にして立ち上がりました。
しかしふと心の中に、こんな考えが浮かんできました。
(自分は長い間、仏の道を修行してきた。
仏の道につとめる者は、どんな事があっても肉を食べてはいけない事になっている。
もしこの教えを破れば、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に落ちると聞いている。
仏の道を修行している者が、たとえ飢え死にしようと、どうして肉を食べる事が出来よう)
坊さんはそう思って、一度は思いとどまりました。
しかし目の前にあるシカの肉を見て、どうしても我慢が出来ません。
(ああ、もうどうなっても構わない。
たとえ死んだ後、どんな罰を受けようとも、このまま苦しみながら飢え死にするよりは食べた方がましだ)
そう決心すると、坊さんはシカの左右のももの肉を切り取り、なべに入れて煮る事にしました。
そしてガツガツと、けものの様にその肉を食べたのです。
その味は今まで食べたどんなごちそうよりも、素晴らしい物でした。
しかし食べ終えた途端、坊さんは声をあげて泣き出しました。
仏の道にそむいた事が、とても悲しかったのです。
さて次の日、坊さんはお寺の方に近づいて来る足音と話し声に気づきました。
「このお寺にこもって修行していたお坊さんは、どうしておられるだろう?」
「雪に閉じ込められて、食べ物がなくなったのではないか?」
それを聞いた坊さんは、急に慌て出しました。
(そうだ、シカを煮たなべを隠さなくては)
そう思いましたが、慌てるばかりで、何をどうしていいのかわかりません。
なべの中を見ると、食べ残した肉がそのままでした。
(これを見たら、村の人たちは何と言うだろう。
『坊さんが、シカの肉を煮て食べた』
と、言いふらすに違いない。
修行している者にとって、こんな恥ずかしい事はない)
坊さんは、ただうろうろするばかりです。
そのうちに村の人たちが、本堂の中に入って来ました。
「おおっ、ご無事で何よりでした」
「今年の冬の寒さは、格別でしたな。このお山は、大変だったでしょう」
村の人たちはそんな事を言いながら、荒れ果てた本堂の中をぐるりと見回しました。
そしてその中の一人が、すみにあったなべを見つけたのです。
なべの中をのぞき込んだ途端、
「あっ、これは!」
と、大声で叫びました。
みんな驚いて、いっせいになべの中をのぞきました。
なべの中には、シカの肉が・・・。
いいえ、なべの中には、細かく切り刻んだ木が入っていたのでした。
なべの周りには、木を食い散らした跡があります。
「おお、いくら食べる物がないといっても、よくまあ、こんな木の切れ端を食べられたものだ」
「木を食べて、この冬を越されていたとは、何とも、おいたわしい事よ」
坊さんは村人の言葉を聞きながら、訳が分からずに呆然としていました。
すると今度は、本堂の正面の方にいた人が大声をあげました。
「これは、もったいない事を!」
村人たちが、いっせいに振り返るとどうでしょう。
正面に置かれた木で作った観音さまの像が、左右のもものところを大きく削り取られているではありませんか。
「ひどい事をなさるお坊さんじゃ。これは、あんまりじゃ」
「木を食べるなら、柱でも食べたらよいのに。よりによって、大切なご本尊を食べるなんて」
村人たちの言葉に、坊さんはご本尊を見上げました。
確かに村人たちの言う通り、観音さまの左右のももがえぐり取られています。
坊さんは思わず、ご本尊に手を合わせました。
(ああ、本堂の外に倒れていたシカは、本当は観音さまだったのだ。
それも、このわたしを助けてくださる為に。
なむ観世音菩薩。
ありがたや、ありがたや)
坊さんは心を込めてお祈りをすると、村人たちに今までの話を語って聞かせました。
すると聞いていた村人たちも、観音さまのありがたさに思わず手を合わせました。
語り終わった坊さんは、もう一度、観音さまの像に向かって、うやうやしく手を合わせると、
「おかげさまで、命も心も助かりました。
これが最後の願いです。
どうか、元の姿に戻ってくださいませ」
と、心を込めてお祈りしました。
すると不思議な事に、みんなの見ている前で観音さまの削り取られたももが、きれいに元の姿に戻ったのです。
この事があってから、この観音さまを成合(なりあい)観音と言うようになりました。
『成り合う』と言う言葉には、『完全に出来上がる』『願いが必ず叶う』と言う意味があるのです。
そしてお寺の名前も、成合寺(成相寺)と呼ぶようになり、今でも多くの人が訪れているのです。
※成相寺公式ページ http://www.nariaiji.jp/
おしまい
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