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5年生の日本昔話
二人の甚五郎(じんごろう)
むかし、飛騨(ひだ→岐阜県(ぎふけん))の山おくに、佐吉(さきち)という、彫り物(ほりもの)のとてもじょうずな男がすんでいました。
あるとき、佐吉(さきち)はうでだめしをしようと、旅に出かけました。
ところが、尾張(おわり→愛知県)の国まできたときには、持っていたお金をすっかり使いはたしてしまいました。
宿(やど)の支払(しはら)いにもこまった佐吉(さきち)は、宿の主人に、なにか彫り物(ほりもの)をさせてほしいとたのみました。
「よし、それじゃ、宿代のかわりに、なにか彫(ほ)っておくんなさい」
主人がゆるしてくれたので、佐吉(さきち)はさっそく彫(ほ)りはじめました。
よく朝、佐吉(さきち)はみごとな大黒さまを、宿の主人に差し出しました。
「これはみごと! こんなすばらしい大黒さまは見たことがない。これは、家の家宝(かほう)にさせていただきます」
大喜びする宿の主人に、佐吉(さきち)は申し訳(もうしわけ)なさそうに。
「彫(ほ)る木が手元になかったもので、このへやの大黒柱(だいこくばしら)をくりぬいて使わせてもらいました。おゆるしください」
「・・・?」
宿の主人が大黒柱を調べてみましたが、きずひとつ見当たりません。
「はて、この大黒柱でしょうか?」
「はい。これです」
そういって、佐吉(さきち)がポンと手をたたくと、カタンと、柱の木がはずれました。
なるほど、たしかに中は空洞(くうどう)です。
すっかり感心した宿の主人は、佐吉(さきち)のことを、そのころ日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の造営(ぞうえい→建物を建築(けんちく)すること)にたずさわっていた彫り物(ほりもの)名人、左甚五郎(ひだりじんごろう)に知らせました。
甚五郎(じんごろう)は、さっそく佐吉(さきち)をよびよせ、
「おまえのとくいなものを見せてくれ」
と、いいました。
そこで佐吉(さきち)が彫(ほ)ったのは、いまにも動きだしそうな、みごとな仁王(におう)さまです。
甚五郎(じんごろう)はすっかり感心して、佐吉(さきち)を東照宮の造営(ぞうえい)に参加させることにしました。
「わたしは、りゅうを彫(ほ)ろう。佐吉(さきち)、おまえは山門のネコを彫(ほ)れ」
左甚五郎(じんごろう)にみとめられたうれしさに、佐吉(さきち)は力いっぱい彫(ほ)りつづけました。
毎日毎日、彫(ほ)りつづけ、とうとう山門のネコがほりあがりました。
そして、甚五郎(じんごろう)やほかの弟子たちの仕事もすべておわり、東照宮は完成しました。
検査(けんさ)の役人たちも、そのみごとさには、ただおどろくばかりです。
甚五郎(じんごろう)をはじめ、みんなはたいそういい気分になり、その夜は酒やごちそうでおいわいしました。
酒を飲み、歌い、もりあがったみんなは、疲(つか)れていたのか、たくさんのごちそうを残したまま、グーグーと、ねむってしまいました。
ところがそのよく朝、みんなが目ざめてみるとどうでしょう。
あれほどたくさんあったごちそうが、一ばんのうちになくなっているのです。
「おまえが、食べたんじゃろうが!」
「とんでもない、おまえこそ!」
弟子たちのいいあらそいを聞くうちに、甚五郎(じんごろう)と佐吉(さきち)は、ハッと顔を見合わせました。
甚五郎(じんごろう)はノミと木づちを持ち、山門へといそぎました。
佐吉(さきち)もだまって、あとを追います。
山門へきてみると、佐吉(さきち)の彫(ほ)ったネコのまわりに、ごちそうを食いちらしたあとがあります。
甚五郎(じんごろう)はクワッと目を見開き、カーンと、ノミと木づちをふるいました。
その一刀のもとに、佐吉(さきち)のネコは、ねむりネコになってしまいました。
佐吉(さきち)は、甚五郎(じんごろう)のうでのあまりのすごさに、思わず地面にひれふしました。
「左甚五郎先生(じんごろうせんせい)!」
甚五郎(じんごろう)は、佐吉(さきち)のかたに手をおき、しみじみといいました。
「佐吉(さきち)よ、彫り物(ほりもの)のネコにたましいが入るとは、おまえはまことの名人じゃ。これより、わしの名をとって、飛騨(ひだ)の甚五郎(じんごろう)と名のるがよい」
「はいっ、ありがとうございます!」
佐吉(さきち)の彫(ほ)ったネコは、そのあと、「日光東照宮のねむりネコ」として、とてもひょうばんになりました。
それにつれて、飛騨(ひだ)の甚五郎(じんごろう)の名まえも、たいへん有名になったということです。
おしまい
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