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7月4日の日本民話
(7月4日的日本民間故事)
佐々木小次郎のツバメ返し (健全普通話版)
佐佐木小次郎的燕返
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日本には数多くの剣豪(けんごう)とよばれる剣術の達人がいますが、宮本武蔵と並んで人気の一位を争うのが、「ツバメ返し」で有名な佐々木小次郎です。
在日本為數眾多的劍客之中其中也不乏出現了各類頂尖的劍豪劍聖、然而今天的說的這位則是有與著宮本武蔵爭奪第一之稱的“燕返”名手佐佐木小次郎了。
これは、その佐々木小次郎のお話しです。
那麼現在也就開始來說說關於小次郎他的故事吧。
今から四百年もむかし、越前の国(えちぜんのくに→福井県)の一乗谷(いちじょうだに)に城をかまえる、朝倉義景(あさくらよしかげ)という殿さまの家臣に、富田勢源(とみたせいげん)という、飛び抜けた剣術を持つ侍がいました。
距今為止四百多年前的以前、筑城於越前國一乘谷的主君朝倉義景、而在他的手下就有這麼的一位叫做富田勢源的十分厲害的劍術達人。
勢源(せいげん)は、『中条流(なかじょうりゅう)』という剣法をあみ出して、その強さは北陸中(ほくりくじゅう)に知れ渡っていました。
勢源以自己編出的一套名為“中條流”的劍法、其威名在北陸中這塊最為廣傳。
その勢源が最も得意としていたのは、『小太刀(こだち)』という短い剣を使う剣法です。
而現在要是說說勢源他那最為拿手的好戲、那就絕對是他那小太刀了、人家在劍法的造詣上最善使的就是這短劍了。
ある日の事、勢源の元に、小次郎(こじろう)と名乗る子どもが弟子入りにやってきました。
時間現在來到某一天、今日是勢源的道館裡來了一位名叫做小次郎的小孩子來此拜師。
「強くなりたいです。弟子にしてください」
我希望能變得厲害起來、還請將我收下作為弟子吧。
一見すると小次郎はひ弱そうな子どもだったので、勢源は弟子入りを断りました。
這個叫做小次郎的孩子一眼看去便就是一副十分貧弱的模樣、勢源只是看了人家一眼後就果斷的拒絕了人家這個想成為弟子的請求。
ですが、
可。
「お願いです。強くなりたいのです。弟子にしてください」
拜託拜託、請一定要收下我作為弟子、我想要變的能夠厲害起來。
と、断っても断っても弟子入りをお願いするので、ついに根負けした勢源は、小次郎を道場の小間使いとして使うことにしました。
當然這就又是給勢源給拒絕了去、可小次郎這小傢伙三番五次的一直求、這就讓勢源終是給人家的根性所折服、答應了人家願意讓他進來道館裡面給自己打個雜跑跑腿了。
小間使いとして働くようになった小次郎は、少しでも時間を見つけると、とても熱心に修業をして、十六才になる頃には道場一の剣術使いになっていたのです。
就這樣成功的進入了道場內打雜的小次郎、稍微有一點空閒的時間、這就也可以自己摸上個兵器一陣玩上那麼一會兒、就因為他的這個專注勁、多少個年頭過去、待人家來到這十六歲之時已經都是成為了這道館的劍術第一了。
それからは名も佐々木小次郎と改め、勢源がいない時は、勢源の代わりとして道場を任されるようにもなりました。
也就是這時、人家就將自己的名字給弄的正式一點點改成了佐佐木小次郎、這個時候的小次郎都是已經可以趁著師傅有事不在時、自己暫時代替其成為道館的劍術指導了。
こうして願い通りに強くなった小次郎ですが、師匠の勢源には、まだまだ勝つ事が出来ません。
就這樣現在的小次郎也算是完成了當初那麼的一個自己想要變強的心願吧、可對於自己的師傅勢源、僅憑自己現在的這個實力那還是遠不能及呢。
「一体どうすれば、師匠を抜く事が出来るのだ?」
究竟要怎麼樣、我才能夠也戰勝超越師傅他呢?
悩んだ小次郎は、ふと、洗濯物を干す物干し竿を見て思いつきました。
懊惱於此事的小次郎有日就突然瞧見了一根長長的晾衣杆。
「師匠には小太刀を教えてもらったが、同じ小太刀では師匠に一日の長があるため、抜く事は出来ない。しかし、刀を長くすれば」
我在師傅那學來的從來都是如何的去使用著小太刀、可作為已經熟練了小太刀的師傅、他那經年累月的功夫我怎麼可能在小太刀上勝過他呢、但萬一換做是不一樣的長刀。
こうして小次郎は小太刀を捨てて、長い刀を持つようになったのですが、簡単に使いこなせる物ではありません。
就這樣呀、小次郎這傢伙現在乾脆就小太刀不去練了、變成了手握一柄長刀、可這玩意就是要把它給使用的得心應手那也是要花費一大番的功夫呀、不然不可能就那麼輕易的能夠達成。
師匠の勢源からも、
就連知道了此事的師傅也是過來勸阻了。
「剣でもっとも重要な物は早さだ。その様に長い刀では、早く振る事は出来まい」
劍這玩意兒最重要的首先就是速度、說白了就是快、可像你拖著這麼一把長長的贅物、是要怎麼快的起來嘛。
と、言われましたが、小次郎はあきらめません。
雖然人家師傅也是給與了其建議、可小次郎他還是覺得這事很有搞頭。
毎日毎日、長い刀で練習を重ね、ついには腰に差せないほどの長い刀を使いこなせるようになったのです。
這就每天每天都持續不斷的練習起了那把長刀、這把刀它可不是一般的長呀、人家都是長到了無法別在了腰上這種、可也就是這樣的一把刀讓人家小次郎最終是給玩熟了。
ですが、まだ師匠には勝てません。
可即便如常、還是差了自己的師傅一大截呢。
ある時、小次郎は近くの一乗滝(いちじょうだき)で流れる水を見ていました。
有天、小次郎人就來到了這附近的一乘滝瀑布、觀察起了這嘩嘩的流水。
するとそこへツバメが飛んできて、空を切って一回転すると空へと舞い上がりました。
正巧此時一尾飛燕飛過、只見人家就是那麼一個
勢頭猛烈的急速迴旋劃破了天空。
「飛んでいるツバメは、どんな剣の達人でも斬る事が出来ないと言うが、もしツバメを斬る事が出来れば、わたしは師匠を抜く事が出来るかもしれん」
要說是怎樣的劍術高手、可要是來讓他們試試去斬落這天上的飛燕、我想這也是難以辦到吧、如果我可以能夠做到斬下天空的飛燕、那麼也許在那個時候我就也有可能打贏師傅了。
こうして小次郎は、毎日滝へ出かけては、ツバメにいどみ続け、ついにツバメを斬りおとすと技をあみ出したのです。
就這樣呀、以後的小次郎是每日都會跑來這瀑布之前、逼著燕子與自己的長刀比試比試看看到底是誰更快、而就是終於有一天、燕子它就遭不住了呀、所以說嘛、最後小次郎這能夠快過飛燕的長刀劍法終也是練成。
そして、その技で師匠に勝つ事が出来た小次郎は、長い剣を使う剣法を『厳流(がんりゅう)』、ツバメを斬りおとした奥義(おうぎ)を『ツバメ返し』と名付け、さらに剣術を磨く為に、諸国へ武者修業に出かけたのです。
憑藉的此技的小次郎後來也是順利的戰勝了自己的師傅、出師之後的小次郎便以磨練自己的劍術為由開始了各處遊歷、挑戰天下各路的用劍好手、也就是此時的江湖之中莫名出現了一位使著“嚴流”劍法、奧義為“燕返”的後起新秀。
これは、宮本武蔵と戦う数年前の事です。
而以上這一切都還是發生在小次郎與宮本武蔵那場對決的數年之前。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
佐々木小次郎のツバメ返し
燕返
日本には数多くの剣豪(けんごう)とよばれる剣術の達人がいますが、宮本武蔵と並んで人気の一位を争うのが、「ツバメ返し」で有名な佐々木小次郎です。
要講拿刀砍人那家最強、為了這個虛名、曾經的燕返和兩天一流就有過一爭。
これは、その佐々木小次郎のお話しです。
這就講條年輕人一天卵事㫘得天天砍燕子。
今から四百年もむかし、越前の国(えちぜんのくに→福井県)の一乗谷(いちじょうだに)に城をかまえる、朝倉義景(あさくらよしかげ)という殿さまの家臣に、富田勢源(とみたせいげん)という、飛び抜けた剣術を持つ侍がいました。
時四百多年前、越前國一乗谷、主君朝倉義景、跟到邊上的家臣富田勢源、這手上的刀舞起來就快。
勢源(せいげん)は、『中条流(なかじょうりゅう)』という剣法をあみ出して、その強さは北陸中(ほくりくじゅう)に知れ渡っていました。
這條喊勢源的刀客就悟出自己的中条流、到北陸中的名聲廣了。
その勢源が最も得意としていたのは、『小太刀(こだち)』という短い剣を使う剣法です。
而勢源最中意耍的還是自己的小太刀、類似一種短刀的殺人術。
ある日の事、勢源の元に、小次郎(こじろう)と名乗る子どもが弟子入りにやってきました。
這天一條喊小次郎的傢伙就到勢源這裡拜師了。
「強くなりたいです。弟子にしてください」
講自己要變強。
一見すると小次郎はひ弱そうな子どもだったので、勢源は弟子入りを断りました。
但勢源看別個樣子就感覺這人苗子不行、㫘打算要教。
ですが、
「お願いです。強くなりたいのです。弟子にしてください」
但是小太郎肯求。
と、断っても断っても弟子入りをお願いするので、ついに根負けした勢源は、小次郎を道場の小間使いとして使うことにしました。
這就天天磨天天磨、勢源看小夥子有心、難得、準了、先進來打雜看兩天。
小間使いとして働くようになった小次郎は、少しでも時間を見つけると、とても熱心に修業をして、十六才になる頃には道場一の剣術使いになっていたのです。
這就當工讀生到道場裡面混、一有空自己也可以摸二下刀、小次郎肯練、這就十六歲就甚麼都讓他懂完了。
それからは名も佐々木小次郎と改め、勢源がいない時は、勢源の代わりとして道場を任されるようにもなりました。
名字也過改了、正式點喊佐佐木小次郎、師傅㫘到的時候、自己也可以帶。
こうして願い通りに強くなった小次郎ですが、師匠の勢源には、まだまだ勝つ事が出来ません。
但是這麼多日子下來、小次郎發現自己還是敵不過勢源。
「一体どうすれば、師匠を抜く事が出来るのだ?」
這就想早點出師、想辦法贏。
悩んだ小次郎は、ふと、洗濯物を干す物干し竿を見て思いつきました。
這就天天愁啊愁、直到有天看到一根晾衣杆。
「師匠には小太刀を教えてもらったが、同じ小太刀では師匠に一日の長があるため、抜く事は出来ない。しかし、刀を長くすれば」
心想師傅教我的是小太刀、這方面的造詣他肯定是比我長久、想要超越自然是不可能、但一寸長一寸強、我若是可以開創出長刀。
こうして小次郎は小太刀を捨てて、長い刀を持つようになったのですが、簡単に使いこなせる物ではありません。
小次郎這就放棄小太刀、開始專心舞晾衣杆了、但是刀長這舞起來就不便。
師匠の勢源からも、
師傅曉得他到搞這條案子、就講
「剣でもっとも重要な物は早さだ。その様に長い刀では、早く振る事は出来まい」
自己之所以選擇小太刀、就是因為跟太刀相比少了更多約束、速度更夠更快、而你選了把比太刀還長的晾衣杆。
と、言われましたが、小次郎はあきらめません。
但是小太郎覺得自己的長刀㫘錯有搞頭。
毎日毎日、長い刀で練習を重ね、ついには腰に差せないほどの長い刀を使いこなせるようになったのです。
這就每天習慣長刀、透過練習幫別到腰上都別不到的晾衣杆過玩熟了。
ですが、まだ師匠には勝てません。
但是還是㫘比贏師傅。
ある時、小次郎は近くの一乗滝(いちじょうだき)で流れる水を見ていました。
這時小次郎就跑到瀑布、看流水靜心。
するとそこへツバメが飛んできて、空を切って一回転すると空へと舞い上がりました。
就看到一尾飛燕穿過。
「飛んでいるツバメは、どんな剣の達人でも斬る事が出来ないと言うが、もしツバメを斬る事が出来れば、わたしは師匠を抜く事が出来るかもしれん」
心想這劍術通天也斬不了日月、就連這天上的飛燕甚至都是刀劍莫及、我若是能夠斬燕、莫興有機會贏。
こうして小次郎は、毎日滝へ出かけては、ツバメにいどみ続け、ついにツバメを斬りおとすと技をあみ出したのです。
這就每天燕子都癲人了、不曉得這底下為甚麼有條傢伙天天要取條像跟晾衣杆的傢伙刷自己、直到有天死了都不曉得。
そして、その技で師匠に勝つ事が出来た小次郎は、長い剣を使う剣法を『厳流(がんりゅう)』、ツバメを斬りおとした奥義(おうぎ)を『ツバメ返し』と名付け、さらに剣術を磨く為に、諸国へ武者修業に出かけたのです。
燕子都死啦、師傅也打贏了、小太郎這過也自己開宗、劍法嚴流、奧義燕返、為了領悟更多、提到自己的晾衣杆全國各地砍劍豪。
これは、宮本武蔵と戦う数年前の事です。
直到後面碰到宮本武蔵划船過來就地削槳、用了把更長的船槳幫自己的晾衣杆破了。
おしまい
结束
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