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8月27日の日本民話
(8月27日的日本民間故事)
三日月の滝 (健全普通話版)
三日月瀑布
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むかしむかし、京の都に、清原正高(きよはらまさたか)という横笛(よこぶえ)の名人がいました。
在很久很久以前、位於上京的都內、就有著這麼一位叫做清原正高的吹笛名人。
その正高(まさたか)うわさが帝(みかど→天皇の事)の耳に入り、宮中の宴(うたげ)の席で笛を吹くようになったのです。
聞聽正高不凡的傳聞之後、當時的天皇於是乎也就給人家是喚入了宮中、並給與了其一個專門在宴會間奏樂的樂師官職。
ある日の事、宮中勤めをするようになった正高(まさたか)が笛を吹いていると、どこからともなく笛に合わせるように美しい琴(こと)の音(ね)が流れてきました。
就說說某天、現在已經是進入了宮中的正高正在那隨意吹著笛子呢、可就不知道是哪兒突然也就是給傳來了一陣琴聲與笛音合流了起來。
それは、小松女院(こまつにょいん)という姫のかなでる琴でした。
當然、這其實正是人家宮裡面的一位公主、小松女院在那撫琴呢。
その日から宮中では笛と琴の音あわせが、毎日のように聞かれるようになったのです。
但就不知道自這天後是發生啥事了、咋就每天的這個時候都就能夠聽到一曲笛聲與琴音在那共演呢。
そして二人は、お互いに相手の事が好きになりました。
等時間這就又是繼續的醞釀了一陣之後呀、好傢伙、兩人竟然是互相的愛上了。
これを知った帝は、大変怒りました。
但就等這事是給當時的天皇知情了之後吧、聽說是發起了天大的怒火。
笛吹きの正高と帝と血のつながりのある姫とでは、身分が違い過ぎるからです。
畢竟正高與人家公主之間的身份懸殊是過於的巨大、說白了正高其實無非也就一個小老百姓、只是談的上會吹點笛子、而人家公主可是實打實的皇室呢。
そして正高は豊後の国(ぶんごのくに→大分県)へ、姫は因幡の国(いなばのくに→鳥取県)へと、離ればなれにされてしまいました。
就這樣、事情被搞大了之後、正高也是給人下了逐客令、上頭怕又是和人公主私底下攪一塊去了、都內也不準你呆了、給你人直接是弄到了豐後國、而公主那邊呢、也是給其換了個地方、因幡。
さて、それからいく年もたちましたが、姫はどうしても正高の事が忘れられられず、十一人の侍女(じじょ)とともに豊後の国へと旅立ったのです。
可即便就是千里之遙但也仍不足斷絕了公主是對正高還抱著了舊情、一直等時間過去了好幾年、差不多大家都開始遺忘這事時、公主帶著自己的十一名侍女是自因藩出發前往豐後了。
けわしい山を越えて海を渡るその旅は、命をかけての旅でした。
這一路上可謂是艱難險阻、歷盡眾多磨難是在那拿命去奔波呀、翻過了高山又是越過了大海。
豊後の国の玖珠(くす)という所にたどり着いたのは、因幡の国を出てから百日余りもたった頃です。
終於、人家公主這就來到了豐後呀、等這就又訪問到一個當地叫做玖珠的地方時、打從自因幡出發的那日開始算、現在都已經行走了百日有餘啦。
みんなは身も心も疲れ果てて、三日月の滝のほとりで休んでいました。
就別提這一路上大家多難啦、是身心俱疲、剛好了這附近就是一個三日月瀑布、來這之後呢、就稍先休息一個一陣吧。
するとそこへ、一人の年老いた木こりが通りかかりました。
而也就是這個時候呀、一名上山砍柴的老爺爺是過了路。
侍女の一人が、木こりに声をかけます。
看到了當地人、休息著的侍女其中一人這就開始打聽呀。
「あのう、このあたりに清原正高さまというお方が住んでいると聞いて参ったのですが」
不好意思呀、打聽打聽、就這附近應該是有一位叫做清原正高的官人、您若是知道人家的住處的話能夠告知給我們嗎。
「ああ、横笛の正高さまかね。正高さまなら、五、六年前からこの里に住んでおいでじゃが、今では里の主の兼久(かねひさ)さまの娘婿(むすめむこ)になっております」
知道呀、就是那個吹笛子的正高對不對呀、可正高他呀、五六年前還就在這個村子裡跟大家住一起呢、但現在人家搬家換地方咯、是我們這裡當地的名門、兼久大老爺呀、給人家招去作女婿咯。
「なっ、なんと・・・」
甚、甚麼…………
これを聞いた姫は、生きる望みをたたれました。
聽聞了這個令人吃驚消息的當下、公主竟然是已經不打算活了。
「正高さま・・・」
正高卿…………
姫はよろよろと三日月の滝のふちに近寄ると、手を合わせて飛び込んだのです。
就這樣呀、公主是在恍惚之間越來越靠近起了三日月瀑布的邊緣、然後瞬間就是完成了一躍。
「姫さま。わたくしたちも、お供いたします」
主人主人、我們這就也跟著你一起走。
そしてその後を追って、十一人の侍女たちも次々と身を投げてしまいました。
結果呢、那就是十一名的侍女也連接的一個個陸續跳下選擇了輕生。
年老いた木こりは、あまりの出来事に息をのんで見つめているだけでした。
而就是在見證了這一幕之後的那位過路的老樵、人家當然就只能是目瞪口呆呀、片刻之後就是瘋狂嘆息呀。
この木こりから話しを聞いた正高は、姫とその侍女たちの霊(れい)をなぐさめるために寺を建てました。
趕緊的、老人這就跑正高家告訴他這事去啦、人家這就也知道了結末、言是為安撫公主與其侍女的在天之靈、修建了一所寺廟把人都是供奉在其中了。
そして心をこめて、横笛を吹いたのです。
然後自己也是心中過意不去、飽含深情的又是為亡者們吹上了一曲、禱告。
正高の建てたその寺は正高寺(しょうこうじ)と呼ばれて、今も残っています。
就說當初的那個正高修建的寺廟吧、現在還留著呢、就叫正高寺。
そして三日月の滝のほとりには、嵐山神社(あらしやまじんじゃ)が建てられて、正高の横笛が大切に保存されているという事です。
然後吧、就當時眾人一同赴死的那個三日月瀑布的河畔旁、又是給修建起了一間嵐山神社、念助亡者安息、正高的那根笛子亦被供奉在了內中。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
三日月の滝
情死
むかしむかし、京の都に、清原正高(きよはらまさたか)という横笛(よこぶえ)の名人がいました。
到好久以前、京都、有條喊清原正高專門吹簫的。
その正高(まさたか)うわさが帝(みかど→天皇の事)の耳に入り、宮中の宴(うたげ)の席で笛を吹くようになったのです。
大家都曉得他吹的好、就過人進薦去宮裡面又吹。
ある日の事、宮中勤めをするようになった正高(まさたか)が笛を吹いていると、どこからともなく笛に合わせるように美しい琴(こと)の音(ね)が流れてきました。
好傢伙、這就變成御前吹簫官了、這就留到宮中的這段時日、有天、正高的簫一上手、忽來一陣琴音合流。
それは、小松女院(こまつにょいん)という姫のかなでる琴でした。
這過肯定又是哪條貴人到。
その日から宮中では笛と琴の音あわせが、毎日のように聞かれるようになったのです。
起初不曉得、這就每日琴音合鳴。
そして二人は、お互いに相手の事が好きになりました。
兩傢伙是慢慢初生情竇了。
これを知った帝は、大変怒りました。
但後帝聞之、大怒。
笛吹きの正高と帝と血のつながりのある姫とでは、身分が違い過ぎるからです。
這就真還不是一般人、畢竟帝血不與賤种苟合、這要攀實也是攀錯人了。
そして正高は豊後の国(ぶんごのくに→大分県)へ、姫は因幡の国(いなばのくに→鳥取県)へと、離ればなれにされてしまいました。
講兩條傢伙是千萬不能攪到一起去、這就硬是幫人過拆了、分別是幫人安於不同的兩國、就這麼到幫人相隔千里。
さて、それからいく年もたちましたが、姫はどうしても正高の事が忘れられられず、十一人の侍女(じじょ)とともに豊後の国へと旅立ったのです。
等到過了好多年、松姬等到這事被大家淡忘、偷偷帶了十一個侍女陪同、去豊後國逽人去了。
けわしい山を越えて海を渡るその旅は、命をかけての旅でした。
一隊人馬全是女的到那裡越山渡海。
豊後の国の玖珠(くす)という所にたどり着いたのは、因幡の国を出てから百日余りもたった頃です。
當時是分別幫這人從因幡隔到豊後、松姬這行了百日有餘、人過終到了玖珠。
みんなは身も心も疲れ果てて、三日月の滝のほとりで休んでいました。
實在是走不動了、先到三日月滝這地方歇了下踋。
するとそこへ、一人の年老いた木こりが通りかかりました。
這時就來了條砍柴的老杆子。
侍女の一人が、木こりに声をかけます。
其中一條陪同的侍女就問老人。
「あのう、このあたりに清原正高さまというお方が住んでいると聞いて参ったのですが」
訪別個老人家問清原正高這人住那裡。
「ああ、横笛の正高さまかね。正高さまなら、五、六年前からこの里に住んでおいでじゃが、今では里の主の兼久(かねひさ)さまの娘婿(むすめむこ)になっております」
吹簫的那傢伙啊、我曉得、以前就住我們這裡的、現在搬走了、到別個大戶屋裡作女婿去了。
「なっ、なんと・・・」
啊!松姬一聽瞬間人就不好了。
これを聞いた姫は、生きる望みをたたれました。
「正高さま・・・」
突然不想活了。
姫はよろよろと三日月の滝のふちに近寄ると、手を合わせて飛び込んだのです。
這人就依到池邊一跳。
「姫さま。わたくしたちも、お供いたします」
そしてその後を追って、十一人の侍女たちも次々と身を投げてしまいました。
十一條人一個個全部尾隨、場面一下混亂。
就是不曉得這十一人裡面一起殉死的人以及這想下去救人的人比例是好多、反正最後是人過全進去了。
年老いた木こりは、あまりの出来事に息をのんで見つめているだけでした。
幫老杆子一個人是當場看獃了、全沈了㫘一個上來、心想這著孽啊、到那裡徒嘆。
この木こりから話しを聞いた正高は、姫とその侍女たちの霊(れい)をなぐさめるために寺を建てました。
這事出了怎麼也要跟那條吹簫的講一聲去啦、跑到別個屋、最後是正高自己幫這十一人的後事以及松姬的過辦了。
そして心をこめて、横笛を吹いたのです。
人這就到靈堂開始吹簫。
正高の建てたその寺は正高寺(しょうこうじ)と呼ばれて、今も残っています。
這喪事辦的大、就為這事專門起了個廟、幫人專門貢裡面的、廟名也就喊正高寺了、現在還留到的。
そして三日月の滝のほとりには、嵐山神社(あらしやまじんじゃ)が建てられて、正高の横笛が大切に保存されているという事です。
後頭又到亡了十二條人命的三日月滝、起了座嵐山神社、裡面專門放到正高的簫。
おしまい
结束
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