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6月11日の日本民話 2
欲張り長者の衛門三郎(えもんさぶろう)
愛媛県に伝わる弘法大師話 → 愛媛県について
むかしむかし、伊予の国(いよのくに→愛媛県)の江原(えばら)の里に、衛門三郎(えもんさぶろう)という欲張りの長者がいました。
三郎は金をもうけるために、今までに多くの人を不幸にしてきました。
ある日の事、三郎の屋敷に旅の弘法大師が現れました。
「もうすぐ、お前は今までの悪行の報いを受けるであろう。心を入れ替えるなら、お前にふりかかる災いを取除いてやろう」
しかし三郎は、突然現れた汚い身なりの大師を冷たく追い払いました。
「このくそ坊主! 縁起でもないわ! どこかへ行け!」
でも大師は次の日も、その次の日も、三郎の所へやって来て言いました。
「間もなく、災いがふりかかるだろう。心を入れ替えるなら、災いを取り除いてやろう」
しかし三郎は心を入れ替えるどころか、大師に腹を立てて棒で大師の鉄ばちを叩き割ったのです。
「しつこい坊主め! これでもくらえ!」
「・・・・・・」
大師は八つに割れた鉄ばちを丁寧に拾い集めると、何も言わずに立ち去りました。
その翌日から、八人いた三郎の子どもたちが次々と病気にかかり、八日の間にみんな死んでしまったのです。
さすがの三郎も子どもをなくした悲しみから、毎日大声で泣き叫びました。
そんなある夜、三郎の夢枕に大師が現れて言いました。
『三郎よ、すべてはお前の悪業の報いじゃ。
今までの行いを悔いて、情深い人間になれ。
そして、四国巡礼の旅に出るのじゃ。
さすれば、お前の魂は救われるであろう』
その声に飛び起きた三郎は、あの時のお坊さんが弘法大師だった事に気がついたのです。
「大師さまー!」
心を入れ替えた三郎は全ての財産を村人に分け与えると、四国巡礼の旅に出ました。
三郎は雨風に打たれながら、何度も何度も四国を巡り歩きました。
数年が過ぎて四国を二十回も巡り歩いた頃、三郎は長旅に疲れ果てて見る影もないほどやせ衰えていました。
そして三郎は阿波(あわ)の焼山寺(しょうさんじ)の門前で力つき、その場にばったりと倒れたのです。
(おれの命も、これまでか。ここまで頑張ってきたが、まだ罪が消えぬとは)
三郎は薄れ行く意識の中で、自分を呼ぶ声に気付きました。
『三郎よ、よくやった。
これまでの巡礼の功徳(くどく)によって、ようやく今までの罪が消えた。
まことに、よくやった』
その声に三郎がうっすらと目を開けると、目の前に一人のお坊さんが立っていました。
そのお坊さんこそ、三郎が片時も忘れた事のない弘法大師だったのです。
「大師さま・・・」
三郎は最後の力をふりしぼって、大師のそばへ行きました。
大師は三郎の手を握りしめると、温かい目で三郎に言いました。
「三郎よ、この世に最後の望みがあれば言うてみよ。何なりと、かなえてやるぞ」
「ありがとうございます。今はもう望みはありませんが、出来る事なら、次の世では名門の家に生まれ、世の為、人の為に尽くす人間になりとうございます」
「うむ、わかった」
大師は深くうなずくと、そばにあった小石を三郎の左手に握らせました。
三郎はその石をしっかり握りしめたまま、息をひきとりました。
その次の年の七月。
伊予(いよ)の豪族(ごうぞく)である河野家(こうのけ)に、男の子が生まれた。
不思議な事に男の子は生まれた時から左手を握りしめたままで、いっこうに開こうとしません。
そこで安養寺(あんようじ)で大祈願祭(だいきがんさい)を行うと、子どもの手は一人でに開いて中から小石が出てきたのです。
その小石には『衛門三郎(えもんさぶろう』)という文字が、刻まれていました。
やがて男の子は立派に成長して大名となり、伊予の国を立派に治めたのです。
そして、ゆかりの寺も手に石を握りしめて生まれたという話から『石手寺(いしてじ)』と改められ、今でもその石は大切に残されているという事です。
おしまい
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