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3月18日の日本の昔話
イラスト「ぺんた」 ※無断転載禁止
忠犬ハチ公
忠犬八公
福妹日本童話集 (臺灣客語.海陸腔) 翻譯:鄧文政(ten33 vun55 zhin11)
東京の渋谷駅の待ち合わせ場所の定番として、秋田犬ハチ公の銅像があります。
東京涉谷車頭會面定著會去个位所,有一座秋田犬八公个銅像。
台の上に座って、じっと駅の改札口を見ている犬の銅像です。
台頂坐等目盯盯看等剪票口个狗銅像。
このお話しは、その銅像になったハチ公のお話しです。
這隻古就係變成銅像八公个故事。
むかし、ハチ公は東京大学農学部の教授だった上野英三郎という博士の家の飼い犬で、子犬の時に博士の家にもらわれてきたのでした。
頭過,八公係東京大學農學院教授上野英三郎博士屋下畜个狗,從奶狗仔開始畜到大。
博士はハチ公を大変可愛がり、ハチ公も博士が大好きです。
博士盡惜八公,八公乜當愛博士。
博士が大学に出かける時、ハチ公は家の近くの渋谷の駅まで毎日必ず博士のお供をするのです。
博土去學校个時節,狗會送佢去就近个涉谷車頭。
そして夕方になり博士が帰って来る時間になると、また駅へ博士を迎えに行くのです。
臨暗仔博士下班時間到了,狗又會去車頭迎接。
時々、博士が帰って来るのが遅くなる日がありましたが、ハチ公はどんなに遅くなっても必ず駅の前で待っているのです。
成時較暗兜正下班,較暗八公乜會在車頭等到佢轉。
「ハチ公。こんな所にいては邪魔だよ」
「八公在這位會杈著人哦!」
駅の人に怒られる事もありましたが、ハチ公は吠えたり噛みついたりせず、博士が帰って来るのをおとなしく待っているのでした。
成時會分車頭个人駡,八公毋會吠人也無會咬人,乖乖在該博士轉來。
そんな平和な日々は、一年半ほど続きました。
和挼个日仔維持年半左右。
でも、1925年5月21日、ハチ公に送られて大学へ行った博士が、突然倒れてしまったのです。
但係,1925年5月21日,八公送去大學个博士,突然橫忒。
みんなはすぐに博士を手当てをしましたが、博士は助かりませんでした。
大家黏時摎佢醫,毋過無半息幫助。
博士は死んでしまったのですが、ハチ公にはその事がわかりません。
博士死忒八公完全無知。
ハチ公は夕方になると博士を迎えに駅までやって来て、そして博士を一晩中待って、朝になると家に帰り、また夕方になると博士を迎えに駅までやって来るのです。
到臨暗照常去車頭迎接博土,等歸暗晡,天光了正轉屋,臨暗仔又去車頭等。
そのハチ公の姿を見た人たちは、目に涙を浮かべました。
看著這情形个人目汁又會流出來。
「ハチ公、かわいそうになあ」
「八公,還衰過哪!」
「死んだ博士を、毎日待っているなんて」
「逐日還在該等死忒个博士。」
こうして帰って来ない博士をハチ公が迎えに行く日々が七年続いた時、ハチ公の事が新聞にのりました。
八公逐日等毋會轉个博土連續七年恁久,這件事情變成新聞事件。
するとそれを知った多くの人が、ハチ公を応援しました。
盡多知這事情个人摎八公加油,
駅の人も、雨の降る日などは、ハチ公を駅の中で寝かせてあげました。
そしてとうとう、十年が過ぎました。
車頭个人堵著落水个時節,就會分八公落去車頭睡目。恁樣過了十年。
すると駅の人や近くの人が集まって、感心なハチ公の銅像をつくる相談をしました。
車頭个人摎就近个人召集打合,愛摎欽佩个八公做一隻銅像。
銅像が完成したのは、ハチ公が博士を待つようになってから十二年目の事です。
銅像做好,堵堵係八公等博士第十二年。
その頃ハチ公は、よぼよぼのおじいさんになっていました。
該量時八公老了,行無麽个停動。
毎日毎日、弱った体で帰って来ない博士を迎えに行くのは大変な事です。
身体衰弱,逐日去等毋會轉个博士非常食力。
でもハチ公は頑張って頑張って、博士を迎えに行きました。
毋過佢還係硬硬愛去。
そして銅像が出来た次の年の1935年3月8日午前6時過ぎ、十三才になったハチ公は帰って来ない博士を待ち続けたまま、自分の銅像の近くで死んでしまったのです。
所以銅像做好第二年,1935年3月8日朝晨六點零,十三歲个八公在該等毋會轉个博士个時節死在自家个銅像脣頭。
でも、悲しむ事はありません。
毋過,這毋係悲傷个事情,
天国へ行ったハチ公は、大好きな博士と一緒に暮らしているのですから。
因為佢去天國做得摎心愛个博士共下過日仔。
おしまい
煞咧
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