福娘童話集 > 日本民間故事 > 五月
5月8日の日本民話
(5月8日的日本民間故事)
蛸薬師(たこやくし) (健全普通話版)
蛸藥師
・日本語 ・日本語&中国語
むかしむかし、とても親孝行な、善光(ぜんこう)と言うお坊さんがいました。
在很久很久以前、就有著一個叫做善光的很孝順的和尚。
善光は京の町にある小さなお寺で年老いた母親と二人きりで暮らしていましたが、その母子の仲の良さといったら町中で評判になるほどでした。
雖善光和老母親一起是委身在位於京都街上的一所小廟裡、可善光對待自己老母親的關心卻是為街上每一個人都熟知。
でも不幸な事に、善光の母親が突然に重い病にかかってしまい、必死の看病にもかかわらず日に日に病状が悪化していくばかりでした。
但突然有一天這個家庭也面臨上了不幸、不知道母親是如何的染上了頑疾、善光雖是床前床後的不停盡心、可這也沒有敵過病情還在每一天的加速惡化下去。
医者も手のほどこしようがなく、とうとう善光の母親は死を待つだけになりました。
到了這步田地現在是醫生也束手無策了、而母親自己也算是知道了、人家在家中開始了等死。
それでも善光は大好きな母親のために出来る事を一心に考え、この世の名残りに母親の食べたい物を食べさせてやりたいと思いました。
善光一直心繫著母親、現在就想著為了親愛的母親看自己還能夠再給人家做些甚麼吧、至少最後也是想問一下母親現在最想吃的是甚麼。
そして母親の具合いが良い時に尋ねると、母親は消え入りそうな声で、
等到了老母親病情不那麼嚴重的一日、善光找了個時機開了口、母親就以那極其微弱的嗓音呀。
「蛸(たこ)が食べたい」
と、言うのです。
八爪魚、我想吃八爪魚。
「蛸、ですか・・・」
八爪魚是嗎…………
むかしのお寺では、肉とか魚を食べてはいけない決まりになっていました。
最早之前的寺廟規定是不能夠食肉、魚、的。
それでも善光はためらうことなく、母親に食べさせる蛸を求めて出かけました。
可即便如此善光還是已經下定了決心、也就是為了自己的母親、這個八爪魚自己要給她弄來。
そしてやっとの思いで蛸を手に入れたのですが、寺の門前まで帰り着いた時、善光は運悪く寺の人間に出会ってしまったのです。
好不容易出去了躺吧、當這八爪魚給自己摸到了手上時、剛準備進廟門、運氣不好給其他的同修正巧撞見了呀。
「おい善光。お前さっき、漁師となにやら話していたが、その手に持っている包みの中身は何だ?」
喂、善光、我可是剛剛有瞧見你跟那些漁夫們搭上話呢、那你現在就給我說說你手上的那包東西裡面是個啥玩意兒吧。
(しまった! 見つかってしまった!)
(糟糕了!竟然沒注意還給人家看到了!)
善光は、その場から逃げ出そうと思いましたが、
善光一時語塞了不知道該怎麼應對才好、本能的就是說逃避的一跑了之吧。
(いやいや、仏につかえる者が、ここで逃げてはいけない)
(人在做、佛在看、既然已經做了那就要有擔當、我又怎麼可以逃避)
と、善光は手に持った包みを開いて、中に入っている蛸を見せました。
就這樣、善光當場就給人拆開了包、這不、裡面的八爪魚現形了。
するとそれを見た、寺の人間は、
這就人家一瞧呀。
「何だ、ただの経本(きょうほん)か」
唉、原來就只是本經書呀。
と、言って、その場を立ち去ったのです。
人家把這話一說、當即就是離去了。
(経本?)
(經?)
不思議に思った善光は、包みの中にある物を見てびっくり。
這回是換善光自己明白不過來了、自己也將手上的東西看過了一眼、這可就把自己給嚇壞了。
なんと蛸が、立派な経本に姿を変えていたのです。
明明就是之前的八爪魚呀、這不咋回事呀、是怎麼就變成了一本經文了呀。
そして寺の人間が立ち去ると、経本は再び蛸に姿を戻りました。
可等了不多久、人家離去了那麼大陣後吧、這就經文竟又是給你再次的給變回八爪魚了。
こうして無事に蛸を口にすることが出来た母親は、どんどん元気を取り戻したのです。
就這樣呀、最終是虛驚一場、老母親還是吃到了自己如願以償的八爪魚、而且吃完了後這人的身體還精神了、最後還是一整個完全康復。
この事に善光はとても感謝して、寺の名前を蛸薬師(たこやくし)と呼ぶことにしたそうです。
這事一發生人家善光立馬就是感銘五內、而很快的當此事給傳開後、廟裡的名字也逐漸給人改口喊成了蛸薬師。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
蛸薬師(たこやくし)
藥師堂
むかしむかし、とても親孝行な、善光(ぜんこう)と言うお坊さんがいました。
到好久以前、有個和尚心慈盡孝喊善光。
善光は京の町にある小さなお寺で年老いた母親と二人きりで暮らしていましたが、その母子の仲の良さといったら町中で評判になるほどでした。
屋裡就是個搭到街邊的小廟、和老母一起、鎮上的人都曉得這母子關係好。
でも不幸な事に、善光の母親が突然に重い病にかかってしまい、必死の看病にもかかわらず日に日に病状が悪化していくばかりでした。
但這日子一長、必然的身體發生變故、兒用心服侍也是無解。
医者も手のほどこしようがなく、とうとう善光の母親は死を待つだけになりました。
請來醫生也是惘然、這過就等到屆時入土了。
それでも善光は大好きな母親のために出来る事を一心に考え、この世の名残りに母親の食べたい物を食べさせてやりたいと思いました。
但是再既然人還到那也就是盡心、講要了卻塵世遺憾、想吃甚麼都過邏來。
そして母親の具合いが良い時に尋ねると、母親は消え入りそうな声で、
等到媽講得話了、兒也就問、這就蚊子聲音答復。
「蛸(たこ)が食べたい」
と、言うのです。
講自己想吃八條踋那傢伙。
「蛸、ですか・・・」
章魚啊。
むかしのお寺では、肉とか魚を食べてはいけない決まりになっていました。
但是到廟裡面又有憐生戒、講是不能吃生類。
それでも善光はためらうことなく、母親に食べさせる蛸を求めて出かけました。
兒卻還是去跟媽求章魚去了。
そしてやっとの思いで蛸を手に入れたのですが、寺の門前まで帰り着いた時、善光は運悪く寺の人間に出会ってしまったのです。
這就周折一番章魚到手、入廟時又碰到一個廟裡面的人。
「おい善光。お前さっき、漁師となにやら話していたが、その手に持っている包みの中身は何だ?」
就質問善光剛剛是搞甚麼去了、講看到跟魚師有交接、問善光手裡面提到的是條甚麼傢伙。
(しまった! 見つかってしまった!)
善光這就大呼不妙啦。
善光は、その場から逃げ出そうと思いましたが、
(いやいや、仏につかえる者が、ここで逃げてはいけない)
想這就直接跑不見了去、但既然都作了、又怎能不認退卻。
と、善光は手に持った包みを開いて、中に入っている蛸を見せました。
善光直接也就幫包打開過別個看了。
するとそれを見た、寺の人間は、
「何だ、ただの経本(きょうほん)か」
と、言って、その場を立ち去ったのです。
別個看到是本經文也過直接去了。
(経本?)
不思議に思った善光は、包みの中にある物を見てびっくり。
經文?
善光這也就覺得不可思議、轉向看自己包中、不知何時。
なんと蛸が、立派な経本に姿を変えていたのです。
章魚是真已經變成一部經文了。
そして寺の人間が立ち去ると、経本は再び蛸に姿を戻りました。
等人一走遠去、這經文則又是恢復章魚原貌。
こうして無事に蛸を口にすることが出来た母親は、どんどん元気を取り戻したのです。
而媽是一口章魚肉下肚、這病痛是逐漸消了去、慢慢好起來了。
この事に善光はとても感謝して、寺の名前を蛸薬師(たこやくし)と呼ぶことにしたそうです。
善光覺得這事就太奇、因已親眼見證、為知會善德、改寺名蛸薬師堂。
おしまい
结束
(回到上一页)
|