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11月11日の日本民話
(11月11日的日本民間故事)
水無川 (健全普通話版)
無水河
・日本語 ・日本語&中国語
むかしむかし、吉敷川(よしきかわ)の川ぞいに、一人のおばあさんが住んでいました。
在很久很久以前、於吉敷川川邊、有一位老婆婆是住在了這裡。
ある日の事、汚い身なりをしたお坊さんが通りかかっておばあさんに言いました。
而就是又有一天呢、一位滿身髒兮兮穿著破爛的和尚過路老婆婆的門前是開了一個這樣的口。
「旅の僧ですが、のどがかわいてこまっております。どうか水を一杯、飲ませてくだされ」
我是一位過路的和尚、好心的施主、和尚我喉嚨是渴的受不了了、想來您這討口水喝呢。
するとおばあさんは、手を振って言いました。
而接下來呢、只見婆婆她人是把雙手一擺、搖起頭來了。
「だめだめ。よそ者に飲ませる水は、一てきもないよ。この辺りの川の水は、全部あたしの物なんだよ。しっ、しっ、あっちに行きな」
走走走、這裡可沒有給你準備的水喝呢、一點兒也沒有、告訴你吧、不僅是我家裡、就連這一條河裡面的所有水那都是我的私有財產、快走快走。
「お願いです。一杯だけで、いいのです」
拜託、我只是需要一杯水就行了。
「うるさい坊さんだね。はやくあっちへ行かないと、しょうちしないよ!」
你可真囉嗦呀、我不是已經叫你快點走了嗎、快給我甚麼地方涼快甚麼地方呆著去!
おばあさんは手を振り上げて、お坊さんを追い返しました。
就這樣呀、老婆婆甚至都是動起了手、開始是使用了武力來攆走這名眼前的和尚來了。
「まったく、ずうずうしい坊さんだよ。さあ、のどがかわいたから水を飲もうかね。このおいしい水を。・・・あれあれ、どうしたんだい!?」
真是的、沒見過臉皮這麼厚的臭和尚呢、哎呀、跟他說陣話費了我老勁了都、嘴巴也渴起來了、喝我的涼水去咯、………………哎呀哎呀、這是突然咋回事的呢!?
おばあさんが川の水をすくおうとすると、何と川の水が川底に吸い込まれるように消えてしまったのです。
老婆婆她本來是想去到這河裡打點水來呢、可一到了河岸、人傻呢、這河裡面的水如同就是底部給鑿出了一個大洞、全漏不見完了。
それも不思議な事に、おばあさんの家の近くの川の水だけがなくなったのです。
而且這更加離譜的事情也是有了、那就是河裡它是其實有水的、可這河裡面的水她就是一到老婆婆家的附近人家就開始乾了。
おばあさんはその後、あの時のお坊さんが有名な弘法大師(こうぼうだいし)だと知って自分の行いをこうかいしましたが、川の水はそれから何年もかれたままだったそうです。
在那之後呀、後來老婆婆得知了、沒想到就當初刁難自己的那位破爛和尚、他竟然就是這傳聞之中的弘法大師呀、事情到了這裡、婆婆連忙是對自己所做開始了悔過懺悔、可即便是如此、再之後的幾年裡、河水還是一直持續著枯竭。
この辺りに住む人たちは今でも、この川を水無川(みずなしがわ)と呼んでいるそうです。
就這樣呀、時間等到達了今天、就在這附近居住著的人們、依舊還是會把這裡給叫成水無川呢。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
水無川
無水河
むかしむかし、吉敷川(よしきかわ)の川ぞいに、一人のおばあさんが住んでいました。
到好久以前有條喊吉敷川的邊上一條婆子到這裡住到的。
ある日の事、汚い身なりをしたお坊さんが通りかかっておばあさんに言いました。
有天一條二不掛五的窮酸和尚經過此地、看到婆子打了個招呼。
「旅の僧ですが、のどがかわいてこまっております。どうか水を一杯、飲ませてくだされ」
也是講走久了人疲、想問別個老婆子討碗水吃。
するとおばあさんは、手を振って言いました。
但是婆子跟到就是腦鬠一擺、看來這事搞不好。
「だめだめ。よそ者に飲ませる水は、一てきもないよ。この辺りの川の水は、全部あたしの物なんだよ。しっ、しっ、あっちに行きな」
講屋裡面水是有、但是不是跟你們這些人吃的、村裡的水源不方便外人 。
「お願いです。一杯だけで、いいのです」
和尚講自己就只要一口。
「うるさい坊さんだね。はやくあっちへ行かないと、しょうちしないよ!」
但是婆子好像根本不打算讓和尚搞䖰䘅自己的碗、要他快點滾。
おばあさんは手を振り上げて、お坊さんを追い返しました。
還作出出手打人的樣子、踵到踵到幫和尚踵走了。
「まったく、ずうずうしい坊さんだよ。さあ、のどがかわいたから水を飲もうかね。このおいしい水を。・・・あれあれ、どうしたんだい!?」
婆子看不見了和尚、又看了一眼生到溪流裡面的冷泉、渴了、準備自己去搞點水吃、突然一下人驚了。
おばあさんが川の水をすくおうとすると、何と川の水が川底に吸い込まれるように消えてしまったのです。
婆子剛想去攨點水上來吃、發現一條河漏出了大漩、幫水全部盡數吸納了進去。
それも不思議な事に、おばあさんの家の近くの川の水だけがなくなったのです。
這過這見鬼啦、附近就婆子門口這條河的水是全乾了。
おばあさんはその後、あの時のお坊さんが有名な弘法大師(こうぼうだいし)だと知って自分の行いをこうかいしましたが、川の水はそれから何年もかれたままだったそうです。
等到好多年過去、婆子才曉得了當時過路自己屋那條討水和尚就是弘法大師、也就開始懺悔、這麼一搞、好傢伙、屋門口的河裡面這水又來了。
この辺りに住む人たちは今でも、この川を水無川(みずなしがわ)と呼んでいるそうです。
雖講後面來了水、但因自己已經喊習慣了、無水河這名字也就一直沿用至今。
おしまい
结束
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