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      8月16日の日本民話 
         (8月16日的日本民間故事) 
          
         
枯野船 (健全普通話版) 
枯野船 
 
・日本語 ・日本語&中国語 
      
      むかしむかし、仁徳天皇の時代に、大きな大きな木がありました。 
        在很久很久以前、與仁德天皇時期、此間林中是有一遮天巨木。 
         
      あまりにも大きな木だったので、朝日が当たれば淡路島まで影を落とし、夕日が当たれば大阪にまで影を落としたそうです。 
      這橷大樹可是大的那叫一個不得了、打天亮太陽剛一起來呢、樹就給人家這陽光一擋、樹蔭呢就給都落到這淡路島去了、晚上人太陽這就一下班、大樹呢就又是給你的光線一遮、那影子拉的可就老長了、據說都去到大阪那裡了。 
       
      「それほど大きな木であれば、さぞや立派や船が出来るであろう」 
      如此的一橷巨木、若就是將其加工為船、那想必一定就是氣派無比吧。 
       
            この木の事を知った仁徳天皇は、この木を切り倒して船を作るように命じました。 
            也就是在當仁德天皇也得知到了這橷大樹的消息之後呀、下了一道命令、是讓人給這橷巨木給自己砍伐了去、要用於造船了。 
       
      その船は枯野という名前で、天皇が飲む水を淡路島の泉から運ぶのに使うのです。 
      船好了之後、是又將其命名為了“枯野”、就這樣呀、這艘船以後的使命就都是專門的給天皇是負責運輸這淡路島上的清涼冷泉了。 
       
      それから長い年月がたち、その枯野船が古くなって使えなくなると、今度は枯野船を浜辺で焼いて塩を取る事にしました。 
      可就是伴隨著時間長年累月的過去、這艘名叫枯野的船隻也是一天天的古舊了起來、最後等到了退休的年紀、沒辦法、現在也就是只能將其給燒掉用以收穫來一批食鹽了。 
       
      長い年月を海に浮かんでいた為、船には多くの塩が含まれていたからです。 
      船隻經年累月的在海上漂泊、這其中鹽份想必也就已經積攢了許多。 
       
      枯野船に火をかけられると炎が天高く立ちのぼり、船は三日三晩燃え続けました。 
      等到了枯野船給人點著的那一刻、燃燒的火光竄天、船身一直就是給持續的焚燒至了三天三夜。 
       
      そして燃えた跡には、塩を含んだ大量の灰が残りました。 
      最後就在還剩下了一地狼藉的焦痕裡頭、大量的食鹽也都飽含在了其中呢。 
       
      しかしその大量の灰の中に、どうしても焼けずに残ってしまった部分がありました。 
      可就是在這些大量的燃灰之中、竟是依稀可見還有尚未被焚毀之物。 
       
      「ここだけ焼けずに残るとは、これには何かの力が込められているに違いない」 
      「如此大火也不能燒卻的殘骸、其中定是有著甚麼不可言明之力呀」 
       
      そこでその部分をよく磨いてみると、なんとそれは小さな舟の形をしていたそうです。 
      差人將這部分是細心加以打磨、最後出來的東西形狀竟是酷似一艘小舟。 
       
      しかし舟と言っても、人が乗れるほど大きくありません。 
      但說它是舟、其實人家可小著呢、並不足以真就能讓人乘坐。 
       
      せいぜい、小さな子どもが乗るくらいです。 
      但若就是個小孩子的話、那倒是也勉強可行。 
       
      「この舟形の木を、何かに使えないだろうか?」 
      「這塊生的像是舟型的奇木、難道就不能是給它用來做成個甚麼嗎?」 
       
      そこでその舟形の木に弦をはって琴にしてみたところ、その琴は七つの里をこえて音がひびく素晴らしい楽器になったということです。 
      於是乎、這就最後呀、舟形的奇木是給巧匠套上了弦、接著又叫來人是試著給撫上了一曲、一奏樂、聲悅耳、音悠長、人謂之七里琴。 
      おしまい 
        结束 
         
        ↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓ 
         
        枯野船 
        七里琴 
      むかしむかし、仁徳天皇の時代に、大きな大きな木がありました。 
        到久遠以前的古墳時期、傳有一橷大樹。 
         
あまりにも大きな木だったので、朝日が当たれば淡路島まで影を落とし、夕日が当たれば大阪にまで影を落としたそうです。 
這橷大木是好大好大、白天的影子往淡路島方面傾斜、太陽落山這就又向大阪倒過去、中間的間距是開車都要一個小時。 
 
「それほど大きな木であれば、さぞや立派や船が出来るであろう」 
當時的鷦鷯帝看這樹大、就想用他造艘大船、肯定就好堅挺。 
 
この木の事を知った仁徳天皇は、この木を切り倒して船を作るように命じました。 
這過就下令倒樹了。 
 
その船は枯野という名前で、天皇が飲む水を淡路島の泉から運ぶのに使うのです。 
事成後起舟名枯野、專門就用這船天天跑到淡路島去運涼水。 
 
それから長い年月がたち、その枯野船が古くなって使えなくなると、今度は枯野船を浜辺で焼いて塩を取る事にしました。 
這就經年累月、設備老久、看到看到就要報廢了、過直接處理了、這就又有人獻策、講這還可以費用利用下子。 
 
長い年月を海に浮かんでいた為、船には多くの塩が含まれていたからです。 
就講這海水醎、船又天天浮到上面、幫鹽分都吸到木頭裡面去了、他就含鹽、講這一把火餤了估計鹽有好多。 
 
枯野船に火をかけられると炎が天高く立ちのぼり、船は三日三晩燃え続けました。 
那這就燒船啦、大火燒了三天三夜、幫天上都燻黑完的、嗆死一麻版的鳥。 
 
そして燃えた跡には、塩を含んだ大量の灰が残りました。 
這就看船灰啦、裡面是好多鹽摻雜到的。 
 
しかしその大量の灰の中に、どうしても焼けずに残ってしまった部分がありました。 
但這都三天三夜、灰裡面還留有些東西㫘著餤乾淨。 
 
「ここだけ焼けずに残るとは、これには何かの力が込められているに違いない」 
這麼大條火燒完都還留到的、這傢伙裡面是條甚麼構造哦、撿灰的這條人就疑。 
 
そこでその部分をよく磨いてみると、なんとそれは小さな舟の形をしていたそうです。 
好生洗下子擦下子看清楚起來、發現像是條小船樣的模型。 
 
しかし舟と言っても、人が乗れるほど大きくありません。 
但就個模型也不是真的船、人又坐不得、不曉得是用來搞甚麼的。 
 
せいぜい、小さな子どもが乗るくらいです。 
那它畢竟還是有等身大的、過別個小卵日當玩具還是可以。 
 
「この舟形の木を、何かに使えないだろうか?」 
這就想要幫這條遺留品怎麼處理、也不真能過別個小卵日玩了去。 
 
そこでその舟形の木に弦をはって琴にしてみたところ、その琴は七つの里をこえて音がひびく素晴らしい楽器になったということです。 
畢竟也是條神木殘留、過就幫他上了弦、成了琴、撫上一曲、神奇、琴音七里。 
      おしまい 
          结束 
         
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