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福娘童話集 > 百物語 > 八月
8月5日の百物語
(8月5日的日本鬼故事)
お豊虫(とよむし)
豐蟲
・日本語 ・日本語&中国語
※本作品は、読者からの投稿作品です。 投稿希望は、メールをお送りください。→連絡先
投稿者 「櫻井園子」 櫻井園子エス代表 《櫻井園子キャンドルWEB販売》
むかしむかし、伊豆七島の八丈島(はちじょうじま)は、罪をおかした人たちが島流しにされたところでした。
到好久以前、伊豆七島八丈島、有罪之人都被流放到這裡。
これは、その八丈島に伝わるお話です。
這事也自八丈島而起。
ある年の事、放火の罪で捕まった、お豊という十五歳の少女が、江戸から船で送られてきました。
有年、因縱火罪被捕的一個喊豐的十五歲小女兒、就被江戶的船一哈拉到八丈島了。
放火は大罪なので、五年、十年と、お豊の島での暮らしが続きました。
放火燒山、牢底坐穿、這覓(沒)個五年十年是出不來的。
島には毎年一度だけ、江戸から御用船(ごようふね)と呼ばれる江戸幕府の船が許し状を持って来て、罪を許された人が船に乗って帰って行くのですが、いつまで待っても、お豊への許し状はありませんでした。
這島上每年得來一條官船、是從江戶過來頒佈赦免狀的、喊那個名字那個就可以走了、但是豐一直等、就是覓輪到自己。
そして十五年がたつと、お豊は考え方を変えました。
十五年過去、豐的思想也產生轉變。
「もう自分には、許し状は来ないだろう。
估計自己的赦免狀也是不得來了。
だったら、この島で生きる方法を考えよう。
這就應該幫注意力集中到這條島上。
そしていつかきっと、島から逃げ出すんだ」
遲早有天得有自己逃跑的機會的。
それからのお豊はたくましく生き、島での暮らしが二十年を過ぎる頃には何人もの男を従える女親分になっていたのです。
豐這就到島上好甚經營自己的勢力、二十年過去、已經是有好多小屁股跟到的蛇頭了。
お豊は子分たちと島からの脱出を企むと、ある夜中、六人の仲間と一緒に島からの脱出を始めました。
這就跟小弟計劃怎麼跑、晚上、帶到六個跟班一起開始跑了。
島の人たちが寝静まるのを待って、お豊たちは漁師の舟を盗むと真っ暗な海へとこぎ出しました。
等全島的人全睡了、豐幫漁夫的漁船一偷、就到烏漆麻黑的海面上開始划了。
お豊は舟をこぐ男たちを叱り付ける様にはげましながら沖を目指しましたが、小さな舟では沖を流れる速い潮を乗り越える事は出来ません。
豐就組織船上的人一起加勁、但是小舟敵不過急流。
「へこたれるんじゃないよ! もっと気合を入れて、しっかりと舟をこぎな!」
不要摸魚!都跟我好甚划!
舟は何度も何度も潮に押し返され、そのうちに朝を迎えてしまいました。
小船終是敵不過海潮、天慢慢的也亮了。
そして漁師の知らせを受けて駆けつけた人に、お豊は捕まってしまったのです。
後面收到漁船不見漁夫通知、趕過來的人也幫豐捉起來了。
捕まったお豊は、死刑を言い渡されました。
這哈豐就要被砍腦殼了。
そして死刑が行われる当日、お豊は見物に集まった島の人たちに向かって大きな声で言いました。
砍腦殼當天、豐對到所有來看熱鬧的人大聲港。
「いいかい、覚えておきな。
都好甚聽到
あたしは死んだら虫になって、お前たちが作る島の作物を、片っ端から食い荒らしてやるからね!」
我死了就變成蟲、幫你們种的田全部豺(啃)完起來。
そして次の年、八丈島にテントウムシダマシという虫が大発生して、島の作物に大きな被害を与えたのです。
第二年島上還真受了蟲害、被瓢蟲幫農田咬了大片。
島の人たちはこの虫の事を『お豊虫』と呼んで、恐れる様になったという事です。
這瓢蟲名字也就被島上人喊豐蟲了、產生忌憚。
おしまい
结束
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