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12月9日の百物語
幽霊絵馬
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投稿者 「つれづれ居士」 つれづれ居士
むかしむかし、京都の革堂(こうどう)とよばれるお寺の近くに、質屋の八左衛門(はちざえもん)という男がいました。
この八左衛門はお金持ちでしたが、強欲な為にみんなから嫌われていたので、子どもが生まれても子守りのなりてがありませんでした。
そこでやっと、遠く近江(おうみ→滋賀県)の農家から、フミという十三歳の女の子をやとったのです。
フミの母親は、自分の手鏡(てかがみ)をフミに渡して言いました。
「フミや。これを母だと思って、さびしくてもこらえておくれよ。風邪には、気をつけるんだよ」
「うん、フミがんばる。お母ちゃんも、元気でね」
八左衛門の家に着いたフミは、その日から子どもの世話をしました。
子どもがむずかると、おんぶをして家の周りをあやして歩き、おしめがぬれるとすぐに取り替えてやりました。
さて、すぐ近くのお寺の革堂は西国三十三ヶ所のお寺の一つなので、巡礼(じゅんれい)の人でいつもお祭りの様ににぎわっていました。
白い着物姿の巡礼たちは、革堂の観音さまの前で鈴をならしてご詠歌(えいか→巡礼または仏教信者などが歌う、和歌・和讃にふしをつけたもの)をとなえます。
♪はなーをーみて (花を見て)
♪いーまーはー (今は)
♪のぞみーもー (望みも)
♪こおーどーうのー (革堂の)
♪にわーのーちぐさーもー (庭の千草も)
♪さかりーなーるーらん (盛りなるらむ)
ご詠歌は仏さまをたたえる歌で、それを聞いたフミは、ご詠歌がいっぺんに好きになりました。
そこでフミは、毎日子どもをおぶって革堂へかよいました。
そのうちにフミは背中の子をあやしながら、ご詠歌を口ずさむ様になりました。
ところがこれを知った八左衛門が、かんかんになって怒りました。
「うちの寺は、宗派が違うんやで!
それに、そんないん気くさい歌は大嫌いや!
革堂なんかに行くから、そんな歌を覚えるんや。
今度革堂へ行ったり、ご詠歌を歌ったりしたら、承知せえへんで!」
「・・・はい」
フミは言いつけを守って、革堂へ行くのをがまんしました。
つらい事があると母親の手鏡を見ましたが、でも、鏡は何も言ってくれません。
「ああ、ご詠歌を聞きたい。ご詠歌は、近江のお母ちゃんの声を聞いてる様だもの」
やがてフミはがまん出来ずに、革堂へ行ってしまったのです。
お参りの人のご詠歌に小声であわせていると、フミは悲しい事を忘れる事が出来ました。
でも、八左衛門には内緒でした。
ある寒い冬の事、フミが家の中で子守りをしていたら、背中の子どもが、たどたどしい口ぶりで、ご詠歌を歌い出したのです。
いつもフミと一緒にご詠歌を聞いていたので、覚えてしまったのです。
それを聞きつけた八左衛門は真っ赤になって飛んで来ると、フミを裸にして庭に引きずり出しました。
「ごめんなさい。ごめんなさい!」
フミが泣いて謝っても、八左衛門は許しません。
八左衛門は裸のフミに、頭から氷の様に冷たい水を浴びせました。
そしてフミを納屋(なや→物置)に放り込むと外から鍵をかけて、そのまま寝てしまったのです。
次の日の朝、ふと目を覚ました八左衛門は、フミの事を思い出しました。
そしてあわてて納屋を開けると、裸のフミはもう、凍え死んでいたのです。
「どないしょう。世間に知れたら、大変や」
そこで夫婦は納屋に穴を掘ると、フミの死体を埋めて隠しました。
そしてフミの両親には、
《フミは好きな男が出来て、家出をした》
と、うその知らせをしたのです。
知らせを受けたフミの両親が、近江から飛んできました。
でも八左衛門は、逆に文句を言い出す始末です。
「こっちは子守りがいなくなって、困っている。どうしてくれる!」
「申し訳ありません。申し訳ありません。必ずフミを探し出して、子守りを続けさせますから」
フミの両親は八左衛門に謝ると、京の町を探し回りました。
そして道行く人から、
「そう言えば、よく革堂というお寺で、子守りをしてはりましたなあ」
と、聞いたので、両親は革堂の観音さまの前で、ご詠歌をとなえておがみました。
「観音さま、どうかフミの居所を教えてください」
両親はそのままお堂に泊まり込み、おこもり(→神仏に祈願する為、神社や寺にこもる事)をしました。
すると真夜中、両親は、誰かがいる様な気がして目を覚ましました。
暗闇に目をこらすと、お堂のすみにフミのかげが立っているのです。
(フミ!)
呼びかけ様としましたが、二人とも声になりません。
近寄ろうにも、体がしびれて動けません。
するとフミが、口を開きました。
「お父ちゃん、お母ちゃん。
わたしはもう、この世にはいないの。
わたしは主人に殺されて、納屋の冷たい土の中に埋められたの。
ここは、寒い。
ここは、暗い。
どうか掘り出して、供養をしてください」
そう言うとフミの幽霊は、すーっと消えました。
そしてフミの幽霊がいた場所には、母親が持たせたあの手鏡が置かれていました。
フミの両親は奉行所にうったえて、フミの死体を探し出すと、ねんごろにとむらいました。
そしてこの悲しい出来事を忘れない様にと、フミの幽霊姿をそのままの大きさで杉板(すぎいた)にうつしとり、形見の鏡をはめ込んだ大きな絵馬にして革堂におさめました。
もちろん、幽霊に罪をあばかれた八左衛門は、奉行所に引き出されて罰を受けました。
フミのとむらいが終わった両親は巡礼になって、ご詠歌を歌いながら西国の寺を巡りました。
このあわれなフミの幽霊絵馬は今も革堂にまつられており、毎年お盆の八月十五日、十六日に公開されています。
おしまい
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