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1月11日の日本民話
(1月11日的日本民間故事)
敵に塩を送る

敵に塩を送る (健全普通話版)
給敵人送鹽

日本語 ・日本語&中国語

♪音声配信(html5)
朗読者 : スタヂオせんむ

むかしむかし、風林火山で有名な戦国時代の名将、武田信玄が甲斐(かい)の国を治めていた頃、信玄は宿敵の越後の上杉謙信と戦を繰り返していました。
在很久很久以前、因風林火山陣旗而聞名的戰國名將、甲斐之虎武田信玄、現在就說信玄治國之時與越後國的上杉謙信所打響的長期戰役。

そんなある時、駿河(するが)の今川氏は、こんな事を思いつきました。
同樣攪和戰局其中的人還有駿河的今川、而有一天今川擬訂了一策。

「信玄の領地は山国だから、魚や昆布や塩などはすべて駿河を通って送り込まれる。特に、米の次に大事な塩を止めたら困るだろうな」
信玄之領為山國、魚、海帶、鹽、這些所有的貨物想要調達就都需要經由駿河、特別是這鹽更是除了米之外的第二命門、我只要一斷、信玄必苦。

そう考えた今川氏は、さっそく信玄の支配下に通じる道をふさいで、いっさいの塩を止めてしまったのです。
今川妙策思定、馬上就下達了命令將信玄的鹽道全部封鎖了、這樣一來信玄的鹽也就斷了。

こうなると松本の人々は、ほとほと困ってしまいました。
此事一發生、居住在松本的人們有很多都受不了了。

塩がなくなると体に力が入らず、働く気力もなくなるのです。
大家沒有了鹽身體便喪失了氣力、就連幹活能使出的勁都不夠了。

おまけに越後の国とも戦をしていたので、そっちから塩を送ってもらうわけにもいきません。
後路被封、而此時前線正在處於一個和越後打仗的時期、就算想從這邊去運輸食鹽也明顯是行不通。

これにはさすがの信玄も、困ってしまいました。
此事一發生、現在就連是信玄自己也開始皺起了眉頭。

ところがこの事を、越後の上杉謙信が聞きつけたのです。
可奇的是越後的上衫謙信聽聞此事後態度不尋常。

謙信は信玄とは敵同志でしたが、今川氏のやり方が卑怯なのに腹を立てました。
謙信雖與信玄各自陣營你我為敵、但卻是對今川的卑鄙作法感到了十分的憤怒。

「塩とは、人が生きていくのになくてはならない物。たとえ敵とはいえ、これを見すごす事は武士の恥。すぐにも松本に塩を送り届けよ」
沒有了鹽連是否能夠活下去都成了問題、鹽可是人們的必須之物、即便我和信長是敵人、可是坐視這種卑鄙的行為不管就是武士之恥、我要你們大家現在就快點給松本把鹽送過去!

こうして謙信の命令で塩の荷が牛の背に積まれると、信濃にむけて出発したのです。
就這樣謙信下達了指令、手下們把鹽一袋袋的負在牛背、朝著信濃出發了。

牛の列は何日も何日も糸魚川(いといがわ)をたどって、松本めざして歩き続けました。
牛群的隊列發車了很多很多天終於來到了系魚川、這便又朝著松本而去了。

それから数日後、松本の人々は、次から次へとやってくる牛の列を見つけたのです。
又是數日的行程、松本的人民這時看到了、是牛群的隊列一匹一匹的朝著自己這邊走來。

それが、敵の上杉謙信の使いだと知ると、みんなは警戒しましたが、塩が届けられたと知ると、
而當得知這就是上衫謙信的人馬時、松本的人們一個個都提升了警戒、可隨後又當得知這是給自己送來鹽時。

「なんと、敵国である我々に塩を送ってくれるとは。越後の上杉さまは、敵ながら立派なお方じゃ」
と、とても感謝したそうです。
怎麼可能、竟有此事!敵對國的人馬還專程跑過來給我們送鹽、越後國的上衫公真是一位了不得的人物啊。
松本的人們得到鹽後是十分的感激。


こんなわけで、松本の人々は再び元気を取り戻しました。
而因攝入了食鹽、松本的居民們又一次的健康了起來、恢復了以往的精氣神。

松本に塩が届いたのは一月十一日で、人々はその時の恩を忘れないように、それ以来、毎年この日には祭りを行うようになったのです。
將鹽送達到松本的這天正是一月十一日、松本的人民們為了不忘此恩、這天以來每年的今天都會舉行一個濃重的慶典以紀念。

これが何百年も続けられた「塩市」の始まりです。
而這也就是持續了好百年的鹽市由來。

今では、その塩市も飴市に変わって、一月十一日には、賑やかに祭りが開かれるのです。
到了今天、鹽市也已經轉變為了糖市、而一月十一日這一天、會開展熱鬧的慶典這一點是完全沒有變。

また、塩を運んできた牛がつながれたという石が今も松本市に残っていて、土地の人からは『牛つなぎ石』と呼ばれているそうです。
順帶一提、現在的松本市當初牛送鹽來時隨手就將繩子系在石頭上的那塊石頭現在仍然留在松本、石頭名字也就和它當年的功用一樣、被當地人稱之為捆牛石。

おしまい
结束

↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓

敵に塩を送る
送鹽

むかしむかし、風林火山で有名な戦国時代の名将、武田信玄が甲斐(かい)の国を治めていた頃、信玄は宿敵の越後の上杉謙信と戦を繰り返していました。
戰國、軍神、武田信玄、這就到跟上杉謙信打死人架。

そんなある時、駿河(するが)の今川氏は、こんな事を思いつきました。
這就到卡到駿河的今川家突然想到了這麼個事。

「信玄の領地は山国だから、魚や昆布や塩などはすべて駿河を通って送り込まれる。特に、米の次に大事な塩を止めたら困るだろうな」
信玄人到山上、魚、海帶、還有鹽這些個海產都要從我駿河過路、除米之外第二命門就是鹽、我只要幫他鹽一斷這就稀爛。

そう考えた今川氏は、さっそく信玄の支配下に通じる道をふさいで、いっさいの塩を止めてしまったのです。
今川這就幫信玄通路一堵、封鹽了。

こうなると松本の人々は、ほとほと困ってしまいました。
這哈住到松本的人就真稀爛了。

塩がなくなると体に力が入らず、働く気力もなくなるのです。
㫘鹽吃了、人越來越虛了起來、做事也㫘了力氣。

おまけに越後の国とも戦をしていたので、そっちから塩を送ってもらうわけにもいきません。
後面著封了、前面又到打杖、這就到中間過卡死了。

これにはさすがの信玄も、困ってしまいました。
信玄著這麼一搞、自己也著急了。

ところがこの事を、越後の上杉謙信が聞きつけたのです。
哪曉得後面這事上杉謙信的耳朵裡面一傳。

謙信は信玄とは敵同志でしたが、今川氏のやり方が卑怯なのに腹を立てました。
竟然開始發今川的火、又㫘喊他封別個鹽、講自己跟信玄打的好好的。

「塩とは、人が生きていくのになくてはならない物。たとえ敵とはいえ、これを見すごす事は武士の恥。すぐにも松本に塩を送り届けよ」
認為這事跟自己丟臉了、到時候講自己陰別個、臉上無光、就又馬上派人往松本幫鹽送過去。

こうして謙信の命令で塩の荷が牛の背に積まれると、信濃にむけて出発したのです。
這就牛幫鹽往背上一駝、往信濃國去了。

牛の列は何日も何日も糸魚川(いといがわ)をたどって、松本めざして歩き続けました。
這就牛隊走了幾天幾夜到了糸魚川、這又往松本趕。

それから数日後、松本の人々は、次から次へとやってくる牛の列を見つけたのです。
這就幾天後、松本的人看到一隊隊的牛這就過來了。

それが、敵の上杉謙信の使いだと知ると、みんなは警戒しましたが、塩が届けられたと知ると、
一聽來人是上杉謙信派的、一哈過慌了、這一聽又是過來送鹽的。

「なんと、敵国である我々に塩を送ってくれるとは。越後の上杉さまは、敵ながら立派なお方じゃ」
這一哈驚了、這打仗還可以送鹽過來啊、就講別個這主帥大量。

と、とても感謝したそうです。
這還開始感謝了。

こんなわけで、松本の人々は再び元気を取り戻しました。
這就松本有了鹽吃、一哈又恢復了。

松本に塩が届いたのは一月十一日で、人々はその時の恩を忘れないように、それ以来、毎年この日には祭りを行うようになったのです。
因為這天送鹽過來是一月十一、也是紀念這天、每年這個時候開節慶。

これが何百年も続けられた「塩市」の始まりです。
這也就是持續好幾百年鹽市的由來。

今では、その塩市も飴市に変わって、一月十一日には、賑やかに祭りが開かれるのです。
後面政權幫鹽一壟斷、不準販鹽、這天過就改賣糖了。

また、塩を運んできた牛がつながれたという石が今も松本市に残っていて、土地の人からは『牛つなぎ石』と呼ばれているそうです。
那天拴牛隨手就幫索子幫塊嵒頭上面一綁、為了紀念、這塊嵒頭現在還留到的、邊上立了塊牌子、喊捆牛石。

おしまい
结束

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