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2月2日の日本民話
黄門さまのイジワル
茨城県の民話 → 茨城県情報
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「ひかえおろう。この紋所(もんどころ)が、目に入らぬか」
と、身分を隠して日本中を巡(めぐ)り歩き、悪人をこらしめる水戸黄門(みとこうもん)は、テレビなどで有名です。
でも実際の黄門さまは学問を続けながらひっそりと暮らし、1700年(元禄13年)12月6日、72歳で静かに世を去ったそうです。
その黄門さまは子どもの頃、大変な悪ガキで、いつも友だちと遊んでばかりいました。
ある時、父親の殿さまが黄門さまに尋ねました。
「もし、戦場(いくさば)でわしが深い傷(きず)を負(お)って倒れたら、お前はわしを助けるか?」
すると黄門さまは、
「いいえ。助けません」
と、きっぱり言いました。
「何だと! なぜ、父を助けぬのだ!」
と、聞き返されて、
「わたくしは、倒れた父上を乗り越えて、敵(てき)と戦います」
と、答えたので、
「それは見事!」
と、殿さまはとても感心したそうです。
さて、黄門さまには三木武太夫(みきたけだゆう)という、お側に仕える者がいました。
武太夫(たけだゆう)は子どもの頃から、『カミナリ』と『アズキがゆ』が大嫌いで、それは大人になっても治りませんでした。
ある時、黄門さまは武太夫を呼んで尋ねました。
「その方の好物(こうぶつ)は、何であったか?」
すると武太夫は見栄(みえ)を張って、
「はい。カミナリとアズキがゆが、大好物であります」
と、答えたのです。
「そうか。カミナリは出せぬが、アズキがゆならすぐに出してやるぞ」
黄門さまはアズキがゆを作らせると、それをイジワルそうに差し出しました。
「さあ、アズキがゆが出来た。遠慮無く、食べてよいぞ」
「はあ、・・・」
「うん? どうした? 好物であろう?」
「はい、・・・」
「食べぬのか? それとも、アズキがゆは嫌いか?」
「いえ、その・・・」
武太夫は決心すると固く目をつぶり、アズキがゆを丸呑みする様に食べたそうです。
さて、それからしばらくたって、黄門さまにお客が来た時の事です。
空が急に暗くなり、ゴロゴロとカミナリが鳴り出しました。
黄門さまは、しめたとばかりに言いました。
「お客人よ。実はな、ここにはカミナリの大好きな者がおりまして、あれが鳴ると大喜びするのです」
そう言って武太夫を呼び寄せると、またしてもイジワルそうに言いました。
「ほれ、お前の大好物のカミナリが鳴っておるぞ。うれしいだろう。すまぬが、投網(とあみ)をうって池の魚を取ってまいれ」
「はい、その、それは・・・」
「何をしておる。カミナリは嫌いか?」
「いえ、その・・・」
武太夫は決心すると、雷鳴(らいめい)のとどろく中、池に行って魚を取ってきました。
それからもこんな事が何度もあり、武太夫はカミナリとアズキがゆ嫌いを克服(こくふく)していったのです。
それから後、黄門さまが亡くなってから武太夫は、
「どんなに嫌いな物でも、努力で治せるものだ。それをわたしは、黄門さまから教えられた」
と、黄門さまの行動(イジワル?)を、とても感謝したという事です。
おしまい
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