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4月22日の日本民話
(4月22日的日本民間故事)
弥陀ケ原の弘法清水 (健全普通話版)
弥陀原的弘法清水
・日本語 ・日本語&中国語
むかしむかし、弘法大師(こうぼうたいし)と言うお坊さんが、立山(たてやま→富山県の南東部)にこもって修行をしていた時の事です。
在很久很久以前、就有著這麼一個叫做弘法大師的高僧、這還是人家窩在立山修行時所發生的事呢。
その当時の弥陀ヶ原(みだがはら)は、行けども行けども一滴のわき水もありませんでした。
說道當時的弥陀原、這地方這就真是走到哪兒水也沒有一滴呀。
その為に立山に登る人たちは、苦しい思いをしていました。
為此、因要途徑此地上到這立山的人、對他們來說可是苦不堪言。
これを知った弘法大師が、
就這事讓弘法大師是知道了之後。
「水は、生きていく上でもっとも大切な物。それがないとは、不便な事じゃ」
水這東西都可以說是萬物的生命之源、要沒了這玩意兒、那可多不方便呀。
と、持っていた錫杖(しゃくじょう→修行する人が持ち歩くつえ)で軽く地面を叩いたのです。
於是乎人家就拿起了自己的法杖呀、對著地面輕輕的敲擊了起來。
すると錫杖は深く地面に突き刺さり、弘法大師が錫杖を引き抜くと、そこから水がこんこんとわき出てきたのです。
而就當法杖被一下狠狠的刺入地面又被一下抽出之後、源源不斷的泉水可就從這個井眼裡面開始噴涌而出了呀。
人々はこのわき水を、弘法清水(こうぼうしみず)と名付けました。
就這樣、之後經過這裡的人們就都把這口涌泉喚它為弘揚法清水了。
今でも弘法清水はわき出ており、この弘法清水でわかしたお茶を飲むと元気が出ると言われています。
現如今這個泉眼的清水還在一直嘩嘩嘩的冒呢、據說呀要是取了這個弘法清水去泡茶、只要喝了過後保準精神百倍呢。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
弥陀ケ原の弘法清水
和尚山泉
むかしむかし、弘法大師(こうぼうたいし)と言うお坊さんが、立山(たてやま→富山県の南東部)にこもって修行をしていた時の事です。
到好久以前、就講這弘法大師到立山這地方修行的事。
その当時の弥陀ヶ原(みだがはら)は、行けども行けども一滴のわき水もありませんでした。
當時這弥陀原缺水。
その為に立山に登る人たちは、苦しい思いをしていました。
這上立山的人就煎熬。
これを知った弘法大師が、
大師曉得。
「水は、生きていく上でもっとも大切な物。それがないとは、不便な事じゃ」
就講水這東西好啊、要有。
と、持っていた錫杖(しゃくじょう→修行する人が持ち歩くつえ)で軽く地面を叩いたのです。
這就用法杖向地上一撴。
すると錫杖は深く地面に突き刺さり、弘法大師が錫杖を引き抜くと、そこから水がこんこんとわき出てきたのです。
這水就有了、地面開裂、石出清泉。
人々はこのわき水を、弘法清水(こうぼうしみず)と名付けました。
別個就都喊這水弘法清水了。
今でも弘法清水はわき出ており、この弘法清水でわかしたお茶を飲むと元気が出ると言われています。
現在這水還流到的、都講用這水泡茶吃了有精神。
おしまい
结束
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