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7月15日の日本民話
(7月15日的日本民間故事)
かわり者「阿波のデコ忠」 (健全普通話版)
奇人「阿波的人偶忠」
・日本語 ・日本語&中国語
むかしむかし、阿波の国(あわのくに→徳島県)に、阿波のデコ忠(あわのでこちゅう)と呼ばれる変わり者で有名な人形師がいました。
在很久很久以前、位處阿波國、就有一位被稱作是奇人的人偶製作工匠、阿波凸凹忠。
デコというのは、木彫りの人形のことです。
凸凹這玩意兒呢其實也就是師傅給人偶製作完成後、取的一個商品名、所以凸凹也就等於是木製的人偶。
このデコ忠がつくる人形は顔の表情がとても良いので、ふつうに売られる人形の何百倍も高い値段でもすぐに売れてしまうのです。
這位人偶師傅所雕刻的每一個人偶都可謂是相當的精美、特別是在人偶的表情上下足了一翻功夫、所以說呀即便就是比其他普通的人偶要高出了成百上千倍的價格、那也是一下子就給賣完根本供不應求。
ですからデコ忠は、たちまち大金持ちになってしまいました。
因上所述、所以人家人偶師傅還是一位有著大錢的大富豪呢。
さて、お金にはあまり関心(かんしん)のないデコ忠は、ある時、足が不自由なお遍路(へんろ)さんを見かけました。
現在就說說自己雖然手持了巨款但卻對錢是不那麼太關心的人偶師傅吧、這天人家就在路上走呀走、走著走著就在前面看見了名兩腿殘缺的遍路人了(巡禮朝拜聖地的信徒)。
足を引きずり、地をはうようにしながら四国のお寺巡りをしているお遍路さんに、デコ忠はお米を一俵ほどこしました。
只見人家那腿腳不便的吃力樣、根本就是爬著爬著就在地上走呀、人偶師傅看到了後頓時就是慈悲一發、一籮筐的大米就給人是扔過去了。
お遍路さんはありがたく受け取りましたが、一俵のお米なんて重すぎて持ち歩くことが出来ません。
遍路人是十分的感激呀、一口一個感謝的在那裡喊呢、可這一籮筐的大米實在也是對自己來說太過於笨重了呀、拖著這玩意兒是讓本來已經都走不動的自己、這不就更加寸步難行了嗎。
そこでこのお遍路さんは三ヶ月も同じ宿にいて、毎日満腹になるまでお米のごはんを食べたそうです。
於是乎呀、人家遍路人找到了好辦法、那就是找到了一個可以落腳的客棧、連續三個月的一直都是停留在了這裡、天天是大米飯吃到飽了。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
かわり者「阿波のデコ忠」
樂者好施
むかしむかし、阿波の国(あわのくに→徳島県)に、阿波のデコ忠(あわのでこちゅう)と呼ばれる変わり者で有名な人形師がいました。
到以前阿波国、就有個雕刻人偶的奇人喊凸凹忠。
デコというのは、木彫りの人形のことです。
這凸凹(デコ)二字本就帶到人偶之意、加上自己本名忠、也就是這條名字的由來了。
このデコ忠がつくる人形は顔の表情がとても良いので、ふつうに売られる人形の何百倍も高い値段でもすぐに売れてしまうのです。
人偶師傅這作的人偶就都有講究、一個個形似真人、所以要價高、但是脫手也快。
ですからデコ忠は、たちまち大金持ちになってしまいました。
師傅靠這門手藝吃飯、是不愁吃穿。
さて、お金にはあまり関心(かんしん)のないデコ忠は、ある時、足が不自由なお遍路(へんろ)さんを見かけました。
這天師傅走路上就看到條禮佛客、踋有點瘸。
足を引きずり、地をはうようにしながら四国のお寺巡りをしているお遍路さんに、デコ忠はお米を一俵ほどこしました。
這人就爬到爬到走、去跑廟禮佛、師傅大氣、甩了別個一擔米、當積個福德。
お遍路さんはありがたく受け取りましたが、一俵のお米なんて重すぎて持ち歩くことが出来ません。
別個是歡喜接受、但是這瘸到踋一拐一拐本來走路都是問題、現在更拖到一擔米是動都動不了了。
そこでこのお遍路さんは三ヶ月も同じ宿にいて、毎日満腹になるまでお米のごはんを食べたそうです。
這就原地幫他吃完起來、一個地方不走了、蹲三個月、等幫米全裝進了肚子這就又上路了。
おしまい
结束
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