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7月18日の日本民話
(7月18日的日本民間故事)
かぶと島 (健全普通話版)
甲島
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今から四百年ほど前、長崎の町に、お小夜(さよ)という美しい娘がいました。
距今為止的約四百多年前、位處長崎的大街上就有著那麼一個叫做小夜的美麗姑娘。
お小夜はキリスト教を信仰するキリシタンで、その美しい姿は絵に描かれたマリアさまにそっくりなので、人々はお小夜の事を『マリアのお小夜』と呼んでいました。
小夜作為一個信仰上帝的信徒、恰好的其容貌也是美麗的酷似極了人家口中的聖母瑪利亞、時間一久、教會的眾人也就真尊小夜為大家的聖母了。
その頃、与次郎(よじろう)という若者が、南蛮寺(なんばんでら→キリスト教会)の門の前で花売りをしていました。
現在就說說最近這段時間天天蹲守在教堂外的一個賣花年輕人與次郎吧。
お小夜は毎日、与次郎の花を買っては南蛮寺にお供えしていたのですが、いつしか二人は恋仲になっていたのです。
因為小夜作為自己的客人時不時的就會跟自己來買上一兩朵花去貢獻給上帝、久而久之這兩人就也慢慢的有了交集、最後甚至是產生了情感。
やがて二人の事が、町のあちこちでうわさされるようになりました。
可就是沒等才兩天的功夫呀、街上關於這件事的謠傳就給人是傳的沸沸揚揚、大家誰都是給津津樂道起來了。
お似合いの二人でしたが、まわりは二人を祝福してくれません。
但新的問題很快也就來了、雖說這兩人看上去還是蠻般配的、可就這恭喜兩字是還不足以讓眾人給說出口呀。
なぜなら当時のキリシタンには、他の宗派の男女と付き合ってはならないという厳しい掟(おきて)があったからです。
畢竟因為當時的這個情況、要是得讓教會去祝福一對新婚的男女、那就必須兩人都要是這上帝的信徒才行、而你這還是個異教徒的話那可就更加是千萬的搞不好了。
ある晩、二人は人目をさけて浜辺で出会っていました。
事發後的某個夜晚、如今的兩人現在都只能是避開了他人的眼光才能偷偷的幽會了、也就是在這海邊。
ところがこれを、神父に見られてしまったのです。
但你咋說呢、為何剛好神父就突然的也出現在了海邊、給你嚇了一跳呢。
捕まった二人は、神父たちにとても厳しいおしおきを受けました。
兩人當場就是給教會抓了一個現行犯後、其間就不說了、那就是給各種迫害慘的呀。
特に与次郎の方はキリシタンをたぶらかした極悪人として、長崎港の沖に浮かぶ『かぶと島』へ島流しにされたのです。
而關於小夜其實都還好、可就是與次郎這傢伙、是給人教會給定下一個十惡不赦的罪名、要給人都打算了去流放到這位於長崎港的一座無人的荒島、甲島上去了。
「お小夜、夜になったらかぶと島をながめてくれ。わたしは毎晩赤い灯をともすから。赤い灯が見えるかぎり、私は生きているから」
小夜、不要擔心、到時一旦入夜了、你也可以是隔著海過來看我、屆時我就會打著一個小紅燈籠給你報個平安、只要燈還在一天、那麼就說明我還活著。
与次郎はお小夜にそれだけを言い残すと、かぶと島へ送られました。
就也只是給讓說完了這最後的一句、與次郎就給人是領到甲島上去了。
それからというもの、お小夜は夜ごと浜辺に出てはかぶと島を眺めました。
就因這檔子事一出吧、此後的小夜每晚都還是會趕赴至海邊、就遠隔著大海朝與次郎所被流放的甲島上一直望著呢。
日も暮れる頃になると、島にボーッと赤い灯がともります。
這段時間只要是天色稍暗後、島上真的就是會閃現出紅光一點。
その灯をながめては与次郎を思い、お小夜は涙を流すのでした。
知道打著燈給自己報著平安的人就是與次郎、小夜一想到這裡那眼淚就是忍不住的要流出了。
でもこれを、神父たちはこころよく思いません。
可都即便是如此了、這還是不能給眾神父們給放下心。
「与次郎は、信者を惑わす悪魔じゃ。悪魔には、神罰が下さるべきだ」
與次郎的這傢伙、都已經上了島還竟然這麼有本事、蠱惑著上帝的信徒、這傢伙絕對就是一位惡魔、我看應該需要給他降下神罰。
次の日の夜、お小夜がいくら待っても、かぶと島に赤い灯はともりませんでした。
好傢伙、這就第二天、小夜再又是繼續跑海邊去一看、甲島上的那個小紅點它今天已經是不見了。
その日の夜明け、お小夜は何かにつかれたかのようにふらふらと歩き出して、一歩一歩、海の中に足をふみ入れたのでした。
可就是在了這個夜晚、小夜突然就是像被甚麼妖魔鬼怪附體了一般、兩眼無神、萬念俱灰般的就是那麼一步一步逐漸朝著海水中向著甲島而去了。
「与次郎さま。来世では、必ず結ばれましょう」
次郎次郎、來世你我必定相逢再續緣的。
翌朝、かぶと島の波打ち際に、並んで倒れている男女の死体があがったそうです。
合著這就第二天一早、好傢伙、一個浪花拍打、這不就看到了嗎、兩具屍身、甲島的海岸上就那麼一齊並排躺著呢。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
かぶと島
地獄島
今から四百年ほど前、長崎の町に、お小夜(さよ)という美しい娘がいました。
時四百多年前、長崎街上有條女兒喊小夜長好乖。
お小夜はキリスト教を信仰するキリシタンで、その美しい姿は絵に描かれたマリアさまにそっくりなので、人々はお小夜の事を『マリアのお小夜』と呼んでいました。
當時的神父就飄揚過海各地宣揚福音、這就小夜著了道、成了信徒、剛好這人又跟聖母長的像、就都過喊他瑪利亞了。
その頃、与次郎(よじろう)という若者が、南蛮寺(なんばんでら→キリスト教会)の門の前で花売りをしていました。
這天有條喊與次郎的小夥子就賣花、站到別個教堂門口的。
お小夜は毎日、与次郎の花を買っては南蛮寺にお供えしていたのですが、いつしか二人は恋仲になっていたのです。
小夜也是看到就買上二朵、跟上帝插到去、買花的和小夜這就天天一來一往、有感情了。
やがて二人の事が、町のあちこちでうわさされるようになりました。
這就聖母過傳跟人有染、全街上的人是卵㫘事作、天天扯這個最喜歡、大街小巷都曉得了。
お似合いの二人でしたが、まわりは二人を祝福してくれません。
都講要結婚、但是這事情好像不那麼搞的好。
なぜなら当時のキリシタンには、他の宗派の男女と付き合ってはならないという厳しい掟(おきて)があったからです。
想結婚那就要一起幫上帝信了、要不然就是小夜改宗、但不曉得這條賣花的男的又信的是甚麼卵、好像也不是條平常身。
ある晩、二人は人目をさけて浜辺で出会っていました。
這天夜了、兩人就避人耳目到幽會。
ところがこれを、神父に見られてしまったのです。
但這神父就像是好死不死跟到小夜的、關鍵時候現身了。
捕まった二人は、神父たちにとても厳しいおしおきを受けました。
兩條傢伙一被捉、這就要捉個典型、看以後還有其他人敢吧。
特に与次郎の方はキリシタンをたぶらかした極悪人として、長崎港の沖に浮かぶ『かぶと島』へ島流しにされたのです。
當時這傳教也是跟為政者塞了好處、打通了關節、上面也就封了別個個官爵、也算是半個臣了、這就握有實權、按當地慣例、幫人到海島上流放了去。
「お小夜、夜になったらかぶと島をながめてくれ。わたしは毎晩赤い灯をともすから。赤い灯が見えるかぎり、私は生きているから」
男的受刑、小夜倒是無慮、島也不遠、人到海邊還能看到、兩人這就商量小夜每夜打燈來望、男的就提紅燈報個平安、隔海敘情。
与次郎はお小夜にそれだけを言い残すと、かぶと島へ送られました。
交待完遺言這就上島去啦。
それからというもの、お小夜は夜ごと浜辺に出てはかぶと島を眺めました。
小夜真就提到條燈籠過去看。
日も暮れる頃になると、島にボーッと赤い灯がともります。
這就天黑看到對面島上一個小紅點。
その灯をながめては与次郎を思い、お小夜は涙を流すのでした。
兩天人隔條河到岸邊苦相思、小夜受不了就哭啊哭。
でもこれを、神父たちはこころよく思いません。
「与次郎は、信者を惑わす悪魔じゃ。悪魔には、神罰が下さるべきだ」
但是神父看到這幕就更堅定與次郎是撒旦所化、來壞上帝福音、要別個塵歸塵、土歸土、撒旦居地獄、自然與次郎也就流海島。
次の日の夜、お小夜がいくら待っても、かぶと島に赤い灯はともりませんでした。
這就天天現案子、小夜提燈去見、但今天怪啦、㫘看到小紅點。
その日の夜明け、お小夜は何かにつかれたかのようにふらふらと歩き出して、一歩一歩、海の中に足をふみ入れたのでした。
小夜看樣子人也累了、一步一步、往海島走去了、這就聖母瑪利亞去到地獄傳播福音、感化撒旦去了。
「与次郎さま。来世では、必ず結ばれましょう」
生離死別又重逢。
翌朝、かぶと島の波打ち際に、並んで倒れている男女の死体があがったそうです。
次日早、兩條男女殘軀一起被浪花衝上海岸過人看到了。
おしまい
结束
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