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5月21日の日本民話
(5月21日的日本民間故事)
大力権兵衛 (健全普通話版)
大力士權兵衛
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朗読者 : エクゼムプラーロ |
むかしむかし、神谷(かみや)に権兵衛(ごんべえ)という力持ちがいました。
在很久很久以前、神谷這個地方就有著一位叫做權兵衛的大力士。
権兵衛は力が強いだけでなく、そばの大食いでも評判でした。
權兵衛他不僅是自己的力氣大、而且飯量也大、人家都說他吃蕎麥面的厲害程度可不是一般。
何しろ二升のそば粉で作ったそばを、ペロリと食べてしまうのです
會這樣說也是因為兩升蕎麥粉所打成的蕎麥面、只見他吃起來就是呼呼幾口的跟你整光了。
ところがちょうど同じ頃、薮原(やぶはら)にも、
而現在說到同一時間、也就是在藪原這個地、同樣的也有一個。
「そば食いでは、誰にも負けねえぞ」
要論這吃蕎麥麵呀、我可是天下第一誰也不如我。
と、いばっている坊さんがいました。
這麼牛氣轟轟的誇耀自己實力的正是一位廟裡的和尚。
あるとき、この二人がそば屋で顔を合わせて、さっそくそばの大食い勝負をすることになったのです。
而也算是巧、就有一天這兩人剛好就在麵館給撞著了、那也就剛好趁著這個機會分出個吃蕎麥面之王的高下呀。
さすがに二人とも、ものすごい大食いで、なかなか勝負がつきません。
比賽這就開始、因為畢竟都是有著實力的兩位主、這局勢是給你拼的難解難分呀。
そしてそば屋のそばが全部なくなってしまい、勝負は引き分けになってしまいました。
終於這等比到了麵館主人的面都不夠用時、那就今天的勝負只能暫且先是給算了個平局啦。
ところがそのとき、坊さん急に腹かかえて苦しみ出して、その日の晩に死んでしまいました。
但是事後啦、這問題可就給你來了、就在比完後沒多久、和尚是一下開始抱起了肚子表情開始了露出不適、而也就是在當晚、人家沒能撐過去、死了
それを聞いた権兵衛はびっくりして、
等也聽到了這個消息後的權兵衛是驚呆了呀。
「なんて申し訳ねえことを。おれのために、坊さんが一人死んでしまった」
天啦、這下我可多對不住人家呀、都是因為我的原因、直接是把和尚給吃沒了啊。
権兵衛は泣く泣く坊さんの弔いをすませたものの、どうにも気持ちがおさまりません。
後來也是說在和尚的葬禮之上權兵衛是哭死哭活的那可叫一個悲慘呀、可咋說呢、那就是這人家的心裡還是過不去呀。
そこで罪ほろぼしに、何か村のためにすることはないかと考えました。
而也就是想讓自己有個機會把這個罪給贖了、權兵衛這就想到了、自己要積德給村裡人做個啥的好事呀。
そして、こんなことを思いついたのです。
想呀想、最後就是這麼一個點子出現在了人家的腦海。
「木曽(きそ)の山中は、田んぼが少なくて米がとれねえ。だから山中に道を開いて、伊那(いな)と行き来できるようにしよう」
木曾的山地、因為農田不夠的緣故所以也就導致了時常少糧。所以我若是能開通一條山地往返依那的路。
こうして、権兵衛の道づくりが始まりました。
就這樣一想好呀、權兵衛還就真獨自一個人整起這開路的工作了。
権兵衛は毎日、山で木を倒して岩を堀り出すと、土をならしました。
人家這就每天都不停下了、天天都是在大山裡面倒樹破岩、填土鋪路。
それを何ヶ月も続けて、やっとのことで権兵衛は木曽から伊那に通じる道をつくったのです。
就這個勢力持續了是有數月之久、還就真給權兵衛一人把一條木曾通往伊那的路給開闊好了。
そして自分で牛を引きながら木曽の木を伊那へ運んだり、また伊那からは米を運んだりして村のためにつくしたのです。
這事成了後權兵衛又是給自己拉來了頭牛、拖著了自己在木曾砍下來的這一山木全給運去伊那了、完了之後了這就又是在伊那那兒為了全村給拖來了一車車糧。
このとき権兵衛が切り開いた道は『権兵衛街道』といい、またその途中にある峠は、『権兵衛峠』と呼ばれるようになりました。
而自那之後呀、也就是給權兵衛開出的這一條道就給大夥們喊成是權兵衛道了、然後路途中的那些道嶺、則是給大家叫成了全兵衛嶺。
今でも、『権兵衛街道』と『権兵衛峠』は残っているのです。
就現如今這權兵衛道以及權兵衛嶺還都就留在那兒呢。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
大力権兵衛
吃的多力氣大
むかしむかし、神谷(かみや)に権兵衛(ごんべえ)という力持ちがいました。
到好久以前、深谷有條喊権兵衛的力士。
権兵衛は力が強いだけでなく、そばの大食いでも評判でした。
雖講這力氣大、不過吃的也多。
何しろ二升のそば粉で作ったそばを、ペロリと食べてしまうのです。
二斤蕎麥面、一餐就著整完了。
ところがちょうど同じ頃、薮原(やぶはら)にも、
但同時、薮原也有個。
「そば食いでは、誰にも負けねえぞ」
講自己吃蕎麥好狠、那個都跟自己比不得。
と、いばっている坊さんがいました。
這傢伙還是條和尚。
あるとき、この二人がそば屋で顔を合わせて、さっそくそばの大食い勝負をすることになったのです。
這天二條傢伙還到麵館約到了、就為了專門比下子哪個能幹。
さすがに二人とも、ものすごい大食いで、なかなか勝負がつきません。
這就緊吃緊吃、不分勝負。
そしてそば屋のそばが全部なくなってしまい、勝負は引き分けになってしまいました。
幫店子一天準備的蕎麥都整乾淨了這還㫘分出勝負。
ところがそのとき、坊さん急に腹かかえて苦しみ出して、その日の晩に死んでしまいました。
哪曉得當晚和尚肚子不舒服、去了。
それを聞いた権兵衛はびっくりして、
這事權兵衛就曉得了。
「なんて申し訳ねえことを。おれのために、坊さんが一人死んでしまった」
認為自己過幫和尚吃㫘得了。
権兵衛は泣く泣く坊さんの弔いをすませたものの、どうにも気持ちがおさまりません。
也只是想比下子、㫘想到搞出人命案子、這權兵衛心裡就懷疚不好想、跟和尚吊喪的時候一直哭啊哭還是不能平緩。
そこで罪ほろぼしに、何か村のためにすることはないかと考えました。
這就想幫村裡面作點好事跟自己積點陰德、不是幫這事抵了、而是讓自己好受些。
そして、こんなことを思いついたのです。
這就看要作甚麼啦。
「木曽(きそ)の山中は、田んぼが少なくて米がとれねえ。だから山中に道を開いて、伊那(いな)と行き来できるようにしよう」
就想木曽這地方田少米貴、其一是因為運輸不便、這就想到山上開條路、直通伊那。
こうして、権兵衛の道づくりが始まりました。
這權兵衛過就一人開山了。
権兵衛は毎日、山で木を倒して岩を堀り出すと、土をならしました。
這就每天到山上倒樹破岩填土。
それを何ヶ月も続けて、やっとのことで権兵衛は木曽から伊那に通じる道をつくったのです。
花了好幾個月、硬是通了條路出來。
そして自分で牛を引きながら木曽の木を伊那へ運んだり、また伊那からは米を運んだりして村のためにつくしたのです。
這就用自己屋的牛幫倒落來的樹拉到伊那賣、買伊那的米又往村裡駝。
このとき権兵衛が切り開いた道は『権兵衛街道』といい、またその途中にある峠は、『権兵衛峠』と呼ばれるようになりました。
後面就幫這條路過喊権兵衛路了、中間七拐八拐的山路就喊権兵衛嶺。
今でも、『権兵衛街道』と『権兵衛峠』は残っているのです。
現在這條路和嶺還留到的。
おしまい
结束
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