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10月12日の日本民話
(10月12日的日本民間故事)
キジも鳴かずば、撃たれまいに (健全普通話版)
不鳴則已、一命嗚呼。
・日本語 ・日本語&中国語
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投稿者 「もちがたる。」
むかしむかし、犀川(さいがわ)のほとりに、小さな村がありました。
在很久很久以前、位於犀川的河畔邊、就有著一個小村莊。
この村では毎年、秋の雨の季節になると犀川がはんらんして多くの死人が出るため、村人たちは大変困っていました。
這個村莊呢、因為挨著河川近的緣故、每逢一到秋後的雨季、犀川一漲水呀、洪災只要一來那麼就會造成大量的人員死傷、村民就是為了這個洪水也是傷透了腦筋。
さてこの村には、弥平(やへい)という父親と、お千代(おちよ)という小さい娘が住んでいました。
現在就說說這個村子裡的村民、有一位是叫做彌平的父親、以及他那位尚未還年幼的女兒、一位叫做千代的姑娘。
お千代の母親は、この前の大雨に流されて死んでしまいました。
千代本也是有母親的、可就是因為之前提及的暴雨洪水、人給一波大水帶走後也就真的是永遠的給帶走了。
二人の暮らしはとても貧しかったのですが、それでも父と子は毎日仲良く幸せに暮らしていました。
現今父女兩人的生活可謂是十分的窘迫、就清貧疾苦、可即便如此、這對父女兩還是能在一起每天生活的很開心。
そしてまた、今年も雨の季節がやってきました。
時間一天天過去、眼看著今年的這雨季也是又要來了。
そのころ、お千代は重い病気にかかっていましたが、弥平は貧乏だったので医者を呼んでやることも出来ません。
巧也就是在這時、千代不幸患上了重病、而身為父親的彌平就以現在這個家境所言、也是沒有錢能叫來醫生。
「お千代、早く元気になれよ。さあ、アワのかゆでも食って元気を出せよ」
我的小千代、你要早早的好起來呀、好啦、吃了這碗小米粥過後你就能夠精神起來的呢。
弥平がお千代に食べさせようとしても、お千代は首を横に振るばかりです。
父親想哄女兒乖乖吃飯、可就見千代連忙的是將小腦袋搖擺上了好幾道。
「ううん、わたし、もう、かゆはいらねえ。わたし、あずきまんまが、食べたい」
我已經不想再喝粥啦、我想吃紅豆飯、紅豆飯。
あずきまんまとは赤飯の事で、お千代の母親が生きていたころに、たった一度だけ食べた事があるごちそうです。
紅豆飯也就是糯米加上紅豆一起蒸出來的紅色米飯、千代是有在母親還在世的時候、有嚐一次呢、而這也可以說就是千代人生唯一的一次了。
ですが今の弥平には、あずきどころか米の一粒もありません。
但如今的父親也只能是皺起了眉、別說紅豆、現在家中的大米也是一粒都沒有呢。
弥平は寝ているお千代の顔をジッと見つめていましたが、やがて決心すると立ちあがりました。
待又到了父親是把女兒哄入了夢鄉、就靜靜的那樣一直盯視著女兒的寢容、也許是下定了決定吧、起身了。
「地主(じぬし)さまの倉(くら)になら、米もあずきもあるはずだ」
不管是大米還是紅豆、地主老爺家的谷倉裡這些一定都不會缺。
こうして弥平は可愛いお千代のために、生まれてはじめて泥棒をしたのです。
就是這樣、為了自己那可愛的女兒千代、彌平是給自己嘗試性的當起了這人生中的第一次小偷。
地主の倉から一すくいの米とあずきを盗んだ弥平は、お千代にあずきまんまを食べさせてやりました。
於地主家的谷倉裡是偷來了一捧大米、一捧紅豆、事成之後也是讓自家的千代如願以償的可以吃到這香噴噴的紅豆飯了。
「さあ、お千代、あずきまんまじゃ」
快瞧瞧、千代、今天咱們是吃紅豆飯了。
「ありがとう。おとう、あずきまんまは、おいしいなあ」
謝謝爸爸、紅豆飯真好吃。
「おお、そうかそうか。いっぱい食べて、元気になるんじゃぞ」
當然當然呀、那你就多吃點、讓身體也是快點精神起來吧。
こうして食べさせたあずきまんまのおかげか、お千代の病気はだんだんとよくなり、やがて起きられるようになりました。
難道就是因為吃上了紅豆飯的緣故嗎?眼看著千代的病情還就真是一天變得比一天要緩解起來了呢、最終、千代是走下了病榻、可以下床走動了。
さて、地主の家では米とあずきが盗まれた事に、すぐに気がつきました。
可現在就將場景轉到地主大老爺的家、人家很快的也是就發現了自己的谷倉是有被人偷取過的痕蹟。
お金持ちの地主にとっては犬のエサほどの量で、たいした物ではありませんでしたが、一応、役人へ届けました。
雖然這一點點損失、根本就還比不上地主大院裡那些大黃狗一天吃的多呢、可總之、就自己家裡來了小偷這事還是讓地主大老爺給報官了。
やがて元気になったお千代は家の外に出ていくと楽しそうに歌いながら、マリつきをはじめました。
♪トントントン
另一邊、是身體已經完全的康復的千代都能夠出去玩耍了、一邊在外拍著皮球、而且還一邊在嘴角裡也高興的哼著歌呢。
♪咚咚咚
♪おらんちじゃ、おいしいまんま食べたでな
♪我的家裡呀、今天吃了美味的飯。
♪あずきの入った、あずきまんまを
♪是加入紅豆的、紅豆飯。
♪トントントン
♪咚咚咚
お千代の歌を、近くの畑にいた百姓(ひゃくしょう)が聞いていました。
於是乎呀、就千代哼在嘴巴裡面不經意的這首歌吧、也是在不經意之間給周圍的一位種地農民也聽到了。
「変じゃなあ、弥平の家は貧乏で、あずきまんまを食べられるはずがないのだが。・・・まあ、いいか」
真是奇怪呀、彌平的家裡那麼窮、就他家還能吃上這紅豆飯呀?…………算了、管他的呢。
そのとき百姓は、大して気にもとめませんでした。
就當時的這位農民呀、他自己也是沒多在意、就這樣子讓事情過去了。
やがてまた大雨が降り出して、犀川の水は今にもあふれださんばかりになりました。
可就是等到了村子裡雨訊來臨的這一天、於天空中如今是已下起了大暴雨、而就近的犀川之水、眼看著即將也就要氾濫成災了。
「このままじゃ、また村は流されてしまうぞ」
在這樣下去、就這個勢頭呀、我們的整個村子是會被要全部給沖走的呀。
村人たちは、村長の家に集まって相談しました。
村民們現在全是聚集到了一起、就在裡長家討論著現在這案子是要如何化解過去呢。
すると、村人の一人が言いました。
就此時呀、一位村民他有主意了。
「人柱を立てたら、どうじゃろう?」
我們犧牲一位活人獻祭給水神、就這個點子大家認為如何?
人柱とは、災害などで苦しんでいる人々が生きた人間をそのまま土の中にうめて、神さまに無事をお願いするという、むかしの恐ろしい習慣です。
所謂的活人祭祀、是在很早以前的一個可怕犧牲呢、為了換取天上神靈的一份庇佑、而作為代價那就是要犧牲掉一個活生生的人、將他獻給神明以示真心。
その生きながらに土の中にうめられるのは、たいていが何か悪い事をした人だったそうです。
一般通常而言要成為活祭品的這個人、基本都是作為幹過了壞事的壞蛋惡人這種。
「そういえば、この村にも悪人がおったな」
給你這樣一說、我倒是想到了我們村裡還就真是有一位惡人呢。
と、言ったのは、お千代の手マリ歌を聞いた百姓でした。
說這話的就是當時聽到了千代唱起了那首紅豆歌的農民。
「なに? 悪人がおるじゃと? それは誰じゃ?」
甚麼?你說我們村裡面有惡人?那傢伙是誰呀?
「うむ。実はな」
其實呀、事情是這樣。
百姓はみんなに、自分の聞いた手マリ歌の事を話しました。
就見這位農民現在是對著眾村民們述說起了前幾日、千代又是拍著皮球又是唱著紅豆飯歌的那事。
その夜、弥平とお千代が食事をしていると、
也就是這樣的一樣原因、當天夜、屋子裡父女兩人還就在家一起吃著飯呢。
ドンドン! ドンドン!
咚咚!咚咚!
だれかが、戸をはげしくたたきます。
不知道這個時候是誰就在外頭是瘋狂的敲起了大門。
「弥平! 弥平はおるか!」
彌平!彌平你在家嗎!
「へい、どなたで?」
在家呢、你誰呀?
「弥平、おぬしは先日、地主さまの倉から米とあずきを盗んだであろう。娘が歌った手マリ歌が証拠(しょうこ)じゃ」
彌平、前些日子偷了地主大老爺家的紅豆和大米的是你沒錯吧、我們有證據、你的女兒拍皮球時唱的歌現在我們都知道啦。
お千代はハッとして、弥平の顔を見ました。
此時的千代很是緊張的望向了自己父親。
「おとう!」
爸爸!
泣き出すお千代に、弥平はやさしく言いました。
面對著哭泣的千代、彌平做出的也就只是溫柔的安撫她而已。
「おとうは、すぐに帰ってくるから、心配せずに待っていなさい」
不必擔心啦、爸爸就暫時出去一躺馬上就能回家 。
「おとう! おとう!」
爸爸!爸爸!
泣き叫ぶお千代を残して弥平は村人に連れて行かれ、そしてそのまま帰っては来ませんでした。
就這樣呀、當著人家女兒的哭喊的叫聲、全村人就給彌平是活脫脫的那麼強行拉走了、然後呢、就也再沒回來過了。
犀川の大水を防ぐために、人柱として生きたままうめられてしまったのです。
彌平他是犧牲了、為了能夠給全村鎮住這場大水、於犀川內是成為了活祭品。
「しかし、たった一すくいの米とあずきを盗んだだけで、人柱とはな」
可怎麼說、人家就也只是偷取了一把大米於紅豆而已、沒想到就是這樣的下場呀。
と、同情(どうじょう)する村人もいましたが、下手な事を言うと今度は自分が人柱にされるかもしれません。
有不少的村民們也是紛紛的出於同情表示是可以理解彌平、可也想到了這個時候絕對不能亂說話、別導致了自己明年被打成了其同黨、到時候自己也被獻祭了就有意思了。
そういう時代だったのです。
這也就是在那個時代之下的人們思考以及活下去的方式。
さて、村人からお父さんが人柱にされた事を聞いたお千代は、声をかぎりに泣きました。
待到了最後的千代終也是要去面臨這樣一個父親已死的殘酷結局、可此時的她能做到的也只是放肆的哭泣而已。
「おとう! おとう! おらが歌を歌ったばかりに」
爸爸!爸爸!都是因為我愛亂唱歌。
お千代は何日も何日も、泣き続けました。
小千代就這樣的不知道是傷心了多少天多少夜、就在那一直的哭呀哭呀哭。
やがてある日、お千代は泣くのをやめると、それからは一言も口をきかなくなってしまいました。
等哭到了自己最後終於是哭不出來的那一天呀、千代也是終其一生都不能再發出任何一語了、千代她失去了聲音。
何年かたち、お千代は大きくなりましたが、やっぱり口をききません。
等又是時隔了多少年過去之後、幼時的千代現如今已經長大、可果然還是無法說話發不出聲音。
村人たちはお父さんが殺されたショックで、口がきけなくなったと思いました。
當初就全村人拖走自己父親時、那個對打擊對於千代來說實在是過於的龐大、也許就是這個內心的陰影讓千代無法再說話了吧。
ある年の事、一人の猟師(りょうし)がキジを撃ちに山へ入りました。
於某年、一位獵人提槍上山狩獵野雞。
そしてキジの鳴き声を聞きつけて、鉄砲の引き金を引きました。
因為山中野雞的一聲鳴叫、獵人隨即就是扣動了扳機。
ズドーン!
砰!
見事に仕留めたキジを探しに、猟師は草むらをかきわけていってハッと足をとめました。
一槍命中、就在獵人還想著快去把野雞撿起來在那扒著草叢的時候。
撃たれたキジを抱いて、お千代が立っていたのです。
在那裡早站著的竟然是千代了、野雞此時也是被她給抱於手中。
お千代は死んでしまったキジに向かって、悲しそうに言いました。
面對著死去的野雞、千代是很深情又悲傷、隨即不經意又是給拋出了這麼一句。
「キジよ、お前も鳴かなければ、撃たれないですんだものを」
野雞呀野雞、明明你也一樣、若是不去隨意的叫喚出這一聲、又怎麼會死在他人的子彈之下呢。
「お千代、おめえ、口がきけたのか?」
千代、千代你能開口說話了?
お千代は猟師には何も答えず、冷たくなったキジを抱いたまま、どこかに行ってしまいました。
千代面對著獵人的疑問並沒有發出一語、只是很冷淡的抱起了那隻死去的野雞、不知道是向著甚麼地方去了。
それから、お千代の姿を見た者はいません。
也就是自這天過後、村裡人是誰也沒再見過千代了。
「キジよ、お前も鳴かずば撃たれまいに」
不鳴則已、一命嗚呼。
お千代の残した最後の一言が、いつまでも村人のあいだに語りつたえられ、それからその土地では人柱という恐ろしい事は行われなくなったという事です。
就是這千代遺留下的最後一句、一直是作為一個恐怖的傳說在村民之間持續的流傳著、到了最後、因為大多數人的恐懼、活人祭祀的儀式終也就被人們所遺忘漸漸的成為了過去。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
キジも鳴かずば、撃たれまいに
黔之驢
むかしむかし、犀川(さいがわ)のほとりに、小さな村がありました。
到好久以前、犀川湖畔旁有條小村莊。
この村では毎年、秋の雨の季節になると犀川がはんらんして多くの死人が出るため、村人たちは大変困っていました。
這村建水源地邊上好也是好、但是等秋天水訊一來漲大水又要淹死那麼一潽人、過幫全村人都是要搞癲了。
さてこの村には、弥平(やへい)という父親と、お千代(おちよ)という小さい娘が住んでいました。
村裡面的弥平爹、有個喊千代的女。
お千代の母親は、この前の大雨に流されて死んでしまいました。
現在一屋就兩條人、原因就是這媽過大水一波帶走了去。
二人の暮らしはとても貧しかったのですが、それでも父と子は毎日仲良く幸せに暮らしていました。
當時這老百姓都窮、都是身在苦中不知苦、一天到哪裡窮快活、騙自己要知足長樂、講自己是生到福中不知福。
そしてまた、今年も雨の季節がやってきました。
好啦、今年子的秋天又要來啦、等漲水又是全部夾卵。
そのころ、お千代は重い病気にかかっていましたが、弥平は貧乏だったので医者を呼んでやることも出来ません。
恰巧又逢千代害了病、屋裡窮、爹連條醫生都請不起。
「お千代、早く元気になれよ。さあ、アワのかゆでも食って元気を出せよ」
爹也只能熬點小米粥喊自己女吃、希望她能快點好。
弥平がお千代に食べさせようとしても、お千代は首を横に振るばかりです。
但是東西端來、看到女的腦鬠就是一直擺。
「ううん、わたし、もう、かゆはいらねえ。わたし、あずきまんまが、食べたい」
原來是有東西吃還嫌、耍性子講自己要吃豆沙飯。
あずきまんまとは赤飯の事で、お千代の母親が生きていたころに、たった一度だけ食べた事があるごちそうです。
這豆沙飯還是千代媽還活到的時候吃過一次、也是唯一的一次。
ですが今の弥平には、あずきどころか米の一粒もありません。
但是莫講紅豆了、現在是連米都㫘得一顆哦。
弥平は寝ているお千代の顔をジッと見つめていましたが、やがて決心すると立ちあがりました。
千代被自己哄睡了去、老頭就一直看到自己女熟睡的臉。
「地主(じぬし)さまの倉(くら)になら、米もあずきもあるはずだ」
心思過一下動到地主的穀倉。
こうして弥平は可愛いお千代のために、生まれてはじめて泥棒をしたのです。
準備自己馬上就要開始當賊頭了。
地主の倉から一すくいの米とあずきを盗んだ弥平は、お千代にあずきまんまを食べさせてやりました。
一捧米跟紅豆到手的老頭、也是讓千代吃上了豆沙飯。
「さあ、お千代、あずきまんまじゃ」
「ありがとう。おとう、あずきまんまは、おいしいなあ」
爹這就盛了上去。
女則一直是感謝老頭、講這紅豆飯好吃。
「おお、そうかそうか。いっぱい食べて、元気になるんじゃぞ」
老頭看女吃、要她多吃點、早點人好起來。
こうして食べさせたあずきまんまのおかげか、お千代の病気はだんだんとよくなり、やがて起きられるようになりました。
不曉得是不是吃了這飯的緣故、千代還真就慢慢好起來了、過都下得了床了。
さて、地主の家では米とあずきが盗まれた事に、すぐに気がつきました。
但是後面地主也是發現了自己屋米被偷的事。
お金持ちの地主にとっては犬のエサほどの量で、たいした物ではありませんでしたが、一応、役人へ届けました。
雖講只是一手米、還不如地主院裡每日大狼狗吃的多、但屋裡出了賊頭這事反正是先報了官。
やがて元気になったお千代は家の外に出ていくと楽しそうに歌いながら、マリつきをはじめました。
千代人好了、這也出到街上開始玩、手裡拍到小皮球嘴巴裡面唱到歌。
♪トントントン
♪おらんちじゃ、おいしいまんま食べたでな
♪あずきの入った、あずきまんまを
♪トントントン
這歌的內容則就是講自己上次吃的紅豆飯好吃。
お千代の歌を、近くの畑にいた百姓(ひゃくしょう)が聞いていました。
邊上種地的農民聽千代唱這條。
「変じゃなあ、弥平の家は貧乏で、あずきまんまを食べられるはずがないのだが。・・・まあ、いいか」
心想別個屋那麼窮怎麼吃的上紅豆飯哦、就感覺這事怪。
そのとき百姓は、大して気にもとめませんでした。
但是當時也㫘去在意這條傢伙。
やがてまた大雨が降り出して、犀川の水は今にもあふれださんばかりになりました。
好啦、雨訊也來了、這犀川的水看到就要幫村子淹了。
「このままじゃ、また村は流されてしまうぞ」
我日、今年子我們村子違又要被全部衝走啊。
村人たちは、村長の家に集まって相談しました。
すると、村人の一人が言いました。
這就全村一起到村長屋裡開大會。
其中有條傢伙就提建議了。
「人柱を立てたら、どうじゃろう?」
講去條哪個去幫河神獻了啊?
人柱とは、災害などで苦しんでいる人々が生きた人間をそのまま土の中にうめて、神さまに無事をお願いするという、むかしの恐ろしい習慣です。
當時這修橋甚麼的、第一件事不是打樁、而是先甩幾條人下去、再開始打樁、因為直接打樁要麼就是打不好、要麼就是一下被水衝走了去、當時人信邪、認為是動了龍王土、所以都要先獻幾條人下去、自中國幫這條頭一起、這就開始外包、到了韓國教人怎麼修橋、第一件事是先甩兩傢伙到水裡面去、韓王就覺得這事炫酷啦、修條宮殿也要糊二條人封水泥柱子裡面去、護到龍脈、這過最後日本也學、最後就全亞洲稀爛、這就最近幾年還有老杆子跟我講這修大橋一定要甩幾條人下去當樁。
その生きながらに土の中にうめられるのは、たいていが何か悪い事をした人だったそうです。
但這樁要哪個當又是個問題了、就看哪個命賤啦。
「そういえば、この村にも悪人がおったな」
と、言ったのは、お千代の手マリ歌を聞いた百姓でした。
這一選過就是千代她爹了、就講因為她唱了這首紅豆歌。
「なに? 悪人がおるじゃと? それは誰じゃ?」
「うむ。実はな」
百姓はみんなに、自分の聞いた手マリ歌の事を話しました。
這就看到千代唱歌這農民開始細細道來了。
その夜、弥平とお千代が食事をしていると、
ドンドン! ドンドン!
晚上、千代和老頭到屋裡正開始吃飯。
だれかが、戸をはげしくたたきます。
外面門過就著大聲拍了。
「弥平! 弥平はおるか!」
「へい、どなたで?」
開口就是問人到屋吧。
哪個?
「弥平、おぬしは先日、地主さまの倉から米とあずきを盗んだであろう。娘が歌った手マリ歌が証拠(しょうこ)じゃ」
不要管我是哪個!我們曉得你到地主屋裡偷東西了、還有證據!
お千代はハッとして、弥平の顔を見ました。
「おとう!」
女也曉得了大事不妙。
人一下好急。
泣き出すお千代に、弥平はやさしく言いました。
「おとうは、すぐに帰ってくるから、心配せずに待っていなさい」
過直接哭了出來、但是老頭一陣安撫、講自己一下就回來、要千代不要怕。
「おとう! おとう!」
泣き叫ぶお千代を残して弥平は村人に連れて行かれ、そしてそのまま帰っては来ませんでした。
這就一群人幫老頭一拉、千代就看到老頭被人拉走一直喊到他的名、也過是最後一面了。
犀川の大水を防ぐために、人柱として生きたままうめられてしまったのです。
也是講幫人獻了去、看能幫河水鎮到吧。
「しかし、たった一すくいの米とあずきを盗んだだけで、人柱とはな」
但你莫講這人也著孽、一把米就過變水鬼了。
と、同情(どうじょう)する村人もいましたが、下手な事を言うと今度は自分が人柱にされるかもしれません。
そういう時代だったのです。
但是其他人也不敢多講、怕被打成講是別個的同路人、那下次這獻的就是自己了。
さて、村人からお父さんが人柱にされた事を聞いたお千代は、声をかぎりに泣きました。
千代也是一直未見老頭回來、曉得再也回不了了、一直到那裡哭啊哭。
「おとう! おとう! おらが歌を歌ったばかりに」
お千代は何日も何日も、泣き続けました。
認為是自己一首不經意的歌害了自己老頭一條命。
やがてある日、お千代は泣くのをやめると、それからは一言も口をきかなくなってしまいました。
幾日幾夜一直就光哭也不見停、直到有一日、不哭了、但卻也是再也不發一語。
何年かたち、お千代は大きくなりましたが、やっぱり口をききません。
好多年了、等千代成人、已經是不能開口了。
村人たちはお父さんが殺されたショックで、口がきけなくなったと思いました。
也是講打擊太大、已致失語。
ある年の事、一人の猟師(りょうし)がキジを撃ちに山へ入りました。
話題轉到有年一條獵人為搞山雞入山。
そしてキジの鳴き声を聞きつけて、鉄砲の引き金を引きました。
ズドーン!
聽到叫聲扳機一扣。
槍響。
見事に仕留めたキジを探しに、猟師は草むらをかきわけていってハッと足をとめました。
準備過去撿死魚的時候、草一刨、人獃了。
撃たれたキジを抱いて、お千代が立っていたのです。
竟看到千代已經抱起了自己野雞、不知何時開始。
お千代は死んでしまったキジに向かって、悲しそうに言いました。
神情好似憐憫。
「キジよ、お前も鳴かなければ、撃たれないですんだものを」
甩出一句、不鳴則己、一鳴嗚呼。
「お千代、おめえ、口がきけたのか?」
獵人只是看到千代發出了聲、以為別個可以講出話了、這過也開口問。
お千代は猟師には何も答えず、冷たくなったキジを抱いたまま、どこかに行ってしまいました。
但是千代對獵人瞭都不瞭、直接抱到野雞走了。
それから、お千代の姿を見た者はいません。
「キジよ、お前も鳴かずば撃たれまいに」
這後面也是和她老頭一樣再也㫘回來過。
而最後的一句像是句咒語樣的到村裡面蔓延開來。
お千代の残した最後の一言が、いつまでも村人のあいだに語りつたえられ、それからその土地では人柱という恐ろしい事は行われなくなったという事です。
因為這事幫千代搞的太過詭異、這地方的人以後也再搞生人獻祭這案子了。
おしまい
结束
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