|
|
福娘童話集 > 日本民間故事 > 八月
8月6日の日本民話
(8月6日的日本民間故事)
そば喰い像
幫我吃
・日本語 ・日本語&中国語
鎌倉時代の初め頃、浄土真宗(じょうどしんしゅう)を開いた親鸞(しんらん)と言う偉いお坊さんがいたのですが、これはその親鸞が、範宴(はんえん)という名前で修業をしていた頃のお話しです。
這就講正法東傳、久遠之時的鎌倉時代、樹浄土真宗的親鸞上人、當時自己的名字還是範宴、後面得了道、感覺這名字不夠跩、改了個跟佛緣有關的親鸞。
その頃の範宴は他の若いお坊さんたちと一緒に、比叡山(ひえいざん)にこもって修業をつんでいました。
這就講上人還是範宴到修行時的事、當時這人就到比叡山蹲到的。
でも、いくら修行をしても、仏心(ぶっしん)を会得(えとく)する事が出来ません。
這修佛就是要一直坐禪、講是講看能到初禪吧、再越修越高、但這人蹲原地幾個小時也㫘看到甚麼禪樂來啊、踋都麻完的。
「まだ、修行が足りぬのか」
上人當時就㫘悟出這其中關竅。
なやんだ範宴は、都にある六角堂(ろっかくどう)と言う所へ百日参籠(ひゃくにちさんろう)をする事を思いつきました。
反正就甚麼都先試下子、看別個怎麼搞自己就怎麼搞、這又過準備開始苦行了。
その晩から範宴は誰にも知られないようにと、みんなが寝た後でこっそり山を下り、みんながまだ目を覚まさない明け方のうちに帰ってくるという、つらい修業を始めたのです。
夜、山上哪個都睡覺了、但是範宴卻趁這個時候偷偷爬起來、偷偷下山、白天天亮之前又偷偷爬回來。
初めのうちは何事もなく過ぎていきましたが、やがて仲間のお坊さんたちの間で、範宴の朝帰りがうわさされるようになりました。
一開始㫘人發現、但後面起早的人也是有、這過就傳每天看範宴天㫘亮跑回來、不曉得到外面搞甚麼。
このうわさは、偉いお坊さんたちの耳にも入りました。
方丈也是為了讓大家莫天天傳這些有的㫘的、還廟裡個清淨。
そこで偉いお坊さんは、ある夜突然にみんなをお堂に集合させると、一人一人順番に名前を呼び始めたのです。
突然大半夜點名要人報數、這就到到到。
そしてついに、範宴の番がまわってきました。
「範宴!」
好傢伙、點到範宴了。
お坊さんの重い声がお堂に響くと、不思議な事にいないはずの範宴が答えました。
範宴㫘到按講是㫘人作聲、但是怪了去。
「はい」
到。
その声は、確かに範宴の声です。
確實是有人作聲、最主要的是還真的就是範宴的聲音。
偉いお坊さんも仲間のお坊さんたちも、その声を聞いて胸をなでおろしました。
好傢伙、這下清淨了吧、莫天天又講些有的㫘的。
(よかった。ただのうわさであったか)
這事一搞也是過清常了。
安心したみんなは、その後で出された夜食のおそばを食べると、それぞれの部屋に帰っていきました。
謠言一止、幫人都喊來至少也幹餐飯、今天晚上是蕎麥、這就該吃的吃、該睡的睡、各回各房了。
ところが翌朝、早起きをした一人のお坊さんが、朝帰りの範宴とばったり出会ってしまったのです。
那曉得這就有有條和尚起早、剛好幫摸回來的範宴過撞到了。
「本物の範宴は、今帰ってきた。すると昨日返事をしてそばを食べたのは?」
這鬼事就奇啦、人到外面浪那昨天喊到的跟吃面的又是哪個哦?
仲間のお坊さんたちは、昨日の返事をしてそばを食べた者を探しました。
這就要幫這條人邏出來啦。
そして見つけたのが、範宴が彫った彼そっくりの像だったのです。
這就一看、原來是範宴專門為了搞這事雕了一尊代替自己的像。
不思議な事にその像の口元には、おそばの青ねぎがついていたのです。
等再看這木像、嘴巴皮子上面怎麼還有點青蔥沾到了哦。
この範宴の代わりに返事をしておそばを食べた身代わり像は、その後、そば喰い像と呼ばれるようになりました。
後面這謠言就變了、不講別個人偷偷半夜摸出去、而是這像會自己報到還有吃蕎麥、這過自己雕自己、不小心變成尊菩薩了。
おしまい
结束
(回到上一页)
|
|
|