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1月13日の日本の昔話
二人の甚五郎
二個甚五郎
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客家語 : 鄧文政(ten33 vun55 zhin11)
むかし、飛騨(ひだ→岐阜県)の山奥に、佐吉(さきち)という彫り物のとても上手な男が住んでいました。
頭擺頭擺,岐阜縣飛驒个深山肚,戴一個安到佐吉,非常會刻東西个細倈仔。
ある時、佐吉は腕試しをしようと旅に出かけました。
有一日,佐吉想愛試看自家幾有才調,出外去旅行。
ところが、尾張(おわり→愛知県)の国まで来た時には、持っていたお金をすっかり使い果たしてしまいました。
但係,佢去到愛知縣尾張國个時節,帶个錢使淨淨了。
宿(やど)の支払いにも困った佐吉は、宿の主人に何か彫り物をさせてほしいと頼みました。
連戴旅社个錢就付毋出个佐吉,摎頭家拜託看有麽个東西想愛刻無,佢做得刻分頭家來堵數。
「よし、それじゃ、宿代の代わりに、何か彫っておくんなさい」
「好!該恁仰也好,刻个麼个東西來分𠊎來堵數。」
主人が許してくれたので、佐吉はさっそく彫り始めました。
得到主人个同意後,佐吉遽遽開始刻。
翌朝、佐吉は見事な大黒さまを、宿の主人に差し出しました。
第二朝晨,佢摎刻好了、當靚个福神送分旅社頭家。
「これは見事! こんな素晴らしい大黒さまは見た事がない。これは、家の家宝にさせて頂きます」
「這還靚哦!毋識看過恁靚个福神,這做得拿來做傳家寶。」
大喜びする宿の主人に、佐吉は申し訳なさそうに。
佐吉對該當歡喜个旅社頭家會失禮,講:
「彫る木が手元になかったもので、この部屋の大黒柱(だいこくばしら)をくり抜いて使わせてもらいました。お許しください」
「𠊎無帶著雕刻用个樹頭仔,高不將挖這屋肚个楯仔來用,請你原諒。」
「・・・?」
「...?」
宿の主人が大黒柱を調べてみましたが、傷一つ見当たりません。
旅社个頭家就去巡屋下个楯仔,無看到半支有傷著个痕。
「はて、この大黒柱でしょうか?」
「還奇怪,敢會係這支楯仔?」
「はい。これです」
「係,就係這支。」
そう言って、佐吉がポンと手を叩くと、カタンと柱の木が外れました。
佐吉講忒就用手去搉佢,楯仔黏時gung lung聲橫下來。
なるほど、確かに中は空洞です。
有影,確實中央空忒了。
すっかり感心した宿の主人は佐吉の事を、その頃、日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の造営(ぞうえい→建物を建築する事)にたずさわっていた彫り物名人、左甚五郎(ひだりじんごろう)に知らせました。
旅社頭家非常佩服,摎佐吉个事情,講分當時參加起日光東照宮个雕刻專家左甚五郎知。
甚五郎は、さっそく佐吉を呼び寄せて、「何でもいい、お前の得意な物を彫ってくれ」と、言いました。
左甚五郎煞煞就喊佐吉過去,摎佢講:「麽个都好,你熟絡个東西刻來分𠊎。」
そこで佐吉が彫ったのは、いまにも動き出しそうな見事な仁王(におう)さまです。
佐吉所刻个東西就係這下看到像形還會停動又當靚个金剛力士(仁王)。
甚五郎はすっかり感心して、佐吉を東照宮の造営に参加させる事にしました。
左甚五郎對佢非常佩服,請佐吉參加起東照宮个工作。
「わたしは、竜を彫ろう。佐吉、お前は山門のネコを彫れ。」
「𠊎來刻龍,佐吉,你刻山門个猫仔。」
天下の左甚五郎に認められたうれしさに、佐吉は力一杯彫り続けました。
佐吉得著天下有名个左甚五郎賞識心肝當歡喜,全力繼續雕刻。
毎日毎日彫り続けて、とうとう山門のネコが彫り上がりました。
逐日在該刻,山門个貓仔分佢刻好咧。
そして、甚五郎やほかの弟子たちの仕事もすべて終わり、東照宮は完成しました。
續等甚五郎摎其他師仔个事全部做好了,東照宮完成囉。
検査(けんさ)の役人たちも、その見事さには、ただ驚くばかりです。
驗收个官員看著該兜恁靚个東西斯有著驚定定。
甚五郎を始め、みんなはたいそういい気分になり、その夜は酒やごちそうでお祝いをしました。
甚五郎佢兜全部都非常歡喜,該暗晡在該啉酒食澎湃來慶祝。
酒を飲み、歌い、盛り上がったみんなは、疲れていたのか、たくさんのごちそうを残したまま、グーグーと眠ってしまいました。
大家因為啉酒、跳舞、歡喜壢天,可能悿咧,伸當多好食个菜無食就ku11 ku11滾睡忒咧。
ところがその翌朝、みんなが目覚めてみるとどうでしょう。あれほどたくさんあったごちそうが、一晩のうちになくなっているのです。
毋過,等到第二朝晨大家睡醒目珠擘金看,像發生麼个事情樣,該恁多好食个東西一暗晡全毋見忒。
「お前が食べたんじゃろうが!」
「你食忒係無!」
「とんでもない、お前こそ!」
「豈有此理,怕係你哪!」
弟子たちの言い争いを聞くうちに、甚五郎と佐吉はハッと顔を見合わせました。
聽著弟子相吵仔,甚五郎摎佐吉兩儕忽然間你看𠊎𠊎看你。
甚五郎はノミと木づちを持ち、山門へと急ぎました。
甚五郎就拿等鑿仔摎木槌走等去山門該位,
佐吉も黙って、あとを追います。
佐吉恬恬在後背跟等去。
山門へ来てみると、佐吉の彫ったネコのまわりに、ごちそうを食いちらした跡があります。
來到山門一看,佐吉刻个猫仔周圍,有該好食个東西个跌下來个跡。
甚五郎はクワッと目を見開くと、カーン!と、ノミと木づちをふるいました。
甚五郎目珠擘金看、ka~n!聲、開始使用鑿仔摎槌仔。
その一刀のもとに、佐吉のネコは眠りネコになってしまいました。
因為該一刀,佐吉刻个猫仔變做睡忒个猫仔。
佐吉は甚五郎の腕のあまりのすごさに、思わず地面にひれ伏しました。
佐吉看著甚五郎技術恁厲害,不得不跪下來拜佢:
「左甚五郎先生!」
「左甚五郎先生!」
甚五郎は佐吉の肩に手を置き、しみじみと言いました。
甚五郎用手放在佐吉个肩頭頂,低言細語講:
「佐吉よ、彫り物のネコに魂が入るとは、お前はまことの名人じゃ。これより、わしの名を取って『飛騨の甚五郎』と名乗るがよい」
「佐吉啊,你刻个猫仔連靈魂也加落去,你正係正經个專家,從這下開始用𠊎个名仔『飛驒个甚五郎』來做本名好啦。」
「はいっ、ありがとうございます!」
「好、恁承蒙你!」
佐吉の彫ったネコは、そのあと、『日光東照宮の眠り猫』として、とても評判になりました。
それにつれて飛騨の甚五郎の名前も、大変有名になったという事です。
佐吉刻个猫仔從該量時開始,當做『日光東照宮睡忒个猫仔』變盡出名。
連飛驒个甚五郎个名仔也變當有名了。
おしまい
煞咧
註:
宿: 説明は不要でしょうが、宿(やど)とは、旅人のとまる所、または、宿屋の集まっている所をさします。
日時頭毋使、宿係出外个歇宿个位所或者講係旅社集中个所在。
昔の旅は徒歩がメインだったので、街道沿いには、一日に移動できる距離にあわせて、宿場町が存在しました。
頭擺出外旅行主要係用兩脚行,所以,差毋多一日之內行幾遠路程恁遠,該位个路唇就會有旅社街。
まずしい人々は、野宿するしかありませんが、当時は山賊やオオカミがいたため、多少料金が高くても、宿にとまる人は多くいました。
較苦个人就無辦法,高不將在外背露宿,因為該量時當多山賊摎狼,較多錢乜愛戴旅社个人盡多。
江戸時代、食事つきの宿は旅籠(はたご)と呼ばれ、ご飯を炊くまき代さえ払えば泊めてくれる安宿を、木賃宿(きちんやど)といいました。
江户時代,除了戴以外,還附帶提供食个旅社安著旅籠〈はたご〉,付息仔煮飯个樵錢就做得戴个便宜旅社安著自家煮來食个細旅社〈木賃宿きちんやど〉。
東照宮: 江戸幕府初代将軍の徳川家康をまつる日光東照宮。
祭祀江户幕府第一代將軍德川家康个位所。
家康の遺骸は1周忌を機に久能山から改葬された。
一周年忌个時節,摎家康个身屍骨頭徙到久能山安葬。
右の建物は鐘楼(しょうろう)、奥にみえるのが陽明門である。
正片个建物係鐘樓,裡肚看得到陽明門,
陽明門は入母屋造(いりもやづくり)の屋根をもち、麒麟や竜など極彩色の彫刻群が全体をかざっている。
陽明門有一个歇山式建築造型个屋頂,完間宮廟用麒麟摎龍該兜極靚色彩个雕刻群來裝飾。
1日じゅう見ていてもあきないほど多くの彫刻や飾り金具でうめつくされていることから日暮門(ひぐらしもん)ともよばれている。
用歸日看都看毋忒个程度,當多雕刻摎裝飾五金鑲嵌做个,所以也有人講係日暮門。
左甚五郎: 左甚五郎(ひだりじんごろう)は、江戸時代に彫刻の名人とたたえられた人物で、全国各地に甚五郎作という彫刻がのこされています。
左甚五郎:左甚五郎係江户時代个雕刻專家,受人稱讚个人物,全國各地都有佢个雕刻存留下來。
代表作に、「きょうの日本昔話」にも登場する日光東照宮の眠り猫や上野寛永寺の竜などがあります。
其中較有代表性个『今日之日本傳說』裡肚講个日光東照宮睡忒个猫仔摎上野寬永寺个龍等等。
ただし、彼の名前は織田信長の時代から江戸時代後期まで登場するため、実在の人物であったかどうかもはっきりしていないのです。
毋過,因為佢个名仔出現在織田信長時代到江户時代後期,實在有這个人無,還毋係盡清楚。
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