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2月12日の日本民話
お金ヶ浜とお倉ヶ浜
宮崎県に伝わる弘法大師話 → 宮崎県の情報
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昔々、岩脇(現在の日向市)の海沿いの郷に“お金”と“お倉”という二人の娘が住んでいました。
“お金”は一人暮らし。
ケチで意地悪な性格で村人たちから嫌われていました。
一方、“お倉”は年老いた母親と二人暮らし。
情け深く親孝行で評判の娘でした。
二人は別々の浜辺で毎日ハマグリを採って暮らしていましたが、“お金”がいつも来ている浜はたくさん採れるのに対し、“お倉”がいつも来る浜はわずかしか採れませんでした。
それでも“お倉”は母親のために一生懸命ハマグリを採り続けていました。
そんなある晴れた日の事、“お金”と“お倉”がいつものように別々の浜辺でせっせとハマグリを採っていると、どこから来たのか、ボロをまとった見知らぬ行脚僧が“お金”の方へと近づいてきました。
行脚僧は籠の中をのぞき込むと「ほほう、見事なハマグリじゃ。ワシにも少し恵んではくださらぬか?」と声をかけました。
すると“お金”は行脚僧のみすぼらしい姿を見て(汚い坊さんだなあ。)と感じると「籠の中はハマグリではなく石ころだよ!」と言ってぷいっと横を向いてしまいました。
行脚僧は仕方なくその場を立ち去りました。
行脚僧が渚伝いに歩いて別の浜にたどり着くと、“お倉”が「お母さんのために沢山採らなくちゃ。」と言いながらハマグリを採っているのに出くわしました。
行脚僧は“お倉”に向かって「あなたがとっているハマグリを少しいただけませんか?」と尋ねると、“お倉”は(可哀想なお坊さんだわ。)と思い「わずかしか採れませんけどお一つどうぞ。」と言って、特別に大きくて立派なハマグリを一個差し出しました。
すると行脚僧は「これは誠にありがたい。何とお礼を申し上げていいやら…。」と言いながらそのハマグリを受け取ると、“お倉”に向かって「あなたは本当に優しい娘さんじゃ。そのうちきっといいことがあるじゃろう。ワシは、弘法大師空海である。」と名乗ると、静かに立ち去っていきました。
“お倉”が家に帰って母親に弘法大師と出会い、ハマグリをあげた事を話すと、母親は「それは良いことをしました。」と “お倉”をほめました。
次の日、“お倉”が自分がいつも来ている浜でハマグリを採ると、何と今までよりもたくさん採れるようになったのではありませんか。
“お倉”と母親は、弘法大師に心から感謝しました。
それ以来、“お倉”がハマグリ採りをしていた浜を『お倉ヶ浜』と呼び、ハマグリの名産地となりました。
その頃、“お金”の方はと言うと、家に帰って「しめしめ。これで沢山のハマグリが食べられるわ。」と言いながら籠の中をのぞくと、何と籠の中のハマグリは石ころになっているのではありませんか。
“お金”はビックリして「これはいったいどーなっているのよ!浜の方も見に行かなくちゃ。」と言いながら自分がいつも来ている浜へ行くと、浜は岩だらけとなり、たくさんあったハマグリも見当たらなくなっていました。
“お金”は「ああ、坊さんを親切にしなかった罰が当たんだわ…。」と言って泣き出してしまいました。
以来、“お金”がハマグリ採りをしていた浜は『お金ヶ浜』と呼び、その浜から一個もハマグリが採れなくなってしまったということです。
おしまい
この物語は、福娘童話集の読者 山本様からの投稿作品です。
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